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男ヤモメになり、熟年再婚この話題多くなります。表題通りのブログです、建前排除聞こえの良い話しは少ないです。

僧侶 お寺の困窮は自業自得?宗教家は怠慢、何をやっている!特に仏教は葬式仏教

2017年01月06日 | その他
当方、無事再婚しまして、今ハッピーな生活しています。
妻が亡くなってから 今約2年弱。
当時書こうと思っていたことがやっと書けるようになりました。

グリーフケアという言葉御存知ですか?
配偶者、家族を喪った人々の悲しみを癒すことです。
当方も妻を亡くし2~4月後は筆舌に尽くし難いものでした。
この悲しみをどうしたらいいのだろうと、一日中、ネットでグリーフケアを検索していました。
グリーフケア協会、グリーフケアのグループ、グリーフケアの過程、若干大学のグリーフケア研究所
当人の体験ブログ等、様々なサイトにヒットし拝読しましたが、不思議に既存大宗教のサイトにはないのです。
(本当に配偶者を亡くされた方は皆さん、大変な悲しみを背負って生きていらっしゃいます。是非、検索してみて下さい。
そして一読、配偶者を亡くしたものがどれほどの悲しみ、喪失感か徹底的に理解して下さい。)

やはり、悲しみを一番癒すのはどなたかに当方の悲しみを聞いて欲しい。
気持ちに寄り添って欲しい。
身近の親族では少々気恥ずかしい、友人では真の気持ちを理解できない。
何んといって、妻を亡くした悲しみは体験者にしか絶対理解できないものですから。
日本には心理カウンセラー制度はそれほど整っているとは思えない。
頼れるのは、一番いいのは近場の宗教家と考えたのですが、
仏教の僧侶、キリスト教の教会牧師、神父でグリーフケアをおこなっているなんて書き込み
全くと言っていいほどありませんでした。

これはどういうことなのでしょうか?
妻が亡くなったとき、当方の檀家のお寺さんより法要の日にちのメモを頂きました。
お参りに伺いますか?と聞かれましたが、当方お断り致しました。
このお坊さんにお経上げて頂いても、来て頂いてもあまり意味はない。
僧侶、お坊さん、宗教家としての人格に全く信頼できませんでした。
妻が亡くなり、夜7時ごろ自宅に帰り、枕経に来て頂いた時も、
素っ気なく家族の悲しみに寄り添うなんて態度、気持ちを一切感じられなかったからです。
(そもそも、このお坊さん、無口なんです、兎に角しゃべらない、世間話もできない人なんです。
簡単に言えば、宗教だってサービス業、お布施という金品を貰うんだから。
檀家というお客を如何に満足させるかによって金品の多寡が決まるのではないでしょうか。
そこに定価、売価提示がないんだから、檀家の気持ち次第ではいくらでも頂けるという事、
満足度によって高いなんて言われないだから、いい商売


案の定、四十九日の法要の時も、お経の後、食事をしても全くしゃべらず。
当方が気を遣ってばかり。
お盆のお経も、お経上げてそそくさと帰り、愛想の一つ、当方に対する気遣いなんて全くなし。
(お盆で忙しいとしても、一言くらい気遣いできるんじゃないの)
当方が、暑気の折、檀家まわりの気遣いする始末。
これじゃ、お経のCD買ってきて流しても同じじゃないか!

法要の日メモによりフルに来て頂き、15分お経、45分当方の気持ちに寄り添い話を聞いて頂ければお布施だって奮発します。
一人暮らしで食事はどうしているのですか?
一人では寂しいでしょう。
再婚はどうですか?
子供さんたちは時々来ますか?
(以前、婚活サイトで妻を亡くした方が、
お坊さんから是非再婚しなさい、それもなるべく早くと言われたと書かれていました。
その方はその一言がどれ程、安心、嬉しく、励みになったか分からないとありました。)
この気遣いが欲しいんです。
別にピッタリ法要日に来て頂くこともない、2、3日のずれがあってもよい、暇な時でいいんです。
それほど、この悲しみを誰かに癒して欲しい。
耐え難い悲しみなんです。
一日に何度涙を流していたか、それが何ケ月続いたか。
折角のビジネスチャンスです、この法要日いう訪問。
檀家の遺族の悲しみを聞いてあげ癒してあげる。
どうして生かさないのでしょう。
鶴岡監督の「グラウンドにはゼニが落ちている」ではないが
遺族の家庭にはゼニが落ちているんです。

amazonのお坊さん便を猛烈に批判しているにも拘わらず、仏教は本来の使命を果たしていないのではないでしょうか?
当方、死者に対する人類の儀式はすべて生者の為のものと思います。
生者が今後生きていかなければない気持ちの整理のものと思います。
死者の為にお経をあげるのは、生者が生きていく免罪符。
生者こそ大切です。
この大原則を忘れている。

だから、桜木紫乃の「ホテルローヤル」に出てくるお寺の妻のようなことがおこってくる。
以前、教会の神父さん出身の方が当会社に入社しましたが、教会は本当にお金がない言っていました。
それでは何故、遺族の気持ちに沿いグリーフケアを行いますとHPでセールスしないのでしょうか?
悲しみをお話下さい、聞かせて下さいとならないでしょうか。
献金袋に非常識な低額を入れる、又は入れない方が多いからでしょうか?

つまり、宗教家が遺族の気持ちに寄り添い悲しみを癒そうすれば
遺族は満足度、経済状況により宗教家に相応な金額を出費をするでしょう。

各宗派の僧侶の資格研修のような場で、遺族に悲しみ寄り添う事が如何に大切か説いていないのでしょうか?
不思議でたまりません。

妻を亡くしたものから宗教家に対して正直な気持ちを書きました。
今後、同じような境遇になる方の為に、宗教家の皆さん、御一考を。







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