きもの整理、あるいは生前整理にあたり、
「捨て本」の元祖ともいえる「捨てる技術!」(
辰巳渚著・宝島社)を読んでみました。
200年の発行というから、もう15年も前です。
当時、ベストセラーになっていたのは知っていたけど、
特に興味もなく、
まだ着物にもハマることなく、
子育てと仕事の大車輪の毎日。
「捨てる」という境地にはほど遠かった。
あれから、月日は経ち、「断捨離」やら「ときめく」やら、
捨て本が大人気。
ご家庭内にそれだけモノが増えたからですね。
で、改めて拝読してみると、いや、この本、
のちの整理本の原点。
「捨てる」との志向は、ここから始まったのですね。
ワタクシが、一番「なるほど」と思ったのは、この一行。
わが家のいらない着物。何十枚
「--私たちは”もったいない”という美徳の名残りと、
モノの増殖という新しい事態のあいだで、困り果てている状態なのだ」
そう、高度成長期に子ども時代を過ごし、
これまでの古い家屋(炬燵、縁側、柱時計、火鉢、桐ダンスなどなど)の
あの汚れた色(当時はそう思った)がイヤで、
それらすべてから逃げようと上京してきた^^。
バブルという「買わなきゃ損、ソン」に踊らされながら、
モノを持つことが自己実現だと、疑念を抱きながらも、
古~い、遅れている、と言われるのがイヤで、ものを買いあさる。
それでいて、どこかに「もったいない」の心。
私自身は、一人身で子供二人を育てていたので、
バブルどころではなかったのですが、それでも子育てとは
モノが増えて当然の時期であり。
[捨てる」って、いろいろ余裕がないとできない
贅沢な行為なのだと思う。
学費ねん出で、毎年毎年、
自分の「欲しいモノは来年、買おう」と、
ずーーと我慢に我慢を重ね、
子どもから手が離れたとき、
きものにハマった。
その前に軽度だったけど、乳がんに
罹ったことも大きかったかな。
子どもが大学に入った途端に気が抜けた。
白状すると、子どもの大学の入学資金を前に
「これだけあったら、きものが何枚買えるのか」
との思いがかすめてしまったことも。
アブナイ、アブナイ。
「紙の月」(角田光代著)の主人公の気持ちがわかる?
まあ、そんなわけで、我慢に我慢を重ねた末の、
きもの増殖。
200枚近くあるのではないか。
安物なれど、数だけは身分不相応。
今度数えてみようか。
ウオーキングクロゼットどころか、息子のベッドの下にまで、着物ケースを入れて、
息子と険悪になったこともしばしば。
いやあ、「老いらくの恋」は恐ろしい。
で、捨てる技術!」のポイント。
☆ いつかは来ない。
☆捨てる基準を決める
それでも増えていくなら、基準があっていないので変更
☆後悔などしない。してもたいした後悔ではない。
確かに
~~とまあ、「捨てる」の考え方がずらり。
やはり元祖だけあって、納得の「捨て技術」
しばらくはこれをバイブルとして整理していくことにしましょうか。
わが家の唯一の鉄則。
「テーブルの上にモノは置かない」
これだけで少しはすっきり。
共通の場所リビングには,個人のモノは置かない。
モノのない場所は、やはり必要です。
気が向いたら
応援ポチ嬉しいです。
いつも楽しく読ませていただいています。特にお着物のお写真が素敵。
「物と別れる」って、本当に難しいですね。私は裕福な育ちではなく、大学の学資を稼ぐためにありとあらゆるアルバイトをしていました。ですから、成人式も出ず。着物もおしゃれな服ももちろん持っていず、いつも黒い服の着た切り雀でした。着物のモデルや成人式用の貸衣装のパンフの写真モデルはしたのに・・・・。親に言えば何とかしてくれたかもしれませんが、だからこそ言わなかったし、実は、着飾るのはさほど興味なかった。あの頃はその向こうに目標がありましたから。
それで、買えなかった頃の事を思うので、どんなものも、もったいないのです、今もって。
今は、大抵の物は買えるようになりましたが、昔の、貧しかった時の思い出の品々の方が、捨てられないのです。叔母にもらった服やハンカチなんか・・・。こういうのは死ぬまで捨てないでしょう。
かといって、最近買った物もなかなか捨てられない。
しかし・・・
沢村貞子さんに習って食器類は3つずつ残して施設に寄付しました。
着物は、リメイク可能はリメイク。他はやはり施設のパサーに寄付。洋服も同様。4着もある好きだったバーバリーのコート、でももう似合わない。これも寄付の予定です・・・。
長い間のキャリアウーマン(!)生活で、見栄も実用もかねて、買い続けた物たち。しかし、仕事を辞めたとき、未練も断ち切りました。仕事上の書物も本箱4つ分を図書館に寄付。
そして残ったのは、本当に着たい厳選したわずかな服と好きな着物と、そして、ユニクロ(!)などの実用衣料。そして、家族の思い出の品々。
家具もほとんどなく、家が広くなりました。
手放す時には、写真を撮ったものもあります。
私は、苦労していた貧乏時代の私にもどりたいのかもしれません。物は無くても、けなげで生き生きしていたころの自分にです。
これから膨大なレコードとCDをどうしようか考えます。
死ぬときは無一物になっていられたらいいですが・・・・。
いわゆるプチプラには魅かれはします。なんだか得したような気になるし。
でも、得するわけじゃない。消費には違いない。
私は安いものを買う時は、「これが高価でも欲しいだろうか」と考えます。何度も考え直し、たとえ高価でも欲しい、だから安い今これを買う、と思えた時に初めて買うことを考え始めます。
あと、20~30年したらこの世にいないかもしれないと思えば、賢く生きなきゃ、と思います。
素敵なコメントありがとうございます。すごくうれしいです。
このコメント、私一人で拝見するのは、それこそもったいないので、紹介させてもらってもいいですか。感動、参考になるお言葉がたくさんあります。
もちろんすべてではなく、私自身の思いも含めて、です。
父が亡くなった時に、父の遺品を整理していて、私が初ボーナスの時にあげたお年玉袋を大切に取っていてくれたのに気付き、ホントに大事なものはこういうものかも・・・と。そして、自分の生き方を見直しました。
それにしても、古布の素敵なこと。ほんとに活用したいですね、今の時代だからこそ。