
大林監督版は冬から春の尾道を舞台にしていますが、
今回は真夏の映画だし、主人公の正確も全然違う。どうしてこうなったのでしょうか?
監督は
「大林版を意識してその正反対にしたわけではなくて、
筒井先生の原作にまず向き合おうというところからスタートした」と語っています・
原作を改めて読むと、未来世界の描写が沢山あって、
後半の結構な分量をケン・ソゴルが語っている。
当時の少年少女たちが、こんなに未来を夢見てたんだなって。
で、今の10代の人たちが、同じような未来像を持ってるのかっていうと、
それは全く違う物になるだろうと。
今の人たちはどういう未来を考えるんだろう、そこから考え始めたんですね。
それで原作と違う、アクティブな女の子、
SF的な未来像ではなく未来に繋がる人物像を考えて、
こういったキャラクターになったんです、とのこと。
つまり今の時点では、未完成な子で良いということですね。
テーマ的には、若者みんなが共通して思っている未来観って、
20世紀的なんじゃないかと。21世紀ってのは、
みんなが共有できる未来像なんてなくて、
個人個人の未来像しかないんじゃないか。
つまり「未来世界」はもう未来じゃないと
ヒロイン像の変化について、
当初はヒロインは芳山和子を現代風に解釈しなおそうという
スタートだったようですが、
途中ある時点でヒロインの名前を変えたところで、
「芳山和子」も出してみたらどうかと思った。
和子を狂言回し的な位置に配することで物語が進めやすくなった。
タイムリープしているのに、
真琴とおばさんの会話が繋がっているように見えるのは?
推敲途中の脚本では、
真琴はタイムリープする度に、最初からこれこれこうとおばさんに
1から説明しているのですが、
演出上、それらの描写がなくなったというのが真相です。
しかしながら
作品的には、言わず語らずで共通の意識をもったふたりの主人公が
存在しているように見える。
それは本来、矛盾なのだけれども…
以下はネタバレになるので、この続きは
httphttp://www.cam.hi-ho.ne.jp/la-mer/Pic-tokiokakeru.html
にて脚本レビューの頁をご覧下さい。
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