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環境破壊の元凶は宗教? -キリスト教神学の応答

2010年02月08日 | 生命・環境倫理
前記事では、加藤尚武・編著『倫理力を鍛える Q&A善悪の基準がわかるようになるトレーニングブック』を読んで、まだ私が勉強し始めて1週間くらいなのに、早くも生命・環境倫理学を学ぶ気力が萎えてしまったことを書いたが、
加藤尚武・編『環境と倫理 自然と人間の共生を求めて』(有斐閣アルマ 1998年)という本は読みやすかった。

この本から今回は、キリスト教と環境保護思想との関係について以下に引用する。

環境倫理の分野では、かつてキリスト教の考え方は「人間中心主義」であり、自然破壊の元凶として批判されたこともあったが、今ではそこまで極端なことを言う人は少なくなっているようである。拙ブログではたびたび引用させて頂いているマクグラスの『キリスト教神学入門』から、神学者側からの応答について書かれている箇所もあわせて抜粋しておく。


『創世記』の思想は、収奪の命令ではなく、自然管理の信託=スチュワードシップだ


以下、加藤尚武・編『環境と倫理 自然と人間の共生を求めて』より

>かつて科学史家リン・ホワイト・Jr.は、キリスト教の聖書が人間に、この地球上のすべての生物を支配するように命じており、現代の環境危機の原因はこの「最も人間中心主義的な宗教」思想の支配にあると論じた。パスモアはこれに反論して、聖書のなかには、人間は神の代理として、世界を世話する責任を負わされた執事(スチュワード)=農園管理者だという思想があり、これが保全を正当化すると論じてもいる。(156p)

>現代アメリカの科学史家リン・ホワイト・Jr.は、彼の論文「現在のエコロジカルな危機の歴史的根源」(『機械と神』みすず書房)のなかで、自然に対する人間のユダヤ・キリスト教的「尊大さ」が現在のエコロジカルな危機の歴史的根源をなすといって、その危機の始まりをユダヤ・キリスト教的な創造信仰に見出そうとしたのであるが、その信仰のもとになっている神中心主義からみれば、それは〈的外れも甚だしい〉ということになる。この信仰のもとでは、もともと人間と自然の関係は、支配するものと支配されるものの関係を超えて、〈共生〉=共に生きる関係だったのだ。人間は他の被造物と共に生きる存在として、連帯と管理をゆだねられた〈信託者〉=神のスチュワードだったのだ。主人の財産管理を信託された召使い、スチュワードが、その役割において、いまでは自然と共に生きる存在となっているのだ。だから、「創世記」の支配の思想は、〈信託精神〉=スチュワードシップと言い直すことによって超えられると、私は思うのである。(176p-177p)

以下、マクグラス『キリスト教神学入門』416p-417pより

「創造と生態学へのキリスト教の取り組み」という一節

>20 世紀の終わりの何十年かにおいて、世界が人間によってどのように評価されるかということにしだいに興味が持たれるようになってきた。ある思想家たちの主張によると、自然からの搾取という20世紀に典型的な態度はキリスト教の創造の教理から直接に出てきたものである。このよい例は、歴史家リン・ホワイトが 1967年に書いて大きな影響を与えた論文である。ホワイトの主張によれば、被造物に対して支配あるいは権威を持つ人間というユダヤ=キリスト教的思想は、自然は人間の欲求に奉仕するためにあるという見解へと進み、そのようにして非常に搾取的な態度を正当化することになったという。彼は、キリスト教が現代の生態論的危機に対して最大の責任を負っていると言うのである。

>創世記の本文をより詳しく読むときに示されるのは、「被造物の管理者としての人間」とか「神の助け手としての人間」という主題が本文からは示されるということであって、「被造物の主としての人間」ということではないのである。生態学の敵などでは全くなく、創造の教理が主張しているのは環境に対する人間の責任の重要性なのである。有名なカナダの神学者ダグラス・ジョン・ホールの広く読まれた研究において彼が強調しているのは、「支配」という聖書の概念は特に「管理者」という視点から理解されるべきであるということであり、それは、この概念に世俗の文脈においてどのような解釈が加えられようと、それとは関係ないということである。単純に言えば、旧約聖書は被造物を人間の所有と見ているが、それは人間に委託されていると見られるべきものであり、人間はその保護と世話の責任を持つ、ということである。

>このように、創造の教理は生態学に敏感な倫理学の基礎になり得る。1990年代に現われた重要な研究において、カルヴィン・B・デウィットが主張しているのは、創造についてのキリスト教の教理を反映する聖書の物語に容易に認められる四つの基本的な生態学的原理である。
1 「地球保護の原理」。創造者が人類を守り、維持するように、人間も創造者の被造物を守り、維持するのでなければならない。
2 「安息日の原理」。被造物は人間による資源の利用から回復することを認めなければならない。
3 「豊穣の原理」。被造物の豊かさは破壊されるべきではなくて、享受されるべきである。
4 「成就と限界の原理」。被造物における人間の役割には制約があり、定められた境界線は尊重されなければならない。
(『キリスト教神学入門』416p-417p)