思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

利己的遺伝子の意味するところ

2017年07月13日 | 哲学
 言葉による表現、そこには作者の思惟の結果が表されている。ソシュールの記号の恣意性という話に重なることだが、個人の知悉している言葉という記号をあれこれと分節化させ関心のある事柄や自分の思いを切り出す。

 言葉の構成、思考の結論は、個々人の癖が作用する。思考の癖である。現在Eテレの100分de名著ではジェイン・オースティンの『高慢と偏見』が放送されている。京大大学院の廣野由美子教授で作品に描かれている人々の、特に女性の心理が興味深く語られている。

 その中で廣野教授は次のように語っている。

 人が成長するにつれて形成される物事の根本的な捉え方や、信念の土台となるような考えのことを、精神医学の一領域である認知療法では<スキーマ>(schema)と呼びます。また<スキーマ>に基づいて無自覚のうちに生じてくる脳内イメージ(自動思考)によって、不合理な考えや否定的な感じ方がもたらされることを(認知の歪み)といいます。(テキストp33から)

 第一回目の「偏見はこうして生まれた」の中での解説ですが、人それぞれに個的な表象モジュールを備えているという考え方にも重なる。遺伝的に継承される癖的なものから後天的に習い修めた「された体験」もまた自動思考に共振して表れる。

 「私は不幸癖」という言葉が出てくる古い演歌があった。まさに世の中をネガティブに考えてしまう私がそこにいる、という話である。しかし世の中にはまるで不幸を見たことがないような人もいるのは事実で、ポジティブ思考という概念が消えることはない。

 二元的な思考が合理的な物事の解釈を推し進め、人間社会の快適さが追及され自然破壊が横行し、異常気象もその表れだという。だから自然は手付かずのままの状態を維持すべきであり、異常気象は母なる地球の叫びであるともいう人がいる。

 科学的な飼料よりも有機的な自然をベースにしたものの方が人には優しく、有機農法も一つの選択でもある。英国の生物学者であるリチャード・ドーキンスは、人間の行動は動物と同じく、「利己的な」遺伝子によって支配されているという学説を唱え、世界的に大きな反響を巻き起こしたことは大いに知られるところです。

 彼のその発想の根拠は何か。チャールズ・ダーウィンの自然選択説を個体レベルから遺伝子レベルへと移換させたところにあり「利己的な遺伝子」という言葉が流布したが、単なる化学物質に過ぎない遺伝子に利己主義も利他主義もない。

 自然選択は、つねに最大の繁殖成功を欲しているようなことを考え始める人がいる。どうしても自然というものに主体があるように思い描きながら考えないでは、この世の奇美が説明できないのである。それはそれでまた楽しい世界でもある。

 利己的、利他的とはどのような概念なのか。そもそもこの言葉は進化生物学的見地からの視点上に現れた言葉で、ある個体が自らの適応度を増大させ同時に他の個体の適応度減少させるような行動は利己的(selficle)であり、自らの適応度を減少させると同時に他者の適応度を増大させるような行動は利他的(altruistic)と定義しことにある。

 利己的とは自己保存的な行動であり、利他的とは自己犠牲的な行動という話になる。そもそも動物の行動パターンは生得的に有している脳のモジュールの働きにも続くもので、その脳モジュールの発生は動物のゲノムにおける単一あるいは複数の遺伝子に依存している、と説く脳科学者もいる。

 血縁的利己主義、互恵的利他主義、などという言葉もある。絵本物語の「鶴の恩返し」もあれば「因幡の白うさぎ」の話もある。

 子どもも大人も楽しめる絵本

は生得的利他心を物語る、がこれもゲノムの引継ぎからであろうか。自然選択という言葉を使用するならばそこには成る事実と今現在の形成があるだけである。

 『進化論はなぜ哲学の問題になるのか』

 生物学の哲学の現在はなかなか面白い。多くのことを知ることは楽しいことでもあるがまた縁起の世界観でみるならば負も現れてしまう。だからと言って「色即是空」や「無常」という言葉が否定されるものでもない。被災地でそんな話を聞いたことがない。
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