真央選手、おかえりなさい!お疲れ様でした。
おいしいものをいっぱい食べて、世界選手権に向けてじっくり練習ができますように・・・。
マスコミさん、追いかけ回さないでね!
五輪=浅田真央が帰国会見、現役引退は「ハーフハーフ」
ロイター 2月25日(火)16時56分配信
[東京 25日 ロイター] -ソチ五輪のフィギュアスケート女子で、ショートプログラム(SP)の出遅れをフリーで巻き返し6位入賞を果たした浅田真央が25日、都内の日本外国特派員協会で記者会見し、現役引退について「今のところハーフハーフ」と揺れる胸の内を明かした。
金メダルが期待された浅田は、SPで思うような演技を見せられず16位と大きく出遅れ。それでも翌日のフリーでは、自己最高点をマークし6位に入った。
SP後の心境を「気持ちがどん底まで落ち込んだ」と振り返った浅田は、「フリーは不安や恐怖心があった。それを乗り越えての最高の出来だったのでホッとし、うれしさのあまり最高の気持ちになった」とコメント。
フリーの演技後に流した涙については、「本当は笑顔が良かったが、前日の気持ちも消えたわけではなかったので、泣いてしまった」と語った。
現役引退に関する質問が飛ぶと、将来のことは「落ち着いて考えたい」とし、「今のところハーフハーフ」と答えるにとどめた。浅田は3月の世界選手権に出場する予定になっている。
浅田真央選手 外国特派員協会会見(+ 再生リスト)
最終的には自分の目標としている演技をすることができた
皆さん、こんにちは。浅田真央です。今日は、少し、事故渋滞で遅れてしまいました。 今日はたくさんお集まりいただきありがとうございます。先ほど、ソチから成田に、日本に帰ってきました。
ソチオリンピックは、最終的には自分の目標としている、目指している演技をすることができました。でももう一つの目標として、メダルという形で、メダルを日本に持ち帰ることはできなかったことは、今でもとても残念ですし、悔しい気持ちでいっぱいです。
今日はよろしくお願いいたします。
―浅田選手は、プルシェンコさんなどだけではなく、世界中から高い賞賛をうけました。大きな影響力を得たと思いますが、将来その影響力をスケート以外の分野で発揮するとすばらしいと思うのですが。(フリーランス)
私は、将来のことはまだ何も考えていないのですけど。
本当にたくさんのスケーターの方がショートの後は心配してくださって。そして、「ガンバレ」というメールをたくさん送ってくださって。翌日のフリーで期待に応えられるような演技が出来たことは凄く嬉しく思っています。
―キム・ヨナ選手は長らくライバル関係にありましたが、お互いに尊重しあうような関係だったと思います。日本と韓国という国もライバル関係にありますが、近年は必ずしも尊重しあっているとは言えません。両国関係を改善するためのアドバイスや考えはお持ちですか?(海外メディア)
私から何かいうことは出来ないと思います。でも、私とキム・ヨナ選手はライバルとしてたくさんのメディアに注目されてきましたが、リンクを離れれば普通にお話をしたりとか、普通の選手だったり、友だちのような関係だと思っているので。私から何かいうとかそういうことはできないと思います。
―フリーのプログラムを滑り始めたとき、何を考えていましたか?そして素晴らしい成果を出し、涙を流したときには、何を考えていたのでしょうか?(海外メディア)
やはり前日のショートで、本当に自分の気持ちもどん底まで落ち込んでしまっていたので。そこからのフリーだったので、もちろんすごく不安や恐怖心があったんですけど、それを乗り越えて、自分の最高の出来だったので、ホッとしたのと、嬉しさのあまり自分でも本当に、最高の気持ちになったから。
本当は笑顔が良かったんですけど、前日の気持ちも消えたわけではなかったので、ちょっと自分でも…泣いてしまいました。
―アラビア語では「アサダ」というのは「メスライオン」を意味します(笑)。我々の国では、砂漠が多く氷が少ないため、スケートをあまりしません。文化的に、氷を恐れるようなところもあります。なのでオリンピックを観ていて、選手が転んで氷上に身体を打ち付けるような場面を目にするとすごく痛そうに見えるのですが。(海外メディア)
自分が転ぶと思って転ぶときはまったく平気なのですが、 自分が転ばないと思ったときに突然転ぶとメチャクチャ痛いです(笑)。
―今後のキャリアについては(海外メディア)
私自身、去年だったと思うのですが、「集大成」という言葉を使って、報道でもたくさん取り上げられることになってしまったのですが。私自身この一年間、ソチオリンピックまで「集大成」という気持ちでやってきましたし、今回のソチオリンピックのフリーでは悔いなく、最後終わりたいという気持ちでスケートを滑って、今悔いなく終わった気持ちでいます。
でもまだ、試合はこの後も一つ残っているので、まずそこでしっかりもう一度最高の演技をしてから、自分の気持ちと向き合って今後考えていきたいと思っています。
―森元首相の発言については傷つきましたか?聞いたときの気持ちは?(海外メディア)
(笑)。もう終わったことなので、なんとも思っていないですけど。聞いた時は、「あぁそうなんだ」と思いました。(笑)
現役続行の可能性については半々
―インターネット上でフランスの選手が“変顔”の写真を出して話題になっているが、 あれはどういう状況になっていたのか?(国内メディア)
あの写真は、エキシビジョンのみんな自分の出番が終わった後に撮ったのですが。
みんなそれぞれ自分の大きな大会が終わって、達成感があった中での一枚だったのですが、最初は普通に笑顔でとっていて、その後に、誰かが「変な顔をしよう」という話になって撮って、それが皆さんの画面に入っていたんではないかと思います。
―「ショートの失敗があったからこそフリーの演技ができた」というのは、なかなか言えない台詞だと思うが、こういう考え方については、誰かから影響を受けたのか。
私はショートが終わってから、本当にたくさんいろいろ考えたんですが、なにか「これ一つ」というのはではないと思っていて、私自身いままでたくさん経験してきて、ショートが良くない中でフリーで挽回したこともありましたし、もちろんコーチの言葉や、いままで支えてくださった方の言葉や皆さんの期待や「自分もできる」と思ってやることをがやっぱり自分の気持ちを復活させることができた理由かなと思っています。
―トリプルアクセルにすごくこだわっているように見えるが、違う方法でメダルを追及しようと考えたことはないのか?(海外メディア)
私は小さい頃からずっと伊藤みどり選手に憧れて、「私もみどりさんの次を継ごう」と思い、トリプルアクセルにずっと挑戦してきました。
トリプルアクセルは私自身を強く持たせてくれるものでもありますし、私が試合で挑戦して、それを成功した時は、達成感でいっぱいになります。なので、今年もトリプルアクセルにずっと挑戦してきました。
今回フリーで、トリプルアクセルはずっと入っているものだったので、トリプルアクセルを飛ばないという選択肢はなかったのですが。やっぱり、私自身トリプルアクセルが一番の見せ場だと思っているので、それは絶対にはずすわけにはいかなかったです。
―鈴木明子選手が、Twittr上で写真を上げていたが、これはどういう状況で撮ったのか。また、他の選手とは開催期間中、どんな雰囲気だったのか?(国内メディア)
この写真はフリーが終わった日の夜にみんなで撮りました。 選手村の中のお部屋で、フリーが終わった日だったので集まって、一緒にお話をしたり、お菓子を食べたりして、みんなで記念撮影をしました。
今回、日本からもたくさんの選手がでていたんですが、無事に終えることが出来たので、凄くほっとしています。選手村でもよく一緒に話したりとか、食堂などでも会ったら、みんな一緒にご飯食べたりとか、そういう感じで過ごしていました。
―ソチオリンピックで学んだことと、現役続行の可能性をパーセンテージで。(海外メディア)
私はこのオリンピックで本当にいろんな感情をたくさん、本当に悔しかったり、本当に最高の気持ちだったり、本当にたくさんあじわったのですが、今まで以上にすごく充実した試合だったとは思っています。
でも、やはりショートでああいう結果になってしまって、自分も悔しかったのですが、自分も強い意志をもってあきらめなければ、自分の目指しているものができるんだなということを改めて強く感じることができたので、今後の自分の人生にもそれが生きてくるのではないかと思っています。
今後については、一応まだ試合が残っているので、その世界選手権でショートもフリーも両方そろえられるようにして。その後にはショーがあるので、そこで全国の皆さんに感謝の滑りをして、それから自分でしっかり落ち着いて考えたいなと思っています。
―パーセンテージで言うと?(海外メディア)
どうですかね。うーん。今のところハーフハーフぐらいです(笑)
―アスリートとして、オリンピック選手として、森元首相の発言をどう思いましたか?オリンピック委員会の会長としてふさわしいものだったのでしょうか?(海外メディア)
私自身、 それを聞いた時は終わった後だったので、「あぁ、そんなこといっていたんだぁ」という風には思ったんですが。
まぁ人間なので、それは失敗することもありますし、「しょうがない」と言えば、そうではないと思うのですが、やはり自分も失敗したいと思って失敗しているわけではないので、それはちょっと違うのかなとは思ったんですが。
でも、森さんはそういう風に思ったんではないかと思いました。
―森さんは、後5年間会長を務めるわけですか、日本人はそれに耐えられると思いますか?(海外メディア)
(笑)。私は、今別になんとも思っていないですけど、たぶん森さんは、ああいう発言をしてしまったことについては、今後悔しているんじゃないかなと少しは思っています。
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五輪閉会式で“真央メドレー”ソチ&バンクーバー使用曲流れる
デイリースポーツ 2月25日(火)6時59分配信
第22回冬季五輪ソチ大会は23日夜(日本時間24日未明)、ロシア南部ソチのフィシュト五輪スタジアムで閉会式が行われ、17日間燃え続けた聖火が消えた。フィギュアスケート女子の浅田真央(23)=中京大=は、競技人生最後の五輪のフィナーレを笑顔で楽しんだ。
人生最後の祭典のフィナーレを、心ゆくまで楽しんだ。ロシアと日本の小旗を持ちながら、真央は満面の笑みで仲間と行進した。4年に1度の祭典で、唯一心の底から楽しめる時間。カメラを向けられると、高橋大輔や町田樹、鈴木明子や村上佳菜子らフィギュアの仲間とみんなで一緒にジャンプしながら記念撮影に納まった。
金メダルに挑んだ銀盤での戦いでは表彰台に届かず6位に終わったが、この日は演出用に配られたメダル形の電飾を首から下げた。童心に帰ったように、はしゃぐ真央の姿があった。
「世界中が一つになったと思いました」
真央にとっては、うれしい“サプライズ”もあった。式典の中盤の演出で流れ始めたのは、ロシアの作曲家ラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」。この五輪を彩った“伝説の4分間”、トリプルアクセルを決め「人生最高の滑りができた」というフリーで使用した曲だった。
真央選手、この曲をじっくり聴いてるのかと思ったら・・・
↓ これを撮影していたのですね。
さらに直後には、バンクーバー五輪のショートプログラムで使用したハチャトリアン作曲の「仮面舞踏会」も五輪スタジアムに響いた。まさに“真央メドレー”ともいえるファンの心をくすぐる選曲で、名演技の記憶が呼び覚まされた。
「最後」と決めて臨んだ五輪。夢見てきた金メダルには届かなかったが「最高の演技ができた」と話すように、悔いはない。今後は25日に帰国。少しだけオフをとって、現役生活最後の試合となる可能性がある世界選手権(3月26日、さいたまスーパーアリーナ)に向けて練習を再開する予定だ。
ただ、聖火が消える瞬間を見届けると、少しだけ胸が締め付けられた。「終わってしまって、寂しい気持ちがありますね」。夢への挑戦を終えた23歳は、そうつぶやくと、漆黒の空を見上げた。
みなさん、お疲れ?
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2014/02/21
彼ひとりの夜にとっての浅田真央
浅田真央選手が4回目か5回目のジャンプを成功させたあたりから、自分の目から涙があふれ始めたことに彼はびっくりした。
それほど強い思い入れがあって、彼は浅田選手の演技を観てきたわけではない。ソチ五輪が開幕して以来、連日の夜中の五輪観戦で寝不足になり、体の調子がよくなかったので、前日のショートプログラムはテレビでのライブ観戦をあきらめて早めに寝た。
フリーも録画でいいかなと思っていたが、ショートの結果を知って気が変わった。午前1時にめざまし時計をセットした。
どうして気が変わったのか、彼自身にもわからない。いま思えば、何かの巡り合わせを感じたのかもしれない。
彼にとって冬のオリンピックのいちばんの思い出は、8年前のトリノ五輪の女子フィギュアスケートだった。
フィギュアという競技に特別の思い入れがあるわけではない。たまたま彼の母親が大きな病と闘っている最中に行われた五輪で、日本がたった一枚のメダルを獲得したのが女子フィギュアだったのだ。
トリノ五輪の前年の秋、彼の母親は突然、病に倒れた。家族が現実として受け止めることもできないほどのスピードで病状は進行し、五輪が始まったころには先行きの希望もあまりもてないほどになっていた。
イタリアのトリノで行われたその五輪は、日程を重ねるごとに日本で応援している人々を重いムードが覆っていった。スピードスケートやスノーボードなどでメダルを期待された選手が次々と敗れ去った。
荒川静香選手がショート3位でフリーに挑んだのは、そんな空気の中で迎えた大会14日目だった。その時点で日本のメダル数がゼロであることは彼女には無関係だが、メディアは「絶望的な不振のなかでの最後の望み」と構図を記号化する。荒川選手が実際にプレッシャーを感じているかどうかはともかく、そうした演出がほどこされた状況で彼は女子フィギュアを観戦した。
あのときも、観ているうちに彼は泣けてきた。荒川選手が演技が終えたときには、心が震えるほど感動した。なんでだろう。フィギュアという競技については「ど」が1億個つくほどの素人だ。演技や技術の何がすごいのかはわからない。トゥーランドットの旋律にやられた面もあるだろう。
でも、要はおそらくこういうことだ。
打ちひしがれていた日本に荒川選手が最後の最後にメダルをもたらした。それも金色の。絶望のなかに差した一筋の希望の光。そこに彼は母親と自分を重ね合わせた。
母親はトリノ五輪の数カ月後に息を引き取ったが、冬のオリンピックが来るたびに、イナバウアーで語られるあの日の荒川選手の4分間の演技を観ていたときの心の震えが彼の内によみがえる。
今回のソチ五輪は、よりによって彼自身が大きな病気をわずらったばかりだった。仕事に少しずつ戻れるようにはなったが、たまに病院へ行って部分的な治療は細々と続けている。病気と冬の五輪。やれやれまたかよ、と彼は8年前を思い出してひとりで苦笑いした。
そのせいでドラマを予感した、なんてことはもちろんあり得ない。でも浅田選手のショートプログラムの点数と順位を知ったとき、彼は理由もなく、自分自身でもまったく説明できないままに、しかしほんとうに思ったのだ。この夜の彼女のフリーをライブでテレビ観戦しないときっと後悔すると。
そこで跳ぶものにしかドラマはつくれない
もうひとつ、浅田選手がこの五輪を一体どのようなかたちで終えることができるのか、強い興味がわいたということもある。
ショートの結果は、本人やファンやフィギュア界の人々にとって衝撃だっただけでなく、メディアのドラマツルギーが用意したどんなシナリオにとっても想定外のはずだった。
彼は、フィギュアスケートとはまったく種類の違う別のアマチュアスポーツの専門誌で、記者を6年間務めたことがある。大学や実業団や高校の選手やチームに密着し、国内外へ取材に出かけた。別な会社の週刊誌に移って20年近く編集部にいた間も、志願していろいろなスポーツの特集や取材をよく担当させてもらった。
彼からみると、日本の新聞(スポーツ紙と地方紙はとくに、全国紙もしばしば)とテレビは、試合と選手を物語で回収しようとしすぎる。苦しい環境で苦労してサポートした父と母、孫のオリンピック出場を楽しみにしながら亡くなったおじいちゃんやおばあちゃん、恩師やコーチとの葛藤、けがや病気で五輪のメダルやキャリアをあきらめかけた日々…。
競技者としての選手の個性にもスポットライトがまったく当てられないわけではないが、情報のパッケージとしては、選手は天才少年・少女でスタートする起承転結の型にはめられ、その時点での頂点である大会や試合で完結する感動のストーリーとして読者・視聴者に消費される。
日常的に話題になることが少なく、名前を聞いたことすらない選手にも短期間で読者・視聴者になじんでもらわなければならない五輪はとくにその傾向が強い。
ただ、そうしたメカニズムから超越したポジションにいるようにみえたのが、浅田真央という選手だった。
彼女のお母さんが亡くなったとき、フィギュアスケートのファンを中心とした人々がツイッターで、その死を「浅田選手が背負った悲劇」と安易でセンチメンタルに扱うことを猛烈に批判し反発していたのを、彼は印象深く記憶している。
実際、この4年間、いや8年間、金メダルに挑戦することが当たり前とされ続け、夏季五輪の種目と比べても格段にふだんからの注目度も露出も大きい女子フィギュアのトップスターである浅田選手に、今さら思い出アルバムや陳腐なプロットを用意しても仕方がない。説明されるのは、「金メダルで有終の美」という結末だけだ。
五輪前の報道では、トリプルアクセルへのこだわりや今シーズンの戦績と内容の振り返り、韓国のキム・ヨナ選手やロシアのユリア・リプニツカヤ選手との対決の見どころに触れる程度のものが多かった。マスコミもそうするしかないようにみえたし、それがこれらの年月のうちに醸成された浅田選手へのリスペクトであるようにも感じられた。
その浅田選手が、感動のドラマのエンディングというシナリオを破綻させる状況に置かれ、そのことによって逆に誰も予想しえない別なドラマの舞台が突然現れるという、なんともパラドキシカルで御し得ない場所に立たされた。
気持ちの整理など準備に費やせるのは24時間もない。どうするのだろうか――。それもあって、彼は迷いもせずにめざまし時計をかけた。
浅田選手がそこで見せてくれたのは、ありとあらゆる予定調和的なものを吹き消し去るようなクロージングだった。金メダル、銀メダル、銅メダルでは測って称えることのできないものもオリンピックでは実現されうることを、観ていた人々はあらためて知らされた。
ファンのために、支えてくれた人々への恩返しとして、そして自分自身のために滑り、成し遂げられたことがうれしいといったことを、彼女は演技後や翌日のテレビで語っていた。スポーツにおけるドラマとはほかの誰でもない、競技者自身だけがつくり出すものであるということを浅田選手は示してみせた。
母親のときと同じように、その夜の演技に彼は病気をわずらった彼自身を重ねて光を見ようとした。同時に、浅田真央という選手の偉大さを(今さらながら)理解できたような気がした。その二つが彼を涙させたのだろう。
彼は、つまり僕はいま、このオリンピアンを今まで以上に、心から尊敬している。