Mayumiの毎日綴る暮らしの日記

日日是好日 一日一日を大切に頑張って行きましょう ξ^_^ξ

美貌と野心でのし上がったアルゼンチンの聖女

2017-05-19 04:32:59 | Weblog

エヴァ・ペロン (1919~1952)


エヴァ・ペロンと云う名前より、エヴィータと云う愛称で知られている彼女は、女優から大統領夫人にまで成り上がった。第二次世界大戦後の政情不安定なアルゼンチンで、労働者階級から絶大な支持を受けた彼女は、聖女とまで呼ばれた。だが、その裏では権力を笠に反対勢力に圧力をかけるなどの二面性も持ち合わせていた。

************************************************************************************

「私生児として生まれたファーストレディ」

エヴァが、田舎からブエノスアイレスに出て来たのは、一九三四のこと。
故郷で興行したタンゴ歌手に美貌を認められて声をかけられたと云うだけの理由で、彼を頼って都会へやって来たのだ。
エヴァを大衆が知ることになるのは一九三九年のラジオ出演からだが、そこに至るまでの五年間の生活を彼女はいっさい語っていない。
ただ、この時すでに彼女は大きな野心を抱いていた。それは、私生児として生まれ、貧しさ故に教育すら受けていない自分は、将来ある男性に賭けて権力を手にして行こうと云うものだった。その為、自分が女優であることを大いに利用し、様々な有名人男性に近づいては物色を続けて行った。
そんなエヴァが二十四歳の時選んだのが、四十八歳のファン・ペロン陸軍大佐だった。ペロンの方も、アルゼンチンの有名人に多くの知己があり、観察力も分析力もあるエヴァが、自分を権力の座へ押し上げてくれることを直感した。

こうして二人は同居を始め、第二次世界大戦下の国内で、労働者階級が封建体制に不満を抱いていることを察して扇動者となり、支持を集めて行く。大戦後、ペロンがナチス支持者の嫌疑を受けて投獄されると云うアクシデントが起こった時に、労働者を終結させてストやデモでペロンを助けたのもエヴァだった。
ペロンの釈放後、直ぐに結婚した二人は、一九四六年の大統領選で勝者となる。これは、エヴァが、如何にペロンが貧しい人々の味方であるかを演説した結果でもあった。私生児で女優上がりの彼女には批判的な声もあったが、エヴァの美貌がそれを封じもしたし、何よりもペロンが彼女を守護神と信じきっていた。こうして、権力と富を手にしたエヴァは、演説通り貧困階級の為の公共施設を作り、訴えがあれば寄付も施しも惜しまなかった為、次第に「聖女」と呼ばれる様になる。しかし、実際のエヴァは、自分が貧しかった時代や、蔑んだ人々への報復はもちろん、ペロンと協力して私腹を肥やすことも忘れなかった。また、若い時代を知る人々には口封じをし、彼女の出自を語る人々は処罰の対象にした。極端な例では、自分の悪口を書いた新聞社を潰したこともあった程だ。

************************************************************************************

「十六年間姿を消していたエヴァの遺体」

一九五一年には『エヴィータ』と云う彼女の愛称をタイトルにした自伝が出版され、学校での必読本に選ばれるなど、エヴァの絶頂期が訪れた。
しかし、この時彼女はすでに癌に侵されていて、翌年にはこの世を去ってしまう。三十三歳と云う若さでの死だった。
一方、妻を亡くしたペロンは、度々女性スキャンダルを起こすなど常軌を逸した行動を取る様になり、次第に民衆の支持を失った彼は、一九五五年に失脚。パラグアイへ亡命した後、スペインで隠棲を始めたと云う。

この後アルゼンチン政府は、エヴァの遺体の扱いに困惑する。ペロンの失脚後、エヴァに関する記念品はすべて破棄・破壊されたが、遺体だけは粗末に扱えない。それに、遺体は彼女の希望で防腐処理を施されていたのである。しかし、そんな困惑のタネは、ある日突然、何処かへ消えてしまう。ところが、一九七一年にその遺体が見つかる。イタリアのミラノにある墓地に埋葬されていることが分ったのだ。実は、遺体がペロン派の手に落ちて復権のシンボルに使われるのを恐れたアルゼンチン政府が秘かに国外へ運び出し、エヴァとは別人の名前で葬っていたのである。
この遺体は、翌年ペロンが帰国する時共に海を渡り、現在はアルゼンチンにある墓地に埋葬し直されている。

              

                                                        世界の「美女と悪女」がよくわかる本






今の時季、好天だとジッとしてなどいられないです。
昨日、止そうと思っていた、茄子の苗を買って来て、野菜用プランターに植えました。
実にせこいことだけれど、私の気持ちが喜んでいる。
良い一日の積み重ね。
それが一生を通して少しでも続けられたなら、どんなものになるんでしょうか。




DON'T CRY FOR ME ARGENTINA  MADONNA
https://www.youtube.com/watch?v=OpbRIP--r-o

ジャンル:
ウェブログ
この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 華鬘草(鯛釣草) Lamprocap... | トップ | 菜根譚 前集110項 »
最近の画像もっと見る

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。