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書評 しょひょう :篠原裕『三島由紀夫かく語りき』(展転社)

2017-05-15 08:57:27 | 書評

書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
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 楯の会、その後半世紀の人生は何であったか
  第一期生が編んだ、三島の感動的箴言、その訓練、訓話を独自に回想

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篠原裕『三島由紀夫かく語りき』(展転社)
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 「楯の会」に参加した学生からみた事件への疾走、その三島の思想をいかに捉えていたのか。著者の篠原氏は「楯の会」の第一期生である。

初代学生長だった持丸博と水戸の高校が同じだった。早稲田入学後、誘われて日本文化研究会に入り、その日学同で日常活動を展開している裡に、やがて「楯の会」第一期生となって多くの同士、友人を得た。

 森田必勝、伊藤好雄、阿部勉、宮沢撤補、倉持清。。。。。ほかの大学からも田中健一らがかけさんじた。評者(宮崎)は、その環境を鮮明に思い出せるし、第一期生の二十名は知っている学生ばかりである。

 そんな著者が、三島不在となって以後の半世紀を振り返り、思い立って三島全集を隅から隅まで読んだ。それも、二回、全集の完全読破に挑んだ。

 その読後感を、楯の会のメンバーだった視点と感性で、三島由紀夫の思想的な箴言、あるいは人生訓を拾い集め、おりおりの想い出を挿入していく。

 楯の会の制服が出来たときは、平凡パンチ、プレイボーイなど男性週刊誌のグラビアを飾り、三島の私的軍団は、いきなり知名度が上がった。

 楯の会という命名の由来は、その出典を金子弘道(やはり水戸学の徒)が捜しだし、提案した。
 編者が三島に、その思想に磁石のように惹きつけられるのは、三島の先祖に水戸の血が入っているからだった。楯の会の一期生には、水戸からの参加者が際立って多いのである。

 そして三島研究者なら誰もが知っている三島の「青年嫌い」。それが『論争ジャーナル』の、木訥で寡黙だった万代潔が来訪して、その保守雑誌創刊への由来を語るや、三島は青年嫌いを辞め、積極的に論争ジャーナルへ協力する。

 本書では、長く消息が知られなかった万代氏のその後がさらりと挿入されている。そのうえ、楯の会一期生の多くがすでに鬼籍に入っていたことが分かる。

 もう一つ、評者が知らなかった新事実がある。
本書にさらりと挿入されている逸話は昭和45年11月4日から6日にかけて弐泊三日のリフレッシャー訓練のことだ。

 これは「富士山の周囲の1000メートル級の複数の峠をわずかの水と食料だけで踏破するというハードな」訓練だった。それこそ、こんにちの特殊部隊、グリーンベレーのようなハードさ。

 そのあとに開かれた宴会のおり、三島は参加者全員を前に、これで自衛隊での訓練は「所期の目的を達したので終了する」と唐突に宣言した。
酒になった。宴では三島が「唐獅子牡丹」を謳ったそうな。

 そして次の場面。
 「(いずれ)蹶起メンバーの森田、小賀、古賀、小川の四人が最近北海道を旅行してきて覚えたという当時はやっていた『知床旅情』を歌った。その様子を見て、あれなんであの四人が? という組み合わせを不思議に思ったことを記憶している」

 この四人が三島と最後の行動をともにした。
訓練から三週間後に蹶起は迫っていた。

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ジャンル:
文化
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