11

11

健軍神社でおみくじを引いた。

2016年01月05日 | Weblog

正月の我が家の定番。熊本市の健軍神社にみんなで参拝。

京都から帰って来た時、神社の真横のマンションに住んでいたのだ。その時からの参拝だからもう20年以上は続けている。基本、占いなど信じない僕だが、年に一度だけ健軍神社のおみくじを引く。1回100円なり。100円ぽっちで、自分のその年の行く末が占えるなんて安上がりで助かるわけなのだけど、それが結構、的を得た内容でタメになるのである。

去年引いた内容がこれ。

「難儀苦労のあるときばかり、神の御袖にすがる気か」
(しんどい時ばかり、神様にすがって何とかしてってお願いする気が君は!)

「難儀な時の神だのみ、平素は一向に振り向きもしないで、人の力の及ばぬ苦しみに行き合わすと、俄かに神様神様と騒ぎ立てる。神様も可哀そうだと思し召し、御助けなさって下さるでしょうが、私共は平素から神様を敬い、其の御心に叶うよう正しい行いをしておかねばならぬ。」

(きつい時だけよう、神だのみ。普段はぜんぜんっ振り向きもしないでさ、自分の力がこりゃ足らん、こりゃ負けそうだぁという時にだけ、神様、神様、一生のお願いだけん、助けて!と大騒ぎしやがる。神様もあんたのこと、あまりにもバカで哀れだと思って助けてくれているわけだけど、だから普段からさ、神様をリスペクトして、感謝して、そこまで心配してくれている神様に恥ずかしくないよう、ちっとはまじめに暮らしてみな!)

…毎回毎回、ここのおみくじはこんな感じでフレンドリーなのだ。
で、中吉。

ほんで、今年の内容は・・・

「よいも悪いも神まかせ、うけたお役目ひとすじに。」
(ええも悪いも、神さんにまかしときなはれ。あんたは与えられた仕事を精いっぱいするだけや!)

「よい事が悪くなるか、悪いことがよくなるか、行く先の事は容易に見分けのつくものでない。されば徒に目先の出来事をくよくよと思いわずらわず、よいも悪いも神様におまかせをして、唯、ひたむきに受けた勤めを根から精一杯はげむがいい。きっと神様は御助け下さいます。」

(よい事が悪くなるか、悪いことが良くなるか、ほんとは誰にも分からんのだ。だったらさ、君。もう目先のことにくよくよしなくて、なあんも考えずに、バカはバカなりに一生懸命やってみなよ。神様はさ、そんな君をきっと助けてくれるさ、グットラック!)

で、位は大吉だった。
去年の内容よりもちょっと前進した内容で、ほっとする。

で、みんなはどうかと気になるが、
今春高校を卒業する娘がなんか、おみくじを読んで少し、固まってる感じ。

彼女は…何故かうちが農家でもないのに、農業高校への道を歩み、酪農家でもなんでもないのに、畜産課を選んで早朝から牛の乳搾りや養鶏に取り組んだ、今後も波乱万丈の予感がする彼女の…なんとおみくじの内容が、去年の僕のおみくじとまったく同じものだった。

親子で2年連続、神様に「難儀苦労のあるときばかり神の御袖にすがる気か」
と、叱られてしまった。(苦笑)

とりあえず、木の枝に結んでおきなと、指示して帰路に。
おみくじなんて、当たり前のことを当たり前に書いてあるだけなのだけど、
年の初めに、ちょいと深読みして、まぁ気を引き締めようてなわけだ。

正月、神社の境内でおみぐじ片手に何千、何万の人々が自分の運命に思いをはせ、悲喜こもごもの時間を過ごすのだ。

で、昼過ぎになっても続々と通りから神社へ参詣にあふれる人々の列が途切れず、
入口の鳥居前の信号を渡るにも時間がかかるのだけど、その鳥居に真向かいに、ひっそりたてられた石碑があり、その前に立つと、参詣のざわめきがぴたっと止んだように僕は感じた。

その石碑は明治10年2月、西郷隆盛が起こした西南戦争を応援するために結成された熊本隊の出陣の記念碑なのだ。明治維新で世の中変わると思いきや、政治の後退、腐敗が目に余り再度武士の世を夢見て結成された熊本隊、総勢約1,400名。出陣にあたっては健軍神社に神楽を奉納し、いざ戦場へ。戦争当初は戦を優勢に進め、政府軍を苦しめるもその後、後退。敗走につぐ敗走で、熊本隊もとうとう滅びてしまった。

武士の時代の終焉。死を覚悟した連中の舞う神楽とはどんなものだったのだろう。人の生き死がかかる場所にリアルに出くわすと、やはり緊張する。彼らも、おみくじを引いたのだろうか。



コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。