思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

心の内を表現しようとする時

2014年10月07日 | 思考探究

 表現する。単純なこの4字語。何かを私が語りたい時、他者に語って聞かせたいとき読ませたいとき、その表現の言葉を選びます。その真意が相手に伝わるか否かと・・・・。

 作家でもない私は、色々な言葉の組み合わせを試みるのですがなかなか納得できるものにはなりません。

 ある本を読んでいると次のような表現に出会います。

 「ところでここに或るものがあり、その概念は『何故に』というあらゆる問いに対して、『この故に』という答えを含み、またいかなる点についても欠陥というものがなく、そして何処ででも条件として十分であるならば、かかる物はそれだけですのですでに絶対的必然性という標徴をもつにふさわしいように思われる。このような物は、一切の可能的なもののあらゆる条件をみずから所有しているので、それ自身もはやほかの条件を必要としないのである、-----いや、いかなる条件をも求めることができないのである。それだからかかる存在者こそ無条件的必然性という概念を十分に満足させるものがあり、すくなくともこの点では他のいかなる概念もこれに匹敵することができない。これ以外の概念は、いずれも欠陥をもっていて補足を必要とするので、更に高い条件はいっさい不要であるという標徴を具えていないからである。なるほどこのことからは、『あらゆる点で完全な、最高の条件を含んでいないものは、その実際的存在に関しても条件付きでなければならない』、という確実な結論はまだ出てこない、しかしいずれにせよかかるたぐいの存在者は、無条件的な現実的存在という標徴を具えていないのである。ところがこの標徴こそ、理性がア・プリオリな概念によって何か或る存在者を無条件的なものとして認識するためには、どうしても手に入れておかねばならぬ唯一の標徴なのである。」

 どんな本からの引用なのかはさておき、私の場合「標徴」という言葉は出てこないし、使うことはない言葉です。

 しからばその意味は、サイト辞書の大辞林 第三版の解説には、

ひょうちょう【表徴・標徴】
① 表面に現れたしるし。そのものであることを示す外見的特徴。
 「風俗は人情の一なり/当世書生気質 逍遥」
② 象徴。

と書かれています。

 上記の「存在者」として表わそうとしているものは「何もの」なのか。

 上記の同一本ではないのですが、

「自分のもとから世界は開かれる。」

「自分を超えたものによって、自分が生かされているからである」

「存在が自分に見え聴こえ呼びかけているからである」

 何かを私は表現しようと心の内に思いを持つ、そしてそれを言葉による表現、文字による表現で現わしたいと思う。

 最初の長い引用は、カントの『純粋理性批判』(岩波文庫・中)の言葉です。当然訳本ですから訳者の篠田英雄先生の語学力による作者の限りなく近い思いが書かれています。

 「およそ人間が物を見たり音を聞いたりするということは、同時に、人間に物が見える、音が聞こえるということである。人間が存在に近づくのは、存在が人間に近づくからである。人間がものごとを知覚したり認識したりするのは、ものごとが人間をとらえてるということである。」

 カントの『純粋理性批判』とは異なる上記の別本に書かれている言葉です。

 これらが全体にそこに形を創り出します。私だけの形を。

 存在者とは一体何者なのか。

 実証できないものは、どこまでもそこにはないのか。

 今朝は何を言いたいのか、単なる私的心のメモです。


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