思考の部屋

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94歳の荒凡夫~俳人・金子兜太の気骨~

2014年02月24日 | 思考探究

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 人間を、社会を深く見れる連中は、命というものにぶつかっています。これは間違いないです。最後は命。私もこの歳(94歳)になってきて、やっと「存在」ということを見つめているうちに「命」というようなものを見るようになって、それは「決して死なない」と、いう考え方を持っていますね。


こう語るのは、俳人の金子兜太(かねことうた)さん、2月22日(土)NHK特集「94歳の荒凡夫(あらぼんぷ)~俳人・金子兜太(かねことうた)の気骨~」で金子さんはそう語られていました。

 本能のままに自由に生きる「荒凡夫」、この「荒凡夫」という言葉は小林一茶の言葉で金子さんは自分の人生を重ねて、生き物の根元命の尊さを実感しながら生々しい人間を詠んでいます。

 番組紹介サイトには、「既成の俳句を批判し、社会と人間を世界で最も短い17文字で表現する現代詩人である。老いることなく、みずみずしい感覚で震災やエロスを詠みつづけている。」と書かれており、大病を克服し、力強い若々しさのうちにあり94歳とは思えません。

 御本人は70歳ぐらいだと言っていましたが、そう見えます。骨密度は20代よりも若い、これもすごい話です。気持ちが人を作るのでしょうか。ご本人は化け物と言っていました。実に面白い方です。

サイトには続いて次のように紹介されています。

 兜太は本名、1919年(大正8)に秩父で生まれ、多感な時期に国は満州事変から日中戦争、太平洋戦争へと向かった。東京大学経済学部を繰り上げ卒業して戦地に送られ、トラック島で敗戦を迎える。捕虜となり1946年に復員した折にはこんな句を残している。

 「水脈(みお)の果(はて)炎天の墓碑を置きて去る」。

 むごい戦死を目撃し、非業の死者に報いることを決意する。「いのち」の尊さを土台にした平和とヒューマニズムである。戦争体験者が減るなかで、金子兜太は戦争の本質を語りつづける。戦後は、日銀に勤め、組合運動で挫折し、左遷されて地方の支店勤めが長く続いた。その中で、現代俳句の旗手として、閉塞(へいそく)した組織や、屈折する心を詠んできた。

しかし、年齢とともに金子は自分の原点にある郷土性を強く感じるようになる。
 山国秩父の土俗と人間たちが持っていた「生きもの感覚」である。日本人に染みついた5,7,5のリズムこそ自然界に宿るいのちに感応することと確信する。「土を離れたら、いのちは根のない空虚なものとなるではないか。」物質主義の時代に日本語の伝統にある俳句の底力を伝えたいと願い句を詠み続ける。

 東日本大震災のニュースを見ていて自然に浮かんだ兜太の句。

 「津波のあと老女生きてあり死なぬ」。

 25年間続ける朝日俳壇でも、無数の寄稿者の17文字の中に日本人の「いのち感覚」を感じ喜びを感じるという兜太。「俳句だけで来た人生に悔いはない。」94歳の歩みはまだ続く。

 語り:山根基世(やまねもとよ)
 朗読:油井昌由樹(ゆいまさゆき)

内容59分の番組ですが、教えられるところが沢山ありました。

 お母さんは17歳で金子さんを出産し、健康な母親から生まれたことに感謝を持ち続け次の俳句を作りました。

長寿の母
うんこのように
われを産みぬ

存在実感というリアリティーのある句です。なぜ「荒凡夫」というようになったか。冒頭にも書いたのですが、番組で次のように話していました。

【金子兜太】 一茶は、60歳の時に毎日毎日短い日記をつける人で、正月の文にこれから自分は「荒凡夫」で生きたいと書いている。私はそこから見つけた言葉ですが、煩悩にしたがって生きた男で全く値打ちがないやつだと、だからもうこんな男はこのまま死んでしまえばいいのだから、しばらく生けるだけ生かしてください、それで「荒凡夫で生かせてください、ということを書いているんですね。

 そういう人間が自由なんであって、「自由だ。自由だ。」と言っている人間には空ッペイが多い。自分はきれいな人間だという面をして自由なんて言っているのは、ウソに決まっているんだよ。俺は最近そう思っているんです。

 こう割り切った彼(一茶)の心情というものが妙に私にはピッタリ合いましてね。・・・

「煩悩にしたがって生きた男」

 一休さんの、川端さんの「仏界易入、魔界難入」とは、実存の立ち位置からの思考視点が真逆に思えます。同じ煩悩を持ちながら煩悩に動かされるのは当然のように割りきり、それを善しとしてあくまでもポジティブ。境をさまようようなネガティブさがない。

 人間はいつかは死ぬのですから自ら手を下すなどという愚かさは湧いてこない。

 非業の死者にどう報いるか。

 金子さんの戦後は戦争体験からくる、非業の死を遂げた仲間にどうどう報いるから始まります。戦争体験の話を淡々と語っておられましたが、生々しいリアリティーがある話でした。

 金子さんはそこから分った(リアライズ)んでしょうね。リアルな存在体験に本当の智が観えた。

 人間も社会も自然の一部。命ある生き物であるという感覚。

というナレーションととともに埼玉県熊谷市にある自宅の庭を散策する姿があり自然の息づかいを語っていました。

 そのなかで少年期の神との出会いの話がありました。

 漆にかぶれやすかった金子さん、それを見かねたおばさんが「漆の木と結婚しろ」と言って酒を兜太少年に含ませ、漆の樹に酒を掛けた。そして「もうかぶれないよ」とおばさんは言い、それいらいかぶらないようになった。

金子さんはそれが最初の神との出合い、「こういう命の働きがあるんだ」と語っていましが、子どものころの体験ですから強烈だったと思います。

 民俗学者の柳田國男先生が『故郷七十年』の中で語っている、

・・・考へ直してみても、あれはたしかに異常心理だつたと思ふ。だれもゐない所で、御幣か鏡が入つてゐるんだらうと思つてあけたところ、そんなきれいな珠があつたので、非常に強く感動したものらしい。もしもだれかそこにもう一人、人がゐたら背中をどゃされて眼をさまされたやうな(それはお母さんがいたらそうしてくれたんですよね。そういう文章がほかにあります)、そんなぼんゃりした気分になつてゐるその時に、突然高い空で鵯(ひよどり)がピーツと鳴いて通つた。さうしたらその拍子に身がギユツと引きしまつて、初めて人心地がついたのだつた。あの時に鵯が鳴かなかつたら、私はあのまゝ気が変になつてゐたんぢゃないかと思ふのである。・・・

も少年期の「ある神秘な暗示」の話ですが、体験・経験は人を作ります。

金子さんは、

おおかみに
蛍が一つ
付いていた

と筆を動かす中でアニミズムを感じたと語られていましたが、筆耕生物・無機物を問わないすべてのものの中に霊魂、もしくは霊が宿っているという考え方。

 さて話は長くなりました。最後にこれは金子さんの詠んだ俳句ではありませんが、福島県の福島西高校を俳句の関係から訪ねるシーンがあり、そこで紹介された俳句です。

 作者は国語の教師中村晋さんで3.11東日本大震災、福島の原発事故後に作られた俳句です。

春の牛
空気を食べて
被曝した

 金子さんは、「春の牛だからいいんだよ」「これで悲しみがある」と言い、「俳人は、ふつうは春と悲しみは使えない。あなた(中村先生)の中に切実なものがあるから・・・今回の事故が・・。」と原発事故、放射能漏れに苦しむ心情を句の中に読みます。

 この句に対する生徒の反応について金子先生が質問すると中村さんは「最初は笑うが間もなくシーンとなる。笑いの後の悲しみ」と語ったことに非常に、私は切実というリアルさを感じました。

 滑稽と悲劇

 道化の陰に悲劇がある。

 あまりにも悲しすぎて笑いになってしまう。これは心情ですが、それがこの句にはそのまま表現されている、そう思うのです。

 科学は、科学技術の進歩は、新しい主体を作る。自律型ロボットは最たるその啓示。

 原発も管理をする側が、その自律型を知らない。制御を離れればそれは制御不能の自律型に成るに類似し、人類は春の牛にならざるを得ません。

 そう物語るような一句です。

 春が来たよと新芽を食べる、他の動物然(しか)り。

 「存在に命が見えてくる」

 相応の年齢になればそれをリアライズ(智る)ことになり、智慧となる。

 相応の年齢、ふさわしい年齢は、少年であろうと老人であろうと年齢の境があるわけではありません。

 人間も社会も自然の一部。命ある生き物であるという感覚。

 「社会も自然の一部」

 社会の主人公は誰なのか。

ひとりひとり
フクシマを負い
卒業す

くり返しになりますが、

【金子兜太】 やっと「存在」ということを見つめているうちに「命」というようなものを見るようになってきた。

と言う金子さん94歳の言葉、生誕地があり「いのちの舞い」の場所(成仏の場所)がある。

 あると気づいた場所が、なる場所にならない悲劇

津波のあと
老女生きて
あり死なぬ

NHK特集「94歳の荒凡夫~俳人・金子兜太の気骨~」考えさせられる番組でした。

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