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書評 しょひょう : 加藤康男『靖国の馬――戦場に散った百万頭』(祥伝社新書)

2017-07-31 06:11:15 | 書評

書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
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 戦地で激闘の苦難と戦ったのは皇軍兵士だけではなかった
  兵隊とともに歩み、戦い、散った軍馬百万頭の悲劇があった
 
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加藤康男『靖国の馬――戦場に散った百万頭』(祥伝社新書)
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 ちょうど靖国神社へ行く所用ができた。本書にしたがって、境内右奧の小粒な広場に達つ『戦没軍馬慰霊像』を拝観し、合掌した。

 軍馬は戦争中に『天皇の御分身』として配属され、およそ百万頭が戦地に散った。

帰国した馬は一、二頭しかなかった

この戦争馬の運命を著者は克明に辿った。珍しい記録である。

 あの大東亜戦争は「人馬一体の戦争」だったと加藤氏は言う。

「軍馬は斥候や先陣を駆けめぐる乗馬として、また重い火砲を挽く輓馬として、軍需品を背負い搬送する駄馬として、戦地に赴いた。

そのほとんどが祖国復帰を果たせず、屍を野辺に晒したもの数知れず」だった。

 評者(宮崎)、じつは高校時代、馬術部である。

 朝夕の馬の手入れ、食事、便の処理、食料の確保と配合など、乗馬の裏を支える作業の重要性も知っているが、なによりも馬術部での貴重な経験とは、馬が人間の心理を読み取り、そして賢い馬には精神が宿り、仕草によって会話が成立することである。

じつに賢い動物なのである。

 そしていまひとつ教わったのは蹄(ひづめ)のことだった。

日本の馬は草原や農耕地を走るので、岩盤や曠野を走った大陸の馬とことなり、明治時代まで蹄を必要としなかった。

箱根などを超えるときに草鞋を履かせた。蹄鉄技術がなかった。

 日本の馬は小粒であり、堂々とした体躯で長距離を疾駆するわけにはいかなかった。

だから日清・日露戦争を前にして、日本は急遽、フランスとドイツからヨーロッパの蹄鉄技術を学び、外国人技術者を招聘し、学校も開設し、蹄鉄をマスターし、騎馬戦を戦った。

 加藤氏によれば「西欧式蹄鉄文化が入ってきたのは江戸末期のことで、歌川広重などの浮世絵に描かれた馬はみな草鞋姿である。

大老井伊直弼は蹄鉄に興味を持ち、自分の馬にも蹄鉄を装着させたとの記録(ロバート・フォーチュン『幕末日本探訪記』)もあるが、普及するのは明治以降となる」(184p)

 昭和16年に封切られた映画『馬』は高峰秀子が主演である。

 「この映画の最大の見せ場は農家の娘、高峰秀子が丹精こめて育てた馬が、馬市で高値がついて軍に買い取られてゆくシーンであろう。

愛馬と別れるのはいかにも辛いが、この手で育てた馬が戦地でおくにのために働くのだという感慨もまた、生産農家の励みでもあった」のである。

 ほかにも珍しい逸話として、俳優の池部良が戦争中は輜重部隊小隊長で、輸送船団で馬を南方へ搬送する任務についたときの回顧談がある。

 「出発前、池部小隊長は中隊長に対して、こう進言している。『で、向こうへ着いてからの馬糧はどうするんですか。

苦労をかけて連れて行き、敵の弾丸に当たって死ぬならまだしも、食べるものがなくてむざむざと死なせてしまうのは、あまりにも残酷だ』」。

 しかし、島に上陸する前に敵潜水艦攻撃で船は水没し、五百頭あまりが「南瞑の没したのである。兵はそれでも友軍に拾われることがあるが、爆破された輸送船から救出された馬は一頭たりとも記録にない」(24p)。

 晩年の池部良氏は名エッセイストとしても知られ、原稿を頼んだりで、評者は何回かあったことがあるが、この話は聞いてことがなかった。
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