思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

「人面香炉形土器」・「女性の曲線美」・「火の神」について

2009年12月29日 | 古代精神史

     写真(井戸尻考古館所蔵・人面香炉形土器)

 長野県諏訪郡富士見町の教育長ブログに「縄文人の精神生活は深かった」(12月24日付)という記事に「人面香炉形土器」(じんめん・こうろがた・どき)のことが書かれていました。記事によると

 本年の秋、大英博物館で土偶の展示会(DOGU)が開催された(9~11月)。ロンドンから学芸員が来て、茅野市の「縄文のビーナス」などと共に井戸尻考古館からは「人面香炉形土器」(じんめん・こうろがた・どき)の出展を希望した。

と書かれているように、世界的にも有名な土器です。

 一般的には釣手土器と呼ばれる土器の一種で、土器には土偶の人面がついたものがありますが、釣手土器に人面がついたものが「人面香炉形土器」と呼ばれ、香炉は仏教で使う香炉の似ていることからそのなが付けられています。

 用途は光源、油の入った小皿に灯心をいれ火をつけて明かりとするものと推定されています。土器に着いている焦げ目などからその蓋然性は高いようです。

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 この富士見町教育長のブログには、「火の神」と題し次のことが語られています。

火の神
 《まるで香炉(こうろ)のような形態は通常の土器の概念をこえており、神聖な火を灯す火器(かき)と目される。土器全体が女神の胎内に見立てられている。正面の大きな円窓は蛙の背であり、女性の陰部を表し、そこから火が発火する。一方裏側は、されこうべの暗い眼窩(がんか=眼球のはまっているくぼんだ穴)を思い浮かべるに違いない。これも蛙の背ないし胴体である。
 合わせて3つの円窓は暗い月を表徴している。洞内に暗い月が3日間こもる所である。そこから誕生する火は新月の光にたとえられる。火でさえも、太陰的世界観に組み込まれている。
 正面は人面の誕生の誕生する所(つまり子宮)であるとともに実大の首を象(かたど)ったものである。》
興味深いのは、《このような造形のあり方は「古事記」や「日本書紀」で、火神の誕生が契機となってひき起こされた一連の出来事の文脈と見事に符号する。》と縄文式土器から記紀への連続性を指摘していることである。なんと大胆な解釈。それにしては妙に説得力がある。
 縄文人の精神生活はぼくらが想像しているよりはるかに深かったのではないか。その表徴としての土器の形象の意味するところも世界的普遍性を持っているのではないだろうか。

この文章を読んで、共感、納得する解説に思います。
 この釣手付土器を静観すると「神の火をともすこの釣手型土器が大きく肩を張っているのは、恵みをもたらす女神が脚を大きく開いて表現しているかのようである」といいたくなるようです(伊那史学会機関紙『伊那』1998.4月号P41「飯田市山本箱川遺跡佐藤甦信論文から)。


     
       「箱川遺跡出土釣手付土器(正面)」

     
      「箱川遺跡出土釣手付土器(背面・側面)

  教育長の対象土器は、井戸尻考古館のものであり、佐藤さんの観察対象土器は箱川遺跡のものです。どちらも曲線がよく似ています。

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 教育長の語りの中に<・・・造形のあり方は「古事記」や「日本書紀」で、・・・>という記述があります。

 このことについて記紀の記載状況を紹介したいのですが、同じ国文学者が記紀を同時に書かれている参考書を使うのがよいかと思いますので、その筋では有名な植木直一郎先生の『古事記・日本書紀抄』を使用します。この本には次のように書かれています。
 
 古事記から 
 ・・・・次に火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)を御生(おう)みになりました。この神は、一名を火之毘古神(ひのかがびこのかみ)と申し、また火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)と申します。伊邪那美命は、この火の神を御生みになりました為に、美蕃登(みほと)に炙傷(やけど)をして、大そう御悩(おなや)みになりました。・・・さて、伊邪那美神は、火の神を御生みになりましたのが原因で、遂に崩御(おかくれ)になってしまいました。

 日本書紀から、
 ・・・・次に、火の神の軻遇突智(かぐつち)を御生みになりましたが、この時伊弉冉尊(いざなみのみこと)は、この軻遇突智の為めに焼かれて、遂に御崩(おかくれ)れになってしまいました。その崩御遊ばされようとする際に、臥しながら、土の神の埴山姫(はにやまひめ)と水の神の罔象女(みずはのめ)とを御生みになりました。・・・・〔一書に、伊弉冉尊は火神を御生みになりましたときに、灼(や)かれて御崩(おかく)れになりました。・・・・〕

という記紀の内容です。女神である伊邪那美命(伊弉冉尊)が火の神を生み、その蕃登(ほと)焼かれ崩御してしまう。これが教育長の言われるところの

<火神の誕生が契機となってひき起こされた一連の出来事の文脈と見事に符号す《このような造形のあり方は「古事記」や「日本書紀」で、火神の誕生が契機となってひき起こされた一連の出来事の文脈と見事に符号する。》と縄文式土器から記紀への連続性を指摘していることである。>

ということになります。

 「火の神」について神話的には一般的にどのように解説されるかですが、『神話伝説辞典 東京堂』には、次のように解説されています。

 発火法の幼稚な時代には、火は人間生活にとってきわめて重要なものであり、したがって火産霊神(ほむすびのかみ・火之加具土神)という名で火の神を祀った。『神名帳』を見ると香具土乃至火結(かぐつちないしほむすび)を祀る社は、紀伊・丹波・伊豆にもあった。『鎮火祭祝詞』も、この神をたいしょうとしたものである。宮中大膳職に坐(いま)すこの神はかまどの神であり、また神武紀に見える顕斎(うつしいわい)の祭りには、やはりかまどの火らしいものにその神の名をつけている。いわゆるかまどの神を火の神であると即断するのは早計であるが、かまどの神を後世火男と呼んでいる事実からも、両者はきわめて密接な関係にあることが推測される。後世民間で火の神と呼ばれた存在は、荒神とも呼ばれ、カマドとイロリの神であり、同時に家の神でもあった。

この記述は日本本土を中心としていますが、この辞典には次の内容が付加されています。

 薩南諸島から沖縄にかけては、火の神の信仰が強く、家々の火神ばかりでなく全体でも祀る火の神がある。神体は三つの石で川や海から拾ってくる。これが原始的なかまどである。その神は海の底もしくはニライカナイから生れ来る女神であると信じられる。火の神は毎年12月24日に昇天して家人の一年間の行状を天に報告すると信じられている。日本内地でも、かまどの神は南九州では石を神体として、また壱岐では6月29日の夏越の日に浜から石をひろって来て荒神棚にかざる風があり、沖縄の信仰と共通の母胎をうかがわしめる。

この内容も、日本の「火の神」を知るには重要なものと思います。

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 人面香炉型土器から火の神信仰について取りとめのない話を展開していますが、ここで女性の曲線美に話を展開します。

 古代中国の古典に、『道徳経』があります。紀元前6世紀の春秋時代につくられたと信じられているもので、老子の作とされていますがその真偽については言及しません。

 この道徳京の言葉に、以前このブログでも扱った「谷神(こくしん)」があります。

 谷神死せず。是を玄牝(げんぴん)と謂うふ。玄牝の門、是を天地の根と謂ふ。綿綿(めんめん)として存するが若く、之を用ふれども勤(つか)れず。

「谷神」とは老荘思想における「空・無」の思想原形になります。渓谷の谷間という空間に神をみるのですが、この谷間が牝牛の出産、女性の出産と密接に関係し生成の神秘性をあらわしています。

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 「火の神」から女性の曲線美と話を進めると「火之迦具土神」の「迦具・香具(かぐ)」という言葉が上代語「陽炎(かぎろひ)」の言葉を想起します。

 陽炎(かげろふ)ともいいますが、春の晴れた日に地面から立ち昇る温められた空気の流れに光が屈折してちらつく現象や、東方に見える明け方の光を意味します。どちらにしても光に関係があるようです。そして「かぐ」といえば「かぐや姫」の昔話になってきます。

 富士町の教育長さんは「このテーマにはまってしまう」と語られていますが、私も古代精神史という面から惹かれるものがあります。

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