むらくも

四国の山歩き

辻ヶ峰…愛媛県

2013-01-31 | その他<愛媛の山>

辻ヶ峰             つじがみね



登山日             2013年1月27日
標高              957.9m
登山口             新居浜市立川町道の駅「マイントピア別子」
駐車場             有り
トイレ             道の駅
水場              なし

メンバー            単独




年がいくと、なにもかも鈍くなる。
頭が鈍くなってるのはある日、孫との会話で突然に知らされる。
じいちゃん、しっかりしてや、そんなことも死らんのか…(いや、マチガイ知らんのか)。
あそこは浜寿司やで、スシローはゆめタウンの前やないか。
ちゃうちゃう、じいちゃんが言うてるのはゆめタウンでなくて、イオンやんか、ぼけてんのか。
お前、言葉が最近えらいきっついの~。
そんなん、ぼくの所為ちゃうわ、じいちゃんが悪いんやろ。
          ………

朝起きるとけだるい、今日は身体がしんどいの~、調子悪いわ。
2~3日も経って、やっと風邪を引いてることに気がつく。
こんなんじゃ、先々重い病気になったとき、気がついたら手遅れ、ひょっとしておっちんでる。

ある日山歩きをして帰ってくる。
普段にも増してちょいと頑張った。
翌日は、まったくどうもない。
調子よくて、身体もよく動く。
おりゃは、まだまだ若いぞ、どや、若い衆に負けてへんぞ。
ところが、翌々日辺りから、疲れがジワリっと出てくる。
その翌日にはもっとひどい疲れが一気に吹き出す。

しかし、人の話では、もっと年がいくと、こんなもんじゃないらしい。
友人たちと賑やかに温泉旅行にいって、帰宅してすぐに田圃に畑に家事にてんてこ舞い、その間孫のお守りもして、それでもどうもない。
元気なのだ、と思ってたら、1週間も経った頃に、寝込んでしまった。
ある日、転倒して、腰を思いきり打った。
どうもない。
ところがそれから2週間も過ぎて、痛みがジワッと広がりだし、とうとう耐えきれずに医者に行ったら、骨にひびが入ってた。

人生長~い下り坂、ピョピョピョ~ン。
だんだんと下り坂はきつくなる。
自転車で走ってると下り坂は気持ちがいいが、人生の下り坂は、気をつけてスピードを落とさないと危ない。
年齢に応じて、安全運転でゆっくり走りましょう。

というわけで、今日もお山へ。
行き先は新居浜市に聳える「辻ヶ峰」。



温泉が登山口にある山なんていうのは断然いい。
三嶺のいやしの温泉郷、高越山のふいご温泉、石立山の別府峡温泉、石鎚山と京屋温泉旅館、三本杭と高月温泉などなど。
ここ辻ヶ峰も登山口はいくつもあるようだが、別子ラインにある道の駅マイントピア別子には辻ヶ峰への登山口があってしかも温泉があるのだ。
素晴らしい。

6時半自宅出発-大野原IC-新居浜IC-7時40分道の駅マイントピア別子
端出場橋を渡って右奥の端っこに近い位置に駐車。
山側にはコンクリートの大きな構造物があるが、これが別子銅山の名残で元貯鉱庫のようだ。
その貯鉱庫のすぐ右脇にコンクリートの階段があって、ここが登山口となる。
登山口の道標はないが、「鹿森」という道標があって、その脇に竹杖が備え付けられていた。

なぜ、辻ヶ峰への案内板でなくて鹿森(しかもり)への案内板なのか。
この道の駅一帯は元もと別子銅山の端出場であったが、山側には当時300軒もの社宅があって、1300人もの人たちが住んでいた、そこが鹿森なのです。
神社や小学校・保育園などもあったらしい。
いまは石垣などの跡地が残るばかりで、ひっそりと静かだが、訪れる人は絶えないようだ。




8時8分、ゾロ目でスタート。
階段を上り、鹿森方面へ、そしてすぐの小さなトンネルをくぐってコンクリーの細い道を社宅跡へと登っていく。




社宅や小学校などの跡地である石垣がたくさん残っていた。
この社宅地が閉鎖されたのが昭和45年(1970年)3月だから、もうほぼ43年もの歳月が流れている。
傍らには記念碑と銅板のレリーフがあった。
木で作られた記念版には「鹿森半世紀会記念」として、東平尋常高等小学校鹿森分教場の卒業生の方たちのお名前が書かれていた。




鹿森神社跡へも立ち寄ってみた。
引き返して、山道を登っていく。
道ぶちには往時を偲ばせる釜跡や炊事場跡だろうかが残っている。



いくつもの分岐ではいいかげんな方向で適当に歩いた。
いきなりヤマドリが足下から飛び立つ。
キジと違って、鳴き声はたてずに羽根をばたつかせるだけだが、結構驚かされてしまう。

やがて石垣に「大永 辻ガ峯」と記された道標が目に入る。
それまでこの道で合ってるんだろうかと疑心暗鬼だっただけにホッとした。
綴れ折れに登っていくと、目の前が少し開けて、そこからは南東方向に石ヶ山丈と三の森が見えている。




道がちょっとややこしい。
左 土の峠 右 瑞応寺、ここが地図上の破線の分かれ道だろうか。
瑞応寺へ向かうとえらいこと遠回りになると考えて、左の土の峠へと向かう。
土の峠まで行ってしまうと、遠回りになるので、送電線に沿って尾根を登り稜線に出ればいいだろう。
そう考えた。
(実はこのとき一旦瑞応寺へと右に折れて、少し先のところに分岐があって、左の四電保線路を歩いて尾根へと向かえばよかったのだが、そんなこととは知らずに、左に折れてしまう。)

アングルの道標があった、この道は住友共同電力の道でもあるらしい。




鉄塔の奥には右に石ヶ山丈の尾根と、その左奥に上兜山辺りが見えた。




住友共同電力の送電線だろうか、は、奥の平方向へと伸び、その右上には先日に登った下兜山の頂が覗いている。




渓には鹿森ダム手前に出来た47号線の新しいループの道が見えていて、その真上には四電送電線が辻ヶ峰へと這い上っている。




このまま南方向への踏み跡を辿ると土の峠へと行ってしまうので、方向を北西に変え薄い踏み跡を追ってみた。
やがて四電の保線路に合流し、石垣が現れる。




再び「辻ガ峯」への道標が案内してくれる。




四電のアングル、結果としてこれをずーっと追っていればよかったのだが、なぜか木漏れ日のある明るい踏み跡へと入ってしまった。




だんだんと踏み跡が薄くなってきた。
やがて、行き止まり、そこは崩落していた。
上を見ても…




下を見ても…

高度計を見た。
755m、9時50分。
高度計はまったく合っていない。
実際は690m辺りだろうか。




仕方がない、崖を横切ってみようかとも思ったが止めた。
45度ほどの急斜面だが稜線めがけて直登しよう。
登っていると崩落地の方から落石の音がした。
カモシカでもいるのかと思って、様子をジッと伺ってみたが、崖に動く物はいない。

10:09、稜線に飛び出た。
汗がびっしょりだ。

やれやれ、気持ちのよい道が稜線を南北に走っている。




切り株に太巻きの赤テープと道標が施されているが、この道はやはり四電の道。
地図破線の御蔵町からの道との合流点のだいぶ手前に御蔵町への道標とテープがあった。




道標から10分余りのところで、幹に二段巻きのテープがそこら中に賑わしく巻き付けられている。
ここがどうやら御蔵町への尾根とマイントピア・瑞応寺への尾根の分岐口で、先ほどの道標は尾根から尾根への巻き道のようだった。

雪がじわりっと増えて来た。




10:38、登山口からジャスト2時間30分掛かって、山頂に着いた。
山頂は標高957.9mだが腕に巻いた高度計は1025m、67mも違うじゃないか、修正する。

しばしコーヒーブレイク。
脱いだシャッポから湯気が立ちのぼっている。

突然にズドーンズドーンと二発の鉄砲の音が、これから登る方向から聞こえてきた。
ビビッた。
どうしよう、進むの止めようか。
気が小さいというのと、おとっちゃまというのとどう違うんだろう。
単に方言の違いだけか?




ええい!
ままよ、鉄砲の弾は小さい、そう簡単には当たらんだろう。
11時、再び歩き出し、1242.7m三角点・桧ノ株を目指す。
辻ヶ峰直下の巻き道だろう、にぎやかに道標がくくりつけられている。

5分ほどで鞍部の四電90番鉄塔に到着。




辺りはカヤと灌木で茂っていたが、西から南にかけてのパノラマが広がった。




こちらは上兜山から西赤石山の展望。
兜岩にも斑模様で雪が被っている。




黒森山・沓掛山の頂も…近寄りがたい雰囲気だ。
右端の高いピークが1242.7m峰のようでした。

笹ヶ峰やちち山はぼんやり見えているが生憎ガスの中、こうしてみると随分と遠い。




銅山越の西に聳える西山とその手前の三の森。
89番鉄塔を過ぎる。

ズドーン!
止めてくれ~!

音のする方向をよくよく確かめてみると、どうも、足谷川からのようだ。
な~んだ、安心したわ。
それしても、鉄砲の音って、めちゃくちゃ近くに聞こえるもんだな~。




後ろを振り返ってみた。
茂った木の枝から、新居浜だろうか?町が見えた。

西条かも知れない。
徐々に痩せ尾根になってきた。




なんだこれは?
小さいがネズミではなさそうだ。
リスでもなさそう、ヤマネかな?

12:12、1089mPに達した。
目標の1242.7Pまで標高差にして154mほど、距離にして1kmあるかないかだろうか。
しかし、13時までに到着するのは難しくなってきた。




もう一度後方を振り返って見た。
海側に小さな山がのっぺりと見えている。
新居浜と西条の市境辺りの町並みだろうか。

シャクナゲの痩せ尾根だ、びっしり生えている。
岩場にぶつかった。
そのまま崖を上って直進しようかと思ったが、右に巻いた。
斜面がきつく、雪の量が増えた。
どうにか斜面を横切ると、テープが枝に巻き付けられていた。

人間て、似たり寄ったり同じルートを歩くようになっているらしい。




痩せ尾根に乗っかった。
標高おおよそ1120m、先端の小さな岩棚にどうにかして辿りついた。
景色は抜群。

西赤石山の白いピーク(写真の中央上)が見え、その手前に東平(写真中央尾根間)の建物が遠望できた。




西山から獅子舞ノ鼻。
奥には平家平と冠山。

時刻は12時35分。
上を見上げた。
痩せ尾根が続いている。
この時期にしては少ないとはいえ、だんだんと増える雪は歩く足には重い。
もう少し上に行けば、もっと展望が開けるとは思ったが、三角点までは無理なようだ。
ここで引き返すことにして、岩棚の上で景色を楽しみながらコーヒーでも入れよう。




歩いた道を戻った。
辻ヶ峰手前の鞍部、ここは四つ辻で峠のようだ。
道標には左に「治良丸」と「小味地」とあった。
治良丸は新居浜の高速道路近くのことらしい。
小味地はここから1時間以内のところにある小味地林道登山口のようだ。
右には「須領」となっているが、どこだろう?1089P真東にある足谷川麓辺りのことだろうか?

辻ヶ峰を左に巻いて、14:11、瑞応寺とマイントピアの分岐に来た。
瑞応寺は山根町にある。
別子銅山縁のお寺だ。
1694年日浦側の町で大火災が起きたが132名が亡くなられたその墓地と、1899年の大水害で513名が亡くなられたその墓地がこのお寺の東西にある。

マイントピアへの四電巡視路へと右に辿る。




さきほどの分岐からわずかに2分と掛からずに25番鉄塔に着き、ここから尾根を離れ、24番鉄塔を経てマイントピアへ下る。
この四電巡視路は朝歩いたルートとは異なり、快適な道だった。




朝見た三叉路に出た。
降りてきた道は瑞応寺からの道。
朝は右瑞応寺へ右折せず、左の土の峠へと左折してしまった、これがマチガイの元だった。
歩くなら、やはりすこぶる快適な四電の保線路に限るようです。

煉瓦造りの建物跡。




神社跡によってそのまま石段を下りていくと右手に浴場があった。
最盛期300軒1300人の方たちは、この浴場を利用していたようだ。
浴場は他にはなく、ここだけだったとか。

当時の町の中心地だった石段と、まわりの整然とした石垣。
お風呂セットを手に持って、なかには頭にタオルを乗せて、のんびりと歩く当時の方たちの姿が瞼に浮かぶ。




ほどなく駐車場に降り立った。
たくさんの車が止まっている。
どれ、わたしも温泉に…、一汗流して、ほっこり温まって帰ろう。




マイントピア別子登山口8:08-鹿森神社跡8:28-崩落地9:41-尾根10:07-御蔵道出合((注)地図上の破線合流地点)10:22-10:38辻ヶ峰11:00-979P11:28-1089P12:12-12:35H1120m12:59-瑞応寺分岐(尾根上での分岐道)14:10-四電25番鉄塔14:12-鹿森神社跡15:04-15:21マイントピア別子


※地図上左クリック→グーグルマップへ
(参考)往路は住友共同電力の巡視路(先ではヤブいており、道は不明瞭、崩落地あり)を辿ったが、復路は四電の巡視路(明瞭)を使って下る。

コメント (47)
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする