Mayumiの毎日綴る暮らしの日記

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◆小沢一郎を潰す団体だった? 『三宝会』

2017-09-30 07:06:59 | Weblog

*竹下登がつくった組織
 竹下登元首相は自民党の最大派閥「経世会」を率い、政界のドンとして君臨していた人物だが、
彼が長年警戒し続けていたのが同じ経世会出身の小沢一郎だ。
小沢は若い頃からメキメキと頭角を現し、47歳の若さで自民党幹事長となったが、その後竹下と対立し、経世会の分裂を機に自民党を離れている。その後、小沢はその政治手腕を活かし、野党をまとめて連立政権を樹立させるなど、自民党にとっては厄介な存在になって行った。
そこで1996年、竹下は大手メディアや大企業の幹部と結託し、自らが最高顧問となって「三宝会」と云う組織を設立したのだ。

*設立の理由は小沢を潰す為?
 長年、小沢と行動を共にして来た平野貞夫は、著書「わが友・小沢一郎」で三宝会の表向きの設立理由についてこう記している。「情報をいち早く正確にキャッチして、立場を異にする各分野の方々と円満な人間関係を築き上げて行く」だがこれは表向きの理由で、平野は、三宝会設立の真の狙いは自分たちの利権構造を壊そうとする者を排除することにあったとも主張している。政官財の利権構造にメスを入れようとしていた小沢は、彼らの標的となったというのである。

*大企業の社長やマスコミも参加する
 「永田町のフィクサー」と呼ばれた福本邦雄がまとめた三宝会の会員名簿には、大手電機メーカーの会長や、大手航空会社の社長、大手マスコミ幹部など、錚々たる面々が名を連ねている。
彼らが竹下を中心に、本気で小沢を叩き潰そうと画策したことを示す証拠は存在しない。もしかしたら本気に、ただ定期的に情報を交換をしていただけだったかも知れない。
しかし、三宝会の中心にいたのは、大の小沢嫌いだった政界のドン・竹下登である。情報交換をするうち、小沢の悪口で盛り上がることもあったはずだ。そしてそこから「剛腕」「強面」「壊し屋」「傲慢」「我がまま」「生意気」と云った、小沢のマイナスなイメージが創り上げられて行ったとしても何ら不思議ではない。事実、三宝会の世話人だった後藤謙次は、事あるごとに小沢のやり方を批判していた。尚、後藤は共同通信の編集委員だったが、後に「NEWS23」のメインキャスターとなり、現在は政治コラムニストとなっている。

*竹下の死と小沢の凋落
 小沢はその巧みな政治手腕を発揮し、1999年には再び自民党と手を組んで与党へ復帰する。その一方で、竹下は体調を崩し、2000年に他界した。
その後、小沢は民主党に入り、代表となり政権交代を目指した。
ところがその矢先、小沢の公設秘書が政治資金規正法違反で逮捕・起訴され、小沢は民主党代表の地位を辞した。
この時、マスコミは小沢が有罪であるかのように騒ぎ立てた。
だが、検察の資料には多くの捏造があったことが明らかになっている。
三宝会には小沢嫌いの大物が多数いたが、彼らが何らかの圧力をかけていた可能性もある。
民主党が政権交代を実現させると、小沢は党幹部に就任した。
この時期までは彼も「次の首相候補」として国民から支持されていたが、民主党政権への風当たりが強くなると、剛腕と称されていた小沢の政治手腕にも陰りが見え始める。そして2014年現在、小沢は生活の党の代表(2017年現在・自由党)となっている。
かつて自民党を政権から引き摺り降ろし、連立政権を打ち立てた時の再現を狙っていたようだが、2012年の衆院選で惨敗し、それも幻となってしまった。

画像 1999年、談笑する竹下元首相と小沢一郎

   2009年、会見の為に会議室に入る小沢
   この時には党代表辞任を否定したが、最後には辞任することになった

             




                                              本当に恐ろしい地下組織
                                                  日本国内にも存在していた組織

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