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書評 しょひょう : 宮崎克則『シーボルト「NIPPON」の書誌学研究』(花乱社)

2017-08-13 15:14:56 | 書評

書評 しょひょう BOOKREVIEW 書評 BOOKREVIEW 
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 長崎出島のオランダ商館付属医師として日本にやってきたシーボルト 
  帰国後、二十年もの歳月をかけて書いた日本紹介本が現代に蘇った

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宮崎克則『シーボルト「NIPPON」の書誌学研究』(花乱社)
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稀有な一冊である。評者(宮崎)がこの本に惹かれたのは単に幕末史の側面としてではなく、もうすこし世界史的観点からだった。

英国の歴史学者チャールズ・マックファーレンが、日本に来たこともないのに『日本 1852』(渡邊惣樹訳、草思社文庫)を出した。

これは当時欧州で出回っていたあらゆる日本関係の史料を集め、関係者を訪ね、フランスやドイツ、オランダなどに眠っていた文献もあつめて日本を論じたものだ。

マルコポーロの法螺話とは異なって、ほぼ正確に日本の全貌をあらわしていた。

出島にいたのはオランド人ばかりではなく、オランダ人と偽証する人も混ざっていて、彼らからも聴き集め、じつは出航前のペリーが読んでいた。

ペリーは長い航海中に、熟読していたのだ。

そのペリーが日本に開国を迫ったことは小学生でも知っているが、ミカドと幕府の二重権力構造も把握していたうえ、江戸湾への海図も持っていた。日本人との交渉の遣り方も知っていた。

つまりシーボルトがもたらした日本の情報が、ペリーの遠征に大いに役に立ったのである。

シーボルトは当時禁止されていた日本地図を持ち出したのだ。

かわりに彼はロシアの克明な地図を置いていった。

シーボルトが日本から追放されてからいったい何をしていたかと言えば、20年の歳月をかけて、この『NIPPON』を執筆し、自費出版していた。

シリーズで順次発行され、初版は僅か300部、最後は60部だった。

本書の扉に配置されている当時の日本地図がおどろくほど正鵠に、日本の地形、地勢、港湾、その距離を描き出していることは衝撃である。

シーポルトは主として博物調査だったから、幕末の江戸の社会風俗、文化や産業、そして身分のよる服装の相違など、図版が367点も収録されており、斯界に衝撃を与えた。

ドイツ語版、フランス語、そしてロシア語版も刊行された。

かつて評者は長崎を散策中に、偶然、シーボルト記念館をみつけ、見学したことがある。

たしかに『NIPPON』の一部が展示されていたけれども、記念館ですら全部を揃えていない。

原本は製本されないで分冊形式だったため、完全な復刻は不可能だが、著者の宮崎克則氏は、これを九州大学医学部の図書館分館で発見したのである。

大正15年に3000円で購入という記録があった。

シーボルトが日本に赴任したのは出島の付属医師としてで、僅か27歳で、年収三千万円だったという。

出島だけでは飽きたらず、シーボルトは市内で医療をほどこし、また西洋医学を教えた。

日本には従来なかった治療法を紹介し、さらには市内に塾を開くことも許されるほどだった。

いま、シーボルトが果たした歴史的な意議が、再評価される。
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ジャンル:
文化
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