むらくも

四国の山歩き

飯豊山(2)…東北アルプス

2015-09-28 | 日本百名山

<二日目>9月16日切合小屋


電気がなく、したがって消灯時刻のない山小屋では、星空を眺めた後することもなく寝るしかない。
睡眠たっぷり、4時起床。
前日に山小屋の方が、飯豊山をピストンする方は、荷物をここにデポしていいとの許可を得ていたので、シュラフを片づけた後、荷物の仕分けをする。
宿泊された方全員、朝食5時きっかり、ご飯、漬物、生卵、のり、味噌汁、ご飯のお代わり自由だったが、前夜カレー二杯食べてたので、エネルギーを蓄えたくともさすがにお代わりはできなかった。

日の出は5時20分、外へ出た。
標高1870m大朝日岳を主峰とする朝日連峰が雲の上に浮かんでいる。




こちらは標高2035mの西吾妻山を主峰とする峰々。
その奥には安達太良山が聳えているのだが、残念ながら見えない。




小屋前の水槽へ引かれたホースからはきれいな山水が流れ込んでおり、水を補給。
6:00、坊主さんのテントは設営したまま、本山に向かって出発。
気温は低く氷点下をわずかに下回っていたかもしれない。

ウサギギク




昨日の山小屋宿泊者は、10人そこそこ、二階で7~8人、一階で3人ほどだったでしょうか。
収容人員60人ですから、スペースゆったり。
朝トイレに行ったときに、一人の女性が眉をひそめて、「いびきが五月蠅くて寝られなかった」、ひそひそ声で隣の女性と言葉を交わしていた。
ドキッ!わたしのことかと思ったが、その方は一階、わたしたちは二階、ホッと胸をなでおろしましたわ。
念のため妻に「いびきどうだった?」と訊ねたら、「そうでもなかったよ、ま、どちらにしても先に寝たものが勝ちね。だけど、夜中にどたどたと出入りして、満点の星空よなどと大声で話をする人がいて、腹立ったわ」、小屋では見知らぬ者同士、いろいろとあるんですね。

ヨツバシオガマ、コバイケイソウ




山小屋の方たちは丁寧で親切でした。
お代わりのカレー、お皿半分でいいというのに、もりもり一人前装ってくれたし、荷物のデポも快く引き受けてくれたし、山座同定も丁寧に教えていただきました。
因みに山小屋「切合」の読みは、元々は「きりあい」だったのだが、麓の地名に川入切合というところがあって、ここの読みは「川入きりあわせ」、そんなことからいつの頃からか「きりあわせ小屋」となったらしい。
そんなことも教えてくれた。
雲は多少広がっているが、景色は遠くまで見え、今年一番の景色だとのこと、随分とラッキーなことです。

ミヤマホツツジ、その他ヤマハハコなど。




西吾妻山の右手に、標高1819mの笹に黄金が成り下がるという、宝の山、会津磐梯山が見えた。
そのすぐ南麓には東西に走る磐越自動車道を挟んで、猪苗代湖があるが、雲の下。




切合小屋から草履塚の間、ちょっとしたお花畑があって、ウメバチソウやナンブタカネアザミとよく似たアザミ、リンドウなどが咲いており、チングルマの終わった花穂もある。
イイデリンドウの咲き残りがないか探してみたが、結局見つからず、ミヤマリンドウらしきものが一輪と、あとはオヤマリンドウのようだった。




6:33、草履塚に到着。
飯豊山は古来信仰の山として慕われており、この先にある本山小屋傍の飯豊山神社までの間に姥権現さんや、御秘所という地名がある。
飯豊山の先には飯豊山塊の最高峰、大日岳(標高2128m)が聳えていて、そこが奥の院だったという。
草履塚もその名残の地名と思われる。




大日岳の凛々しい雄姿と素晴らしい尾根。




草履塚から100mほど下ったところにお地蔵さんのある姥権現に。

咲き残りのマツムシソウ




御秘所というところからは岩場になっている。

イワベンケイ




高度感があるだけに、ちょっとしたスリルが楽しめた。
テント泊装備のソロ男性が降りてきた。
大日岳からの縦走だろうか?
切合小屋では広いテン場にポツンと、坊主さんのテント一つだけだったが、すれ違う人は結構テント泊装備の方が多い。




岩場は切り立っており、下を覗くと足が震える。




バッタだ!
花を見るたびに坊主さんがイイデ○○●などと言って茶化していたが、これはまっちゃいなくイイデバッタ、ホンマカー???




最高の景色が稜線上360度広がっている。
しばらくは何を言っても、イイデサンはイイ山や、イイデ、イイデーの連呼。
妻がわたしの後頭部を写しニタリ、イイデ、イイデー。
なるほど、河童のお皿だ。
人生終末期を迎えている気分になる。




岩場のハイマツとマツムシソウ、ハクサンフウロやハクサンイチゲの咲き残り。




7:30、御前坂というところに到着。
神社が近いということだろうか。
急登が続くが、景色は素晴らしく、朝日連峰から磐梯山まで雲海が広がる。

雲海遠くに、西吾妻、磐梯山。




石積みのピークを右に回り込んだところで、水場の道標があった。
8:10、本山小屋に到着。
平日なので管理人のいない小屋、内へ入らせてもらった。
張り紙がしてあって、管理人さんがいるときは、オリジナルTシャツやバッチ、飲料水、ビールなどを売っているようです。
イイデリンドウのことをイイデノホシ、ヒメサユリのことをオトメユリともいうんだそうです。




神社にちょこっとお参りして、一休み。




遠くに蔵王。
山頂からソロ男性が下ってきた。




男性の方がしきりと、素晴らしいと言っては朝日連峰の方角を眺め、感動している。
何が素晴らしいのかを説明してくれた。
男性の話によると、朝日連峰の奥に、小さく月山と鳥海山の頂が見えると言うのだ。

目を凝らしてみた。
朝日連峰奥やや右側に小さいがくっきり見えているのが月山のようだ。
左側奥に薄く見えているのが鳥海山らしい。
月山は直線距離でここから90km弱だろうか、そして鳥海山に至っては150km近くあるようでした。
四国の剣山から伯耆大山が見える日もあるくらいですから、納得はしましたが、それにしても感動です。




ここからは飯豊山が目前で、緩やかな稜線が続いている。
飯豊山まで20分、三人とも荷物が軽いこともあって、体も口も軽快。
切合小屋でご一緒だった静岡からのご夫妻が追いつき、追い越していった。




岩に張り付くようにして赤い実を成らせているコケモモとウラシマツツジ。
ウラシマツツジに混じってる青々とした葉はガンコウラン、ゴゼンタチバナもところどころで赤い実をつけてます。




右下には雪渓、このまま融けずにやがて冬を迎えるのでしょうね。
8:47、一等三角点点名・飯豊山の埋設された山頂に到着。




山頂から眺めた、烏帽子岳から北股岳への尾根、いずれも2000m級の山で、深田久弥が歩いた尾根で、登山口がどことは記していないが、朳差岳を経て大日岳にも登り、飯豊山山頂を極め、牛ヶ岩山を経て五枚沢へ下っている。
百名山の本には飯豊山をイイトヨサンと呼んでいる村もあると記しており、草履塚や、御秘所の由来らしきことも書かれていた。
御秘所というのは、いよいよ神域に入る前に、神様に聞こえぬよう、ヒソヒソ話をしたというところ…ではないのですね。




こちらは、宝珠山を経て、飯豊山荘へ下るダイグラ尾根。
この尾根は登りに使うのはかなり厳しいそうで、主に下りとして使っているケースが多いそうだ。




この斜面下にはハイマツが茂っているが、何羽もの野鳥が戯れていて、だんだんとこちらに近づいてきた。
そのうちの一羽が3mほどの岩の上で首を伸ばしてあらぬ方角を見ているが、実際のところはこちらを警戒しているのだろう。
そっと、写真を撮ってみた。
イワヒバリだった。




本山小屋方面を振りかえりみた尾根。
小屋が見えている。




こちらは大日岳へと続く尾根。
牛首山から櫛ヶ峰、そして急激に落ち込むオンベ松尾根。




のんびりくつろいだのち、9:20、山頂を後にする。
右下には小さな池塘が見える。
最近まで雪を被っていたんでしょうね。




本山小屋まで戻ってきました。
妻の話だと飯豊山からこの間でイイデリンドウがあるらしいのですが、見つからなかったということは、咲き残りもなかったということのようです。
8月の早い時期に来ると、御西小屋への稜線のところでお花畑があって、ニッコウキスゲが咲いているとのこと。
さらにシラネアオイもこの山域のどこかの尾根で咲いているのを見ることができるらしい。

本山小屋トイレの避雷針。




坊主さんの話では、右手遠くに槍ヶ岳や立山らしいものが見えているとのこと。




大日岳とオンベ松尾根を振り返ってみたが、雲に隠れてしまった。




再び御秘所の岩場へ。
姥権現さんのお地蔵さんの裏を腰をかがめるようにしてヒショヒショッと静かに歩く坊主さん。
なにか悪いことでもしたのでしょうか。
それは…ナイショ。

少し休憩、お昼ご飯をおにぎり一個で済ます。




ヤマハハコ、オヤマリンドウ




イワイチョウと、シラネセンキュウでしょうか?こういうのはわかりません。




切合小屋に寄って、デポしていた荷物をザックに詰めなおします。
この間に、今朝から行動を同じくしていた静岡からのご夫妻も到着。
妻が小屋の外で賑やかに団らんしていた何人かの若い女性たちにちょっかいを出してます。
「わたし、ブロッケンを何度も何度も見たのよ、虹色の輪の中でわたしがいて、後光が差してきれいだったわ」
ブロッケンをまだ見たことのない女性たち、羨望の眼差しで妻を見て、羨ましそうな顔をしていた…ような気がしたが、どうだか。

坊主さんもテントを撤収、今朝のテントは結露で外も内も相当に濡れていたそうな。
ダブルウォールのテントで結露をみたわけだから、シングルのしかもツエルトだと、内側はびしょびしょでシュラフやカバーなども濡れてたでしょうね。
以前にも結露を拭き取ったことがあるのだが、雑巾代わりのタオルは何度も絞り、その都度、水がぐしょぐしょにしたたり落ちたという経験がある。

小屋の管理人の方にお礼を述べて、12:30、三国小屋へ向けて出発。
管理人さんはお二人いて、そのうちお一人は造船関係の仕事をしていたようで、四国の地とは馴染があるとのこと。
うどんも食べたし、金比羅さんにも行ったとお話しされていた。




今日、三国小屋でもう一泊するのか、それともそのまま下山してしまうのか、三国小屋に着いた時点で判断しようということになった。
切合小屋から三国小屋までの所要時間は1時間40分、到着予定時刻は14時10分プラスαで14時半、登山口までは歩き詰めで17時半、四国にはどんなに早くても翌日の朝方になってしまう。
徹夜の運転は疲れるな~、嫌だな~。




ガスが沸きあがる。

ゴマナ




岩場を下って、ミヤマコゴメグサの群生地へ。




七森を過ぎたところで、前方に三国小屋が見えてくる。
20kgをゆうに超える大きなザックを背負った男性と、73歳になる女性とすれ違った。
男性は女性のお孫さんだろうか、それともガイドさんだろうか。
切合小屋で泊まるか、それとも本山小屋まで行くか、思案しながら歩いているという。
飯豊山へのこのルート上には3つも小屋があるため、みなさんどこへ泊るか結構迷うものらしい。
小屋についてみて、時間と体力とで判断できるというのは、この山は結構恵まれた山だと思った。
わたしたちも三国小屋で泊まるか、このまま下山するか思案していると伝えたところ、明日午前中はお天気は大丈夫、泊まったほうがいいですねとの答えが返ってきた。

もう一日、小屋泊、ほぼ、決定です。
梯子を下って…。




やっとこさ、三国小屋へ到着。
時刻は14:27.
山全体がなんとなく湿気ってきた。
天気は下り坂だ。




小屋に入り、荷物を降ろす。
坊主さんは二階の空気が暖かいのでそちらで寝ることに。
わたしはトイレが近いので一階で寝ることにした。
やがて、静岡のご夫妻が小屋に入ってきて、同じくここで泊まるとのこと。

飯豊山は100名山中99座目だそうだ。
残る1座は日光白根山の南西にある標高2144m皇海山。
年齢は71歳と66歳。
達成すれば、また次の夢を、みなさんそうやって頑張ってます。
わたしも小さな夢を追って、コツコツと、ええ、その日一日一日を大切にね。

ラーメンを作って、寝る準備などをしていると、やがて外は夕闇に。
この小屋も本山小屋と同じく平日は管理人不在。
避難小屋として自由に寝泊りできる。
なんでも明日、小屋へ上がってくる予定になっているそうな。

明日は下るのみ、急ぐ必要はないのだが、小屋には電気がなく、暗くなると寝るだけ、
6時出発と決めて、夢の中へ…zz~


三日目へ続く

コメント (4)
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