玄徳道

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龍宮水火土(しほつち)伝授日の出世開きΘ三六九神示19

2017-07-15 23:27:33 | 神示道
この日の本の国は、昔より日出る国と申してあるぞよ。
天照国照日の出の神が治め、龍宮界の神々がぐるりと海でとり囲み守りて来たのであるぞ。
龍宮界の守りありてこそ、今日まで日本の国は続きて来たのであるぞ。
陸(あげ)の滝津速川(たぎつはやかわ)の瀬には、瀬織津比売の神と現れ
、大海原に於いては、龍宮の乙姫と名を変へて守りてまいりたが、思凝霊(しこりがみ)等は、あまりにも、その力の強さを恐れて、相謀り、艮の金神と同じく、海底深く封じ込められ、陸に於いては、瀬織津比売の神は、艮の早池峰の山に、菊理比売(くくりひめ)は、白山山頂に封じ込まれておりたのであるぞ。
艮の金神国常立大神は、落とされ封じられても、陰から世の守護をいたした如く、龍宮界も陰から世を守りて、この日本が世界平和の要(かなめ)の国となる事を願いて来たのであるぞ。
封じられて来た、世の元からの神々を世に御出しいたす、岩戸開きの先掛けの御用をいたした、丹波の大本教も、龍宮界の差し添えあってこそ、出来た事であるぞよ。
それ故、丹波綾部の大本教も始めは、龍宮館、又、龍門館と申してありたぞよ。
昭和五十二年六月二十七日、綾部大本の金龍海で、出口直殿、龍宮の乙姫の姿で現れ、筆先一巻、修聖に渡したのも、その証しであるぞよ。
昭和五十四年七月一日(旧六月八日)、男島女島や中津神岩の神業にて、龍宮界の一の岩戸は開きはなたれ、龍宮界も表の守護となりたのであるぞ。
それ故、天照国照日の出神の鎮まる、籠宮の扉も開け、天橋立真名井ヶ原に、因縁の身魂が集う時節とめぐりたのであるぞ。男島女島中津神の岩から受けた、三組の神石の一組は、真名井の磐座へ鎮め、一組は但馬の来日岳(五六七川)へ鎮め、後の一組は、昭和五十四年八月十八日、岡山笠岡の大元教の神集の宮へ鎮めさせたが、この日が修聖三十六才九ヶ月(三六九)の日でありて、但馬豊岡、光之道から追放される密議は、岡山行きの留守中になされたのであるぞ。
昭和五十四年七月一日の神業は、但馬豊岡での御用に一区切りをつけ、丹後へ修聖を帰らせる切り替えの大事な神業であり、人民には、判らねど神は、先々を見て、一分一厘狂わぬ仕組みをいたして居るのであるぞよ。
歩む道は、それぞれ、悲喜こもごもであるが、皆、その身魂の通らねばならぬ道であり、大事な事は、如何なる時も、義を忘れぬ事であるぞよ。
それさえあれば、次の道の開きとなるぞよ。

扨ても、神々はその働き働きによりて名を変えてあるが、海には龍宮、陸(あげ)には、瀬織津比売の早池峰山の岩戸は、この度の台風十号によりて、開きはなたれたのであるぞ。
これまでも、陰に隠れて因縁の者に憑りて働きたが、次第に表に現れて働くぞよ。
瀬織津比売神は、宗像の神とも現れて居るのであるぞ。
表は、穏やかな女神でありても気性は男に負けぬ強さがあるぞよ。
それ故封じられて居りたのであるが、次第に世の表に現れて世の流れを変える神力を表すぞよ。
三千年前、国常立大神は艮(うしとら)の方に封じ込まれ、それ故、
艮(うしとら)の金神と申してあるが、何度も申す如く、三千年前とは、縄文時代から弥生時代への替わり目であるぞよ。
縄文時代は、天地の神の祭礼を要として、皆で恵みを分け合う、相互扶助の世でありて、母性で治める穏やかな和の世でありたが、三千年前から、渡来民や、外国の神も日本に入りて、次第に貧富の差が出来、生殺与奪の強い者勝ちの世となりて、時の体制に逆らう、神も人民も権力を持つ者が封じ込めたのであるが、如何に権力のある者も、世の元からの神々の厳しき祟りを恐れて、祭りてまいりたが、祟らぬように荒れぬようにの、封じ込めの祭りでありたぞよ。
生殺与奪、力の強い者が自在にする世の中は、三千年続きてまいりたが、昭和二十年の敗戦が、大きな岩戸開きとなり、人民にも自由の世が来たのであるが、人民は物や金に恵まれ、腑ぬけとなり平和惚けも良いところの今日であるから、○(まる)に・(てん)と性根を入れるのは、真に難渋な事であるぞよ。
神界の経綸は、新しき五八十(岩戸)開きの時代となり、国常立大神の下(もと)へ、まず龍宮界の因縁の身魂が集い、未だ御出ましで無い神々の岩戸開きの五用(ごよう)に仕へさせてある今日であり、封印されて居りた神理が、次第に明らかとなり、思凝霊(しこりがみ)が我が身等の都合の良いように、自在にして来た、三千年の贋(にせ)仕組みが崩れ偽りの歴史がはげ落ちる、時代となりたのであるぞ。
何時までも、生殺与奪の弥生以来の強い者勝ちの精神が、続きては、世が持たぬから、これからは、それぞれ身魂の使命を果たしつつ、相互扶助の世の元からの四九三(しぐみ)に返してまつらねばならぬのであるぞ。
〇九十(まこと・誠)と言う事は、〇(れい・ぜろ)から始まりて、一から十の道が始まるのである。〇(れい・ぜろ)とは無でも、空でも無く、その中に、総てを生み出す、源(もと)が四九三(しぐみ)であるぞよ。
どうにもならぬようになりて、〇(ぜろ)と思うか、終わりと思うか、そこから新しき道の始まりとなるのじゃぞ。
さあ、義の無きところには、真の神は現れぬぞ。義を守る、素直な心になりたら〇(みたま•れい)から神智妙智が湧きて新しき道へ導かれてゆくのでえるぞ。さあ、九月八日は大事な日と申してあるぞ。
明くれば、九九理(くくり)の節であるぞ…龍宮界の神氣強くなるぞよ。世界に荒事見せるぞよ。

仁義禮智

言霊神也



平成二十八年九月八日 天橋道士龍華斎 修聖拝写
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