Mayumiの毎日綴る暮らしの日記

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ロマノフ王朝の崩壊を予言した怪僧

2017-05-06 11:05:32 | Weblog

グリゴリー・ラスプーチン 1871~1916年 ロシア帝国(現・ロシア)

ロシア帝国最後の皇帝となったニコライ2世の下、宮廷で絶大な権力を奮い、
後に帝国崩壊の遠因を作ったと言われる怪人物がグリゴリー・ラスプーチンである。
シベリアのとある小さな町で生まれたラスプーチンは、幼い頃から人とは違う力を持っていた。
ある日、同じ町に住む貧しい農家から馬が盗まれると云う事件が起こった。住民は町長でもあったラスプーチンの父親の下に集まり、解決策を話し合っていた。その時、ベッドに横になっていたラスプーチン少年が行き成り夢遊病患者の様に立ち上がり、その場に居た一人の農夫を指差して、「こいつが犯人だ」と叫んだと云う。
父親が慌ててその場を収めたが、その集会後、少年の言葉が気になった二人の農夫は、犯人だと言われた男の後を着けて行った。すると、男は自分の家の納屋から、盗んだ馬を連れ出して放したではないか。
ラスプーチンは見事に馬泥棒を言い当てたのである。
これ以外にも、彼は生来生まれ持った「魔力」としか言い様のない不思議な力で、治る見込みのない病人を治療したり、
未来を予知するなど、数々の奇跡を行なった。自身を「祈祷僧だ」と語っていたラスプーチンの噂は次第に膨れ上がり、その評判は皇室にも届いた。
ある時、皇太子アレクセスが持病の血友病で苦しむ様子を見かねた皇后は、藁にもすがる思いでラスプーチンを宮廷へ招き入れた。ラスプーチンが皇太子の枕元で祈りの言葉を捧げると、それまで瀕死の状態だった皇太子が起き上がり、ニッコリと笑顔を見せたと云う。
皇后はラスプーチンを皇太子の命の恩人として厚遇し、以来、彼は公私にわたる皇帝夫妻の相談役となったのである。
やがて、宮廷内での彼の権力が次第に強くなり、遂には政治にまで干渉する様になると、貴族たちの間でラスプーチン暗殺計画が持ち上がった。首謀者は、皇帝と姻戚関係にあったユスポフ公爵と、皇帝の甥のドミトリー大公だ。
1916年12月、ユスポフ公爵はラスプーチンを晩餐へ招待する。料理には、猛毒の青酸カリが仕込まれていた。
普通の人間であれば即死のはずが、ラスプーチンはそれらを平らげ、尚も平然としている。驚いた公爵は、隙を突いて背後から銃弾を2発、ラスプーチンの心臓目がけて撃ち込んだ。しかし、崩れ落ちたはずのラスプーチンが再び起き上がったではないか。
恐れをなした公爵は、更に銃弾を浴びせた。そして、仲間と共に銀の燭台で滅多打ちにした後、ロープで固く縛って真冬のネヴァ川へ放り込んだ。
翌日、ラスプーチンの死体が引き上げられ、驚くべき検視結果が伝えられた。何と、死因は「溺死」。
銃弾を浴び、激しい暴行を受けてもまだ、彼は死んでいなかったと云うのだ。
きつく縛り上げたはずの遺体からはロープが解かれており、その腕は十字を切っていたと云う。

実は、ラスプーチンは自らの死の直前、不吉な予言をニコライ2世に語っていた。「もし私を殺すのが皇帝陛下の一族の者であれば、陛下とその家族は悲惨な最期を遂げるでしょう」とーーー。
その予言通り、皇帝一家はロシア革命の嵐の中、全員が銃殺され、帝政ロシアは崩壊を迎えたのだった。

                  

                                                                世界と日本の怪人物FILL






あるお友だちに聞いたのです、「ヒーリング」のプロが申すには、
「妬み」「嫉み」「僻み」の大変強い人は手の施しようがないのですと。
まるで生霊のように思ってしまいます。
結局は、素直な心に幸いがやって来るんでしょうネ、って思いますよ。

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