地上の神さま!

衣・食・住・善・悪・罪・罰の狭間

価値と生きる

2017-03-21 09:27:33 | 

一度 これだけは、たった一度でも

自分の生い立ち、病気・・特に病気なんかはカミングアウトでもなんでもなく「言う」と「言ってしまう」と

今までの形は中々保てなくなる

病歴を持つ人には分かることかもしれない

だから皆 黙ったり何喰わぬ顔でそこに居たりする 私は、そうだった

池マキさんという札幌五区で落選してしまったけどこの人は父親のDVを活動中に声をあげていた

それを「自分の実父を罵る非常識でとんでもない女」だと叫んでたジャーナリストがいた

注意した私に「あなたの心象風景に興味はない、クソリプ、ネットをやめろ」という例のコピペのような

幼稚なリプがとんできた

ふざけてると思って見ると色んな人と普通にやり取りをしてる おまけに娘が言うには有名どころのジャーナリストだという

私は普通に思う       「馬鹿じゃないの」

何でも「それがネットというものだ」とか「それが社会の仕組みだ」とかいう言葉に時折 大きく反発する

それがどこから来る違和感なのか自分にも分からない時がある だけど反発せずにいられない気持ち悪い、許せない感情が出てくる

自分が正しいと信じ切ってるわけじゃない 自分のポリシーというやつで言ってるわけではない 湧いてくる抑えられないものとしか言えない

表現が賢かったら といつも思う 

こうやって書いててもどこかしこに誤解を招くことや完全に日本語が使えない自分が感情的より勘的に書いてることが多いから

それはそれは 見るも無残な必死な ○×△◎?言葉になってるかもしれない そうやって生きて来たから自分には殆ど分からないけれど

ツイッターを何度も止めてきたところには「空気よめ」という周りの白い目や呆れを感じずに居られなかったことが殆どだと思う

今のアカウントは何故か続いてて言いたいことやりたいことをやってる

知らない顔をすることはできたのに なぜ言った?

言ったほうが良いと思うときがあるから自分も誰かもそれが楽になれると判断する時があるから 何より事実と経験の上で考えるから

自分の責任において書いてきた 突っ込まれない事実を知ってることより言うことは言いたいよ私はという気持ちできた

それが 病気によって障害によって空気が変わると肌で感じることがある

私がなんでも言う、なんでもやってみるのは病気ではなく 多分身近な命たちと一気に別れてきた結果かなと思う

明日がどうなるか分からないことは、私にとって切実で 現実であること恐怖で絶望的な事実だということ

「大人になれよ」そう言われても大人の形が社会を理解することだとしたら 意識的に大人と認められなくて良い気持ちになる

「これ変じゃないの?」それを言うとふーんと聞いてる人興味がない人取り敢えず色んなリアクションがある

これが一度でも「精神障害」があります となると先ずはそこを踏んで見てくるという社会効果なのかリアクションは狭くなることを知った

これに反発することより「そうじゃないんだ・・」と言い続けていくことを選んでいるのは社会をある程度知ってるから

何より自分自身も一度も偏見を持ったことがないなんて言えない、差別と言われることもした記憶がある

人とはそういう生き物だ」そう思えるところがあり 「駄目」それだけでは説得していくことが出来ないとよく解るつもりでいる

出来るだけ他人を引き合いに出さず意識してきた 自分をベースにすることで迷惑から少しでも避けられる 責任も負える

「うぜええ自分語り他所でやれ」と言われたこともある

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最近思う こんな芥子粒に満たない自分がどんな影響があるか想像つくけど 大きな問題に係ることやサポーターとして何かを言う書くことは・・

ある場所によっては迷惑になるんじゃないか って  娘にも聞いてみた「そんなに人は見てないし気にしてないよ」と笑う

私には沢山のカテゴリーがあり 行き着くところは「生死」という共通点だけ

昨日と今日の問題は接点がない場合もある うまくブログを書いていこうと思うより

多分 私は今日、今、誰かが知ってくれる問題や誰かが楽になれるんじゃないか それを望みたい

「楽になれること」「苦しみから開放されること」人も動物も それが自分が楽になることだと分かってきた

それでも空気は やはり変わると思う

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池マキさんの今までにない選挙の公約や訴えに 生きた誰も傷つけない自分の体験を放った行動は 私は大きく受け止めた

DVに苦しむ人達の明かりになることが社会を建て直していく、動物たちを無駄に殺さないで済むことが社会の心の柔らかさになっていく

あまり気にしてもらえない「点と線」を何かで表現できること そういう人達があちこちに点在して広がっていくことが良いと常に思う

思うからこそ「このチャンス逃すまい」と思うことが多い 

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社会の中での「価値」「位置」が多くの差別を産んできたのはハッキリしてる

私は今も交通機関であからさまな態度をとられてる ずっと同じ 正直・・だいぶ慣れた

それでも一回一回心に傷はつく

「お前の傷なんか知るか。自己責任のくせに文句言うな。」これが昔からの差別の現状だと思う

いや・・昔はもっともっと酷かった 見るに堪えなかった

道端で障害者を殴る大人がいても警察すらこない呼ばない それが私の知ってる昔だ

足を引きずる真似をして笑う大人たちはそこらじゅうにいた 方や味噌、醤油を貸し借りすることもある

今は形が変わった 人権が歩きだしたけれど 傷つき、将来に希望が見えない貧困者、障害者の自死は増えてる

権利があってもそれを活かせる方法が行き止まりになってることもある 何より「努力しない」と暗黙で突かれる痛さ

社会に独り残ったら生きてく気持ちを直ぐ失える社会背景 権利との引き換えなんだろうか

そういう人が増えてるように思う 自分然り

精神障害や発達障害は今は普通に認知されてながら 通常じゃないことが差別をされても仕方ないという昔のような考えが実際は根付いてる

公式にでなく一般に根付いてる 公式は庶民をそこへ先導することもある

自分の手を汚さず そして言う「国民の意思で」

虐めも自死も伸びていく 皆は思う「自分は、絶対そうならない」と

自信満々に「障害者を削除したほうが皆喜ぶ、政府は特に喜ぶはずだ」と犯行に及んだ人間は病歴があるという

「在日は良い在日も悪い在日も殺せ」と叫んでいた群衆に病歴の話は出ていないけれど

犯行に及んだかいないかの差で意思は同じものだと思う・・「価値」にこれだけの許容範囲の違いがあるって本当に恐怖だ

通常と言われる生活をしてきた自分がこうやって転がってきて「価値」というものがどんなに壊れやすく作りやすいか分かってくる

何の根拠もない実態もない ただの価値観が その人の在り方まで障害で括る 特別なことじゃないアチコチで普通に見ること

今 改めて つくづくとしみじみと感じてる

それと同時に あの母のことで姉たちの事を考えなければいけないと思う毎日の葛藤・・

先日娘が「もういいかなって思う時がある」と聞いて 大変凹んだ

子どもから見れば私も同じだし 一人親家庭の中で希望をもつ機会はそうそう無かった

末っ子を見て笑ってることが今の私たちには何よりもの力

猫一匹で生きれる そういう価値観を持つものもいる



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