Mayumiの毎日綴る暮らしの日記

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宋襄の仁

2017-04-25 15:16:11 | Weblog


春秋時代、宋の襄公が楚の成王と泓水で戦った際、兵数の多さに物を言わせて渡河して来る楚軍に対し、
宋の宰相の目夷が、河を渡ってる時や渡り終えた直後で態勢が整わないうちに攻撃をするように進言するが、
宋の襄公は二度とも攻撃許可をせず、圧倒的な兵力差の前に自らも負傷すると云う大敗を喫した。
何故、あの時攻撃許可をしなかったかと聞かれた宋の襄公は「君子たる者人の難儀につけ入るようなことはしない」と言った。
宋の国の人々は、襄公の無用な仁者ぶりを責め、他国の人々は嘲笑った。
それ以後、不必要な情けや憐れみをかけることをこう言うようになった。

                                                           「春秋左氏伝」


襄公が詐術を使わずに堂々と戦ったことを賞賛する。

                               「春秋公羊伝」


楚は元々大国で、宋は元々から中小国だったのだから、『宋襄の仁』がなくとも楚が勝つのは順当なことだった。

                                                         「中国史学者・落合淳思評」


東方の斉の君主である桓公が国の内外の輿望の上に立った。
桓公は王と呼ばれることはなかったが、実質的に、覇王であった。
その桓公の時代が終焉を迎える頃、宋の襄公が諸侯を総攬する力を蓄え、
桓公の逝去後に、諸侯の盟主になった。
が、襄公にとって不運があったのは、南方に本拠を構えていた楚が急速に肥大化して、
中原へ進出する野心を露骨に見せたことである。南蛮の国と言ってよい楚の北上を抑えようとした襄公は、遂に楚軍を激撃し、
首都の商丘に近い泓水と云う川を挟んで決戦に及んだ。
ところが襄公は卑怯なことが嫌いな性質で、
川を渉り始めた楚兵を攻撃せず、敵の全軍が渉りきるのを待って攻撃を開始したので、惨敗を喫した。
無用の思いやりのことを後世の人は、その故事を引いて、『宋襄の仁』と、言うようになった。

                                                          「宮城谷昌光 『華栄の丘』」






この「宋襄の仁」と「梁上の君子」は、故事成語の中でも特に好きなお話です。(*⌒ー⌒)ο∠☆:

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