Mayumiの毎日綴る暮らしの日記

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主君思いのヒーローは架空の人物だった?

2017-06-19 12:03:59 | Weblog

武蔵坊弁慶 (?~1189年) 紀伊国(現・和歌山県)

武蔵坊弁慶と聞けば、日本人なら大ていは山伏姿で長刀を持つ勇ましい姿を思い浮かべることだろう。ところが、史実の弁慶となると驚くほどその実像がハッキリとしない。そもそも出自が明らかではないのだ。一般には、紀伊国の田辺(現在の和歌山県田辺市)に生まれたと云う説が有名だが、出雲(現在の島根県松江市)生まれと云う説もある。ただ、いずれも弁慶が「鬼子」として生まれたとする点では共通している。
室町時代初期に成立した戦記物語『義経記』によると、弁慶は十八か月間、母の胎内に宿っていた。生まれ落ちた時にはすでに三歳児ほどの大きさで、髪は肩が隠れるほどで、歯もスッカリ生え揃っている状態だった。一説によると、弁慶の母は懐妊中に何故か鉄を食べたくなり、近所の農家から鍬を盗んでは食べていた。そのせいか、生まれて来た子の肌は鉄色をしていたと謂う。成長した弁慶は、札つきの暴れん坊になり、怪力で村人たちに恐れられていた。而も、直ぐに癇癪を起こす。その悪童ぶりは、業を煮やした母が、我が子を孤島に幽閉したほどだった(その島が松江市の弁慶島だと謂われている)。
成人後も、弁慶の傍若無人ぶりは止まるところを知らなかった。
例えば、比叡山延暦寺に入っては、延暦寺に敵対する三井寺の鐘を略奪して来たり、京の五条大橋では千本の太刀を奪う願を立て、道行く人々を襲うなどの悪業を繰り返していたのだ。
しかし、ある運命の出会いが悪漢を英雄に変える。その相手こそ、源義経その人だ。源平合戦で大きな功を立てながら、兄である源頼朝に憎まれ、遂には非業の死を遂げた武将。弁慶は、その第一の家来となったのである。
ところで、冒頭にも触れた様に、実際の弁慶については不明な点が多い。その為、「弁慶架空人物説」さえ存在するが、『吾妻鏡』にその名が登場することから、少なくとも義経の部下の一人に、「弁慶」と云う名の人物がいたことは確かだろう。
とにかく義経に仕えて以後、特に主に従って東国に落ち延びる道行きでの弁慶は、まるで別人の様な活躍を見せ、その変貌ぶりは、後世になって能楽の題材にも選ばれている。
『船弁慶』と云う演目のクライマックスでは、摂津国尼崎大物浦(現在の兵庫県尼崎市)から出航しようとしていた一行に、源氏に滅ぼされた平知盛の怨霊が襲い掛かる。その時、弁慶は力に頼らず、法力で知盛の怨霊を折伏してしまう。更に『安宅』では、安宅の関(現在の石川県小松市)で、あわや追っ手に捕らわれる危地を、胆力と機転で潜り抜ける弁慶の雄姿が描かれている。粗野な暴れん坊は、いつの間にか法力と知力を併せ持つ、最高の武将に成長を遂げていたのだ。
こうして、義経と共に奥州(現在の東北地方北東部)に辿り着いた弁慶だったが、頼朝を恐れた奥州藤原氏の軍によって攻められてしまう。奮戦虚しく、圧倒的な兵力の差を前に、弁慶は体中に矢を受けて、立ったまま死に、義経は妻子もろとも自害して果てたと云うのが、一般的に語られる両者の最期だ。
だが、実は二人は奇襲を受ける前にその地を離れ、北へ逃れて生き延びたと云う説も存在する。その真偽は定かではないが、兄に追われた悲劇の主従の生涯は、様々な伝説に彩られ、語り継がれているのである。

 

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いつくらいからだろう。
夢中になって頑張ったり、
せこく注目を浴びたり、
人に嫌われまいとしたり、
自分で自分にこうあるべきとか、
そんな色々のこと、もういいじゃないか!って思うようになりました。
それで遂には私は解放されたかのよう、イキイキしていると自分を見るようになりましたね。
自分の家が居心地好過ぎて、何処にも行きたくはないし、人とも喋りたくもなく、予定など絶対に作らない。
だから、腹も立ちもしない。
一人遊び的なことの引き出しがいっぱいあるのだから。

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