(-人-) しんろくざっき 

お坊さんランナー「しんろく」の雑記です。ジョギング・米原市近辺の情報・仏事に関する事など思い付いたままに書きます

日々、伊吹山ウォッチングをしています。

https://twitter.com/shin_roku

社会復帰間近

2015年10月06日 22時20分06秒 | 雑記
失業保険も今月末で打ち切りとなりそうです
平日6:00~8:30、15:30~20:30という仕事になる予定
その中抜け時間に伊吹山の行けるなと考えていると、体が山へと向かっていく

12回目の伊吹山へ
1週間前に親知らずを抜歯、それも落ち着いたので、行ってみるかと、さわやかな晴天にも恵まれ上々の山行でしたが、7合目あたりから疼きだし、山頂ではしっかりとした痛みに…

とりあえず

ソフトクリームで冷やす。
山頂気温15度、日光を浴びてないと肌寒いので、これもそろそろシーズンオフか
えびすやの前のベンチで座ってた食べ、休憩しているとゑびす屋の主人からチューペットをいただく。
ついにここまできたか、通ったかいがあったというもの



琵琶湖西岸の比良山系まで見渡せました。みごとな青空に巡り合うのも久しぶり、コゲラやヤマガラのつがいなんかも見られましたし、ほんとに(歯痛を除けば)よい登山でした。
帰宅後、即ロキソニン投与!

かの店へ

2015年09月10日 22時21分38秒 | 雑記
諸事情により、ふらふらしていられる時間があまり無いことになってきた
思い切って、かの店へ行くことにする。

前日に、店をやっているか電話で問い合わせる。用事や歯医者の予約があって、15時オープンと確認をとる。
台風による大雨の降るなか出発。豪雨の高速道路は危険なので、下道で草津まで行き、京滋バイパスから有料道路を利用することにする、野洲まで南下すると小雨で風もほとんどなく、第二京阪で、大阪は八尾市に入ると晴れ間もあって蒸し暑い。
八尾市内、ナビを見ながら向かう途中とても気になるものがあったので見に行くことにした

近くのコンビニに車を置き数分歩いていってのはあるお寺


門がしまってて残念でした。八尾市にとてつもなく親近感を覚えます。



14時前、3時間半かかって、目的地に到着。
訪れたのは、あの超有名喫茶店「ザ・ミュンヒ」


ドアだけ、シャッターが下り3時まで外出と貼り札があった。ついに「きてしまった」とツイートし、3時まで車内で仮眠しようとしたら、バイクの音が車のドアの横にマスターの田中さんが帰ってこられた「お待たせしました早く帰ってこれたのでどうぞ」。と、いやあドキドキである。



店に入る、150gの豆を50分かけて淹れるコーヒーを頂きに来たと告げる
抽出を見ながら、違うもの飲まれては?と田中さんの提案を受け、おまかせで2種類のコーヒーを頂くことにした。後はテレビで見た様子(ブロマイド、店のステッカー、メニューをいただくのも含めて)が目の前で繰り広げられていった。

14:35抽出が始まる


目の前に座り、話ながら、抽出。しかし、田中さん良くしゃべられる


抽出が始まって少しして、「スパルタンNo1苦みの超ストロング」が出てくる、名前とは裏腹に、苦くはなく、コク・旨味が濃縮したものすごいコーヒーが出てくる。カップは20万の古伊万里とのこと、持つ手が緊張します。


15:20ついに「超デミタスコーヒー苦みの苦みの甘味」の最初の1滴目が



15:45 ようやく1杯分がとれる


あれ、このカップは?底の裏を見ると、カフェドランブルの字が…聞くと、むかし買ったもので、もっとあったけど割れてしまって残り数個、ランブルでもほとんど割れてしまい、展示用でしか置いてないという、これまた希少なカップ、やはり持つ手が緊張します。


2番ドリップ(取っ手付きのカップ)も特別に抽出していただき、飲み比べ。


テレビや、目の前で抽出をみて、こんな感じの味では?と推測して、いざコーヒーに挑みましたが、いやはや、凄い・感動の一言でしか表現できません。
2時間ほど、田中さんとお話ししつつ、コーヒーを味わっていると、読売テレビのディレクターさんが訪問、「音力」という番組をミュンヒで撮影するらしく(放送は9月30日予定)、その打ち合わせが横で始まる、その話も興味深く聞き、会話にも混ぜてもらう。
そうこうしていると外は暗くなり18時前、かれこれ4時間近くも滞在した。田中さんと一緒に写真をお願いし、豆も少し買う。帰るのが惜しい、数年以内の再訪を誓う。


氷温熟成の1スプーンは次回におあずけ。

近畿道・名神を通り3時間半かけて自宅に帰る
11時間と、13000円かけて1件の喫茶店に行く。この酔狂で道楽な一日は一生の思い出になる。たとえ家族に呆れられようとも!

10th伊吹山

2015年09月04日 21時07分28秒 | 雑記
今年度記念すべき10回目の伊吹山行
かっとび伊吹に出場できず、このままでは夏は終われない
午後から予定が入ったので、早めの7:30伊吹薬草の里文化センターを出発で、一人だけのかっとび伊吹をする

つけたかったゼッケンと、今大会の参加賞Tシャツ


3合目前からの山の様子、この後ガスの中に突入する


6~7間、視界2mほどはある、涼しいので熱ダレがなくサクサクと進むことができる


8合目過ぎたところで不意に強い雨、木の下に入り雨宿り、3分足止め


毎回のお参りが欠かせない伊吹山寺も靄のなか、ゴール後ご挨拶


えびすやへ駆け込む、体が熱いうちにソフトをいただく


下り、5合目少し下ったところで、雨が降り出す。3合目東屋へ駆け込んで様子見をしていると、夕立のような強い雨が降って来る、私以外にも8人が東屋で雨が弱まるのを待つことになった


15分ほどして、雨が去ると急激に天気は回復、小川となった登山道を下りはじめる、どれだけ気をつけても滑ってしまう上に、日光が熱い。逆に登っていく人たちは大変だ。登山口までおりコーラを購入。泡が抜けてしまうので走るのもやめよう。のんびり歩いて、今シーズンはあと何回登れるかなぁそんなことを考えながらスタート地点に戻った。

ちなみに参考タイムは、1合目0:38 3合目1:12 G2:13 でした。



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先月行ったよる伊吹

2015年09月01日 11時08分26秒 | 雑記
門徒さんの結婚式を前に、撮影しそのまま差し上げようとSDカードを整理していたら、7月に夜伊吹をした時のデータがでてきた。FlashAirを買ってから、カードをあちらこちらへと抜き差しすることが多くなり、予備カードの中で埋もれてしまっていた。せっかくなので思い出しつつアップしたいと思います。

7月12日 夜伊吹
ヒメボタルをみて、小屋で一泊してみよう。と夜7時ごろより登山を行った。


夕暮れた後の伊吹山


大荷物を背負っていきます


1合目のゲレンデより


5合目は自販機だけが光っている


茂みからはシカの目が光る、5合目からずっと9合目まで、こんなのが離れたところに10匹以上いる、常に奴らに監視されている感じ。


キツネ、6~7合目のあいだ、よく馴れたキツネが3~5m前から、距離をとりつつ、先導してくれるような感じで一緒に登っていく。後日えびすやサンで聞いたら「こんちゃん」という名前で山頂にもよくやって来るらしい


野ウサギにも遭遇、まるでナイトズー


8合目あたりからの、長浜市の夜景


夜10時山頂到着、三角点。

山頂でヒメボタルを見たかったが、ガスと風があったためか茂みから出てこず、ほとんど見られなかった。
この夜は、唯一オープンしていた山小屋「対山館」でビールを買い、避難小屋(伊吹山寺)で仮眠をとった、初の小屋泊である、夜トイレに行くと、目の前をシカが走り抜けていった。


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かっとび伊吹2015

2015年08月31日 20時46分37秒 | 雑記

今年は、エントリー、受付、帰山人さんとトーク、出発見送りで終了
門徒さんの息子さんの披露宴と重なり、出走叶わず
あぁ、出たかった。
披露宴はまさかの4時間半!!もかかり、ある意味耐久レースでした。



参加賞のTシャツは3(か4)年前のと同じ?と思わせるほど似た色目。
来年は違う色、できれば赤系が欲しいところです

夏の自由研究

2015年08月28日 15時37分30秒 | 雑記
夏休みが終わり、子供の新学期がスタート、たくさんの宿題を学校に提出した。
それに対抗するわけではないが、私がこの夏の調べたことを、この場を借りて発表したい。40のおっさんの自由研究である


私が通った中学校の敷地にこういう看板が立っていた。
「伊吹山のような人になろう」
学校目標? 生徒目標? そんな感じだったのだと思う
中学生当時、どういう経緯でこの言葉を気にして記憶にしまい込んだのかはわからないが、私の中に強く残っていたようだ。30代になり数年前より伊吹山に何度ものぼるようになり、魅力に取りつかれると、その言葉がふとよみがえってきた。この言葉が自分のテーマ!みたいな気持ちになり、山行のたびに道々で、その言葉の意味をかんがえる
現在、学校に行っても、その看板はない。
今の生徒目標は「体を鍛えよう・頭を鍛えよう・こころを鍛えよう」自己研鑚を進める何ともありがちな言葉に替わってしまっている。


うちは、JAの職員が毎月末集金に来てくれる。昨年から同級生が来るようになり、最近は毎月末、彼に会い「最近どうよ」みたいな話をするのが楽しみとなっている。6月末の集金日の時、ラインで中学の同期のグループ作ったから入ってよと誘われた。看板のことを聞きたくて参加することにした。
挨拶から入り、一日空けた翌日、ズバリ聞いてみた
「『伊吹山のような人になろう』そんな看板あったことだれか覚えてませんか」?
・29人中4人が返答 4人とも覚えない・知らない
あとの25にんはどうした?それ以後追加情報もなくラインでの調査終了

そんなはずは、ということで知り合いに電話を入れたり、会ったりした際に調査に乗り出した
・姉・姉友人・弟・弟嫁…知らない…と親類一気に全滅
・法事の時帰ってきてた同じ村の5歳先輩女…知らないなぁ
・知人の奥さん20代…その言葉は知らないが、標語とか、やたら校内に貼ってあったのは記憶している。
う~ん、手ごたえなしかと思ったとき、地元の演劇関係で知り合った友人と集まって飲む機会があった。
・1歳下男 2歳下男…なんと二人とも聞いたことはある。が、看板を見た記憶はないとのこと
分は悪いものの、全く私の錯覚ではなく、看板が存在したことを匂わせる証言も出てきて、がぜん調べがいがでてきた

と、ここからコツコツと調べすすめて、当時学校で撮った写真に写ってるのを持ってるよ!みたいな人にたどり着くと、ベストなんですが、意外な展開を見せる

市の陸上大会に出場した長男を迎えに行ったときの事である、帰る前に顧問の先生に挨拶へと赴く、他校の先生と談笑されていた。そこに近づいていくと、その他校の先生が「おー○○○(しんろく本名)か、」中学校の時の先生に偶然出会った。
担任を持ってもらった先生ではなく、顔は覚えていたものの、名前が出てこない。しかし向こうはちゃんと名前を覚えている、30年近くの教師生活でかかわってきた何千人といた生徒のうちの一人というのに、教師恐るべし。
名前を思い出せなくても「先生」と呼べが会話できてしまうのでありがたい、で、尋ねたところあっさりと
「あった、あった。伊吹山のような人になろう。な、姉川のような人になろう。三島池のような人になろう。自然に学べやな。それがどうしたんや?」
「看板ってありましたよね」と聞くと
「あった、あった、いまはもう無くなってるやろ」
これだけの証言。もう、あったのはほぼ確実といっていい。
先生なんて名前だっけ、家に帰って卒業アルバムで確認しようとしたが、アルバムはどこにもなかった。

しかし、その後も聞き取り調査を続けた。
・盆参り、岐阜へ。転出した門徒さんの娘、5歳上女 知らない。
・お盆の托鉢後。学区の仏教会の総会時…若手住職3人に聞く。1歳上、2歳上、7歳上。3人とも知らない

こうしてこの夏の成果はここまでであった。




この記事は7月末ごろから書き始めて、本日(28日)14時ごろにはぼ書き上げた。
書き上げたところで、学校の校歌が読みたくなり、長男の生徒手帳を見せてもらって、思わず声を上げた

震災の地を巡る

2015年06月15日 22時31分52秒 | 雑記
すごく長くなってしまいました。が終いまで見てください。

真宗大谷派長浜教区では、東日本大震災以後「米から繋がる未来へ」という取り組みを行っています。今年の11月にも実施の予定で、それに参加させていただくことになりました。その一環で先日、被災地視察に行ってきました。

●9日 
朝6時、真宗大谷派長浜別院 「大通寺」に集合
今回参加するのは、長浜教区内の寺族・門徒・教務所職員 計11名
ミニバン2台に分乗し、長浜ICより約10時間、高速道路の人となる。

16時前インター降りる。伊達政宗のお出迎え
仙台駅近くの、真宗大谷派東北別院にはいる

所長さんに現在の教区内の様子などお話しいただき、この日は日程終了

●10日
朝より相馬の大野台仮設住宅にに向け出発、道中交流会用のバーべキューの資材食材を仕入れ、津波被害の大きかった荒浜、閖上を訪れる

がれきはなくなっているが、何もない、地面には膨大な数の建物の基礎だけが残っている。

津波に耐えた木

地域の避難所となり、ニュースで何度も目にした荒浜小学校

当事者の想い

水田の塩抜き(土のいれかえ)が終わり、コメの作付がされている。

沿岸わきの道路では、かさ上げ道路の建設が進む

海岸の防潮堤+このかさ上げ道路で次の津波の時に被害軽減を計っている

閖上に来ました。この山は高さ6mほど、さらに2mを超えて津波はおそってきた。

流された供養塔は寝かされたまま

工事関係のダンプはひっきりなしに往来している。

ガイガーカウンターを渡される、閖上では毎時0.03マイクロシーベルトくらい
国の言う安全基準が毎時0.23マイクロシーベルト以下(年間で1ミリシーベルト)
相馬に向かいます


あちこちで除染作業が行われています。ごく当たり前の風景となっている。ピンクののぼりは除染作業中のしるし
昼間の帰宅が認められた商店街を通るもすべてシャッターが下り見かけた人は除染作業員だけ

金融機関の窓には「お・か・え・り・な・さ・い」の貼紙も

除染土の仮置き場、無数の黒いトン袋が山積みこういったのが何か所かあって、そこに運び込めない物は除染した場所にそのまま置いてあって、仮置き場への移動待ちとなっている。

除染土を運んでいるダンプカーの後ろを走っているとき、ガイガーカウンターの表示が0.6。車外に出たら1はあるでしょうといわれた。そういった場所で除染作業を行っている人たちは?


原町別院に到着、震災当時の様子、境内の除染作業の様子など

救援本部 福島事務所が併設され

食べ物の放射線量を図れる機材を積んだ車両が配備、食の安全確保は深刻な課題

支援米も随時届いています。

小高地区に行きます。

津波の被害を受けた家ががそのまま残っています、中はツバメが巣をかけています

まがったままの電柱


相馬市大野台第7仮設につきました。ここでバーベキューパーティーをして、暮らしている方と交流します。

新参かつ若輩者の私はひたすら焼き役に徹していました。

日が暮れてからはもっと多くの方が参加してくれました。
16~20ノンストップで続きます。片付けの後は、相馬市内のビジネスホテルに泊、この日の日程は終了

●11日
相馬から仙台に戻ります。


午前の限られた時間の中でニッペリアグラウンド仮設住宅を視察

自治会長さんと車座になり被災当時の様子、仮設ができてから今までの推移などお話しいただきました。

11:00出発、再び高速道路の人となる。

天気も良く、奥羽山脈の山々を眺めつつの帰路
21:30に長浜に帰着。

今回の様子は、お世話になった「東日本大震災 現地復興支援センター」のブログでも紹介されています。
 

最近の頑張り事

2015年06月03日 12時24分54秒 | 雑記
大型二種につづいて資格武装第二弾
現在10日後の簿記3級試験に向けて勉強をしています。高校生が受けるくらいだから簡単だろうと思ったものの、吸収力・柔軟性の失われた40の脳には難解で、1か月たっても60%しか進んでいません。
先週から、図書館に数時間こもったりして追い込みをかけ始めてます
今日も朝よりジョイ伊吹の図書室で3時間篭り。今、併設レストランでランチ休憩、午後も2時間程頑張ります。伊吹山の懐にて勉強三昧の日々です。


また、私の所属する教団の、長浜教区では
東日本の震災以来「米から繋がる未来へ」という支援活動を行っています。
ずっと興味がありまして、お手伝いしていなと思っていました、今年はこんな感じで毎日ブラブラしているので、教区事務所に問い合わせたところ、是非ともということで、11月に行くことになりました。
それに先駆けて、6月9~11現地視察と交流会もあり、これにも参加することにしました。
どちらも、費用自腹ですが、やってみたかった事が気軽にできるのも、今のうちなので!

変わったバイト

2015年03月16日 21時25分46秒 | 雑記


次の統一地方選挙、滋賀県議議員選挙の期日前投票立会人一般公募があり、申し込んだら通った。4/7の8:30~18:00、一日だけ、手当は¥9500(源泉徴収有)

内容は、1日会場に詰め、期日前投票が適切に行われているかどうか見届ける
座っているだけにならないよう、頑張りたいです。

期日前投票の初日、最初の選挙人が投票する際に、投票箱の中が空っぽということも確認するみたいなので、(本投票日の選挙会場でも最初の投票の際は箱の改めが有ります)選挙人としてそれを見たいなとおもいます。