ケロの与太

「全力で与太話」
読んだら忘れてください(” ̄▽ ̄)ゞ  

帰省中 その3~半世紀生きたその先の夜

2016年08月07日 | ゆめゆめ笑うなゆく道だ(義母と施設と)




夕方五時、茶屋町近くカラオケ二次会が終わり
ミナミからキタへと大阪見物していた娘と合流し、
大混雑の新大阪駅土産売り場で大量の買い物を済ませ
新幹線に無事乗れました



娘の待つ新大阪へと急ぎながら
「大阪にはいつまでいるの?」
「お盆嫁ミッション頑張ってね」と、隣りを歩く友人にエールを送って
泉の広場からJR大阪駅へ
夏のレジャーに繰り出す人々に押し流されるようにやってくると
その流れのまま「また来年ね」と手を振ってそれぞれの改札口へ別れていった旧友との四時間は
文字通りのあっという間

久しぶりの再会の勢いから盛り上がった会食
そのままのテンションでのカラオケ
慌ただしいお別れを経て

帰りの新幹線はたいていいつもそうなのですが
人心地ついた座席から見える
電光掲示板、
東京の天気予報が無音で予告するリアルの日常
窓越しに光る羽雲が短い夢の残像のように
なんとも感傷的に映ります。



そして去年の誕生日
五十代は夜の始まりだと書いたことを思い出し
それはやはり
間違いがないのだろうと
確信したりもするのです。


帰省二日目はオリンピック開会式を横目に観ながら実家を出て
夫の実家へ向かいました。
 
昨今
親と離れて暮らす夫婦はそれぞれが
それぞれ自分の親を見る
そんなケースも珍しくないようですが、

忘れもしない、
義父の葬儀の挨拶は、
私の婚姻の覚悟の不足が如実に現れたものになりました。

葬儀に慣れてなかったこと
親と同居していなかったこと、
宣告はされていたけれど、元気だったお父さんがあっという間に死んでしまった事実に
混乱していた事も有っただろうとは思いますが

夫は、義父の遺骨を義妹に持たせ、義母の後ろに二人で並んで
「残された家族三人頑張ります」と
葬儀の挨拶を締めくくってしまいました。

義妹の嫁ぎ先の家族は、
嫁の鏡、今や一家のリーダーとなっている義妹に、
「違う!違う!お前はうちの嫁やろが!」
と必死でサインを送っているし
声をかけられなかった私は
突然始まった挨拶をあらあらあらと眺めていました。

普段は夫が赴任先から義母の様子を見に行きます。
義母は近くに住む義妹を当てにしたくて
頻繁に電話をかけていたようでしたが
人気の教室を経営する義妹には相手がしきれず、寂しい思いをしたようで。

そう、誰も
嫁の私に
何かをして欲しいとは言わない。

お母さんお元気だった?
と聞くと
夫は元気だったよと言い
3ヶ月に一度位様子を見てくれる義妹からも
「元気そうでしたー!」
とメールがきます。


この兄妹は呑気すぎないか?


私は思うのです。
見たくないものを
見て見ぬ振りをしているのではないか


普通にしてたら病気は治る
がモットーの、薬箱の無いワイルドな家だっただけに
生きているからそれで良いとしているのかもしれない。
何よりも
義母がワタシになにも望まない

いや、
実は
私が嫌がるに違いないから
誰も私には出来ると思わないから
話が進まないのかもしれない。




改札口の向こうに
亡くなった義父の姿が見えるような気がしました
孫に会いたい一心で
いつも最寄り駅で一時間位前から待っていたと言う
マメな義父はもういないので

私は乗り慣れないバスを乗り間違え
炎天下タクシーが捕まる場所まで引き返して
駅から二十分もあれば着くはずの家に
一時間かけて行く羽目になりました。

社交的な義父とは正反対の義母はとにかく人が嫌いで
友人はいると言うのですが、私は会ったことがありません
家に引きこもり
私が嫁いだ時にはすでに
膝が痛くて外出はしたくないと言っていたその足が
実際どれほど萎えているか
知るべくもないほど座ったまま動かない

チャイムをならし
勝手に門扉をあけて
戸口まで行ったものの
気配はするのに、ドアが開くまで
10分以上かかりました

「鍵、あいてませんか?」
ドアの向こうで義母は繰り返します
閉まっているのが見えるので
「開いていないんです、お母さん」
「おかしいな、あいてるはずやで」

壊れない程度に扉をガタガタさせてみて
「開いてないみたいですね、
お母さん」

眉に溜まった汗を拭きながら
このやりとりは四回位したでしょうか


ようやく玄関が開いたとき
「なんか用ですか?うちに来てもなにも出来ませんよ」
と玄関のドアノブを離さず立ちはだかる義母の姿を見て

鍛えればこの足はまだ
もっと動くのだろうか

三年ぶりに会う孫娘の事は
思い出せないから見ないのだろうか

朝の電話のことは
やっぱり覚えてないんだな

「(夫)さんから言づかった用もあるので、中に入れてもらえますか?」

「あ、そうですか、ではどうぞ。」

とお願いして
ようやく中に入れました

義母は私達がくつを脱いでいる間に
短い廊下の突き当りの台所の隣の部屋の定位置に収まり
私達が部屋にはいると
「ご用は何ですか?」と私達を見上げます。

ワタシは持ってきた義父のお供えを持って
娘を連れて仏壇にお参りをし、
義母へのお菓子を取り出すと
「ああ、そのへん置いといて」といつものように指示があるので、
使っていないストーブの上に置く事になりました。

「外は暑いでしょう~」
「そうです!大阪はもうむちゃくちゃですね。」と返しつつ
娘には用意してきたペットボトルの飲料を飲むように言って
自分の分の飲料を忘れたことを思いつつ
義母のそばの板の間に腰を下ろしました。


「お元気ですか?」
「はい!このとおり、何も変わってませ~ん!」


何回聞いたか思い出せない苦労話を聞いて
最近の話をふるとたちまち機嫌が悪くなることを
何度も確認し
携帯で夫に指示を仰ぎながら、
義母のお金の入った缶に壱万円札を補充すると
奇妙な会合は終わりました

義母は最後まで、
一度も娘に注意を払うこと無く、話しかけることもありませんでした。
「お母さん、ご無沙汰しています。ユキです」
とちゃんと名前を添えて紹介すれば違っていたかなと
後になって思うくらいで。


義母が口を閉ざす話
「まあ、適当にやってますので心配いりません。」といって言葉を濁すことは
言いたくないのではなくて
何を言われているのか理解が出来ていないのでは

私が夫に言って良いだろうか。



帰りの新幹線の中で
娘に聞いてみました

兄ちゃんに出て行ってもらって
おばあちゃんに住んでもらうしか無いと思うんだけど。

おばあちゃん
私は一人で元気にやってるって
楽しそうだったじゃん


(あんなエキセントリックな時間が?)


あの、
動物なんていないのに
動物がいるかのような匂いは?



ケアマネさんとの話はどうなっているのだろう?
介護保険に幾ばくかプラスして毎日来てもらっているというヘルパーさんは
どう思っているのだろう?

夫はこの先
どうするつもりなのだろう?

遠いところで 
独りで住み続けてくれるならそれは
願ってもないことだけど
二進も三進も行かなくなってから
お鉢が回ってくるなら


どこまでも
自分都合の発想で


この先の闇を前に
子育てが終わった
今の有り余る時間はきっと


やっぱり
黄昏なのだと思うのです































2 コメント

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は~~~ぁ、何処も同じ (POULA)
2016-08-09 19:39:42
読みながら何度頷いたかわかんないよ。
私も大して変わらない。
昨年から一人暮らしの義母は、私の母と同い年とは思えない衰えようで…
月1,2回夫だけが泊りがけで行ってるのもなんか似てる。
いったい義母がどんな風になったら、私が呼ばれるんだろうかって、考えちゃうよ。

私ね、この頃いつもどこかで
「今やりかけの事をやれなくなる時が来る!」
って、自分にはっぱかけてるとこがある。(笑)
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POULAちゃん ()
2016-08-09 21:57:15
そうかー、同じなのね
そうなのよ、いつどうなったらどうなるのか
読めない
と言うか私の場合
本気で読もうとしないところが
ガタついた机で作業しているような
そんな感じ

この先の話が有るんだけどね
記事にするには勇気が要るのよね。
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