思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

ハーバード白熱教室・Lecture9 「兵士は金で雇えるか」

2010年05月03日 | 哲学

 今回も番組を二回に分け、要約などという器用なことができない私は、そのまま掘り起こして記述しました。本格的な勉強は、「ハーバード白熱教室ノート」が勉強になりますが、やはり自分で勉強するがよいかと思います。

 Lecture10「母性売り出し中」は、サンデル教授の専門分野でもあるようですが、聞いていてあま興味がわかず、ひょっとすると掲出しないかも知れませんので承知してください。

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

第5回「お金で買えるもの買えないもの」

論点(NHKサイト解説から)

Lecture9 兵士は金で雇えるか(Hired Guns?)

 政府は国民を徴兵し、戦場に送ることができるのか?徴兵に市場システムを組み合わせるのは正義か?兵士を確保するための3つの方法、すなわち志願制、徴兵制、傭兵制について議論する。給料をもらうために兵役につく「志願制」は一見自由な選択に見える。しかし、経済的機会に恵まれないから軍隊に入らなければならないのなら、それは「強制」なのではないか?そもそも、兵役は愛国心にかかわる市民の義務なのではないか?では、そこには「同意」があるのか・・・?

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前回の講義では、ロックの同意による政府、ということについて議論をし、その結果幾つかの疑問が上がった。

 多数派の意見があっても覆せない政府の制限とは何か、それが講義の最後に出た疑問であった。

 所有権に関しては、ロックの考え方では民主的に選ばれた政府には国民に課税する権利がある。だがそれは同意に基づく課税でなければならない。なぜなら課税とは、公共の利益のために国民の財産を取り上げることだからだ。

だが税金を制定したり徴収したりするときに、国民一人一人から同意を取り付ける必要はない。必要なのは、社会に参加し政治的な義務を引き受けることに際し、事前に同意を得ておくことだ。

一度その義務を引き受ければ、多数派に束縛されることに賛成したのと同じことになる。課税についてはこのくらいにしておこう。

では生存権はどうなるのだろう。政府は国民を徴兵し戦場に送ることができるのか。自分を所有するのは自分であるという自己所有権はどうなるのだろうか。

 政府が強制力のある法律を制定、施行し、「君はイラクに行き、命を危険にさらして戦え」と、いえるとなれば、自己所有権を侵害していることにならないか。

 ロックは政府にはそうする権利があるというだろうか。答えはイエスだ。ロックは139節で次のようにいっている。

 重要なのは、政治的あるいは軍事的権威が
 恣意的に権力を行使しないことだ。(ジョン・ロック)

そこが重要なのだ。これに関してロックは素晴らしい例をあげている。将軍は勿論のこと軍曹であっても、兵士に向かって大砲の前に出ろと命令できるのだ。

 たとえ確実に死ぬのわかっていても、どんなに絶望的なことであっても、軍曹はそう命令できるのだ。それに兵士が従わなかったり、自分の持ち場を放棄したりすれば将軍はその兵士を死刑にすることができる。

しかし生死を分ける命令を出すことはできても将軍は、この兵士から一ペニー足りとも取り上げることはできない。なぜならそれは正当な権威に基づく命令ではないからだ。それは恣意的であり腐敗だ。

 だからロックにおいては、同意が非常に強力だ。その同意とは特定の税金や軍の命令に対する個人の同意ではなく、政府に参加し多数派の束縛を受け入れることに対する事前の同意だ。

 個人は生命、自由、財産に対する不可譲の権利を持っているという事実に基づいて、権利力が制限された政府が成立している。そしてその政府を統治しているのが、同意に基づいて作られた法なのである。同意はそれほど重要なのだ。

 権力の恣意的な行使はあってはならない。それがロックの考え方だ。

 しかしここに同意についての疑問が生じる。政治的権威や、従わなくてはならない義務を作り出すのにおいて、なぜ同意はそこまで強力で、道徳的な手段なのだろうか。

 今日はこの同意に関する問題を検討するために、軍隊の徴兵制という具体的な事例を取り上げよう。

 人間が、「自分を所有するのは自分だ」という考え方から生じる基本的人権をもっているのなら、政府が市民を徴兵して戦場へ行かせるのは「基本的人権の侵害だ」という人もいる。反対する人もいる。反対派は、それは民主的に選ばれた政府の正当な権限であるから、市民には従う義務がある、という。

 イラクで戦争している、アメリカを例にとって見よう。

 報道によれば、軍は必要な数の新兵を補充するのに非常に苦労しているそうだ。必要な数の兵士を確保するために、アメリカ政府が実施する可能性のある三つの政策を考えてみよう。

兵士を確保するための解決策
1 給与と手当てを増し十分な数の兵士を集める
2 徴兵制へ移行する。抽選を行い、抽選に当った人は誰であれ、イラクに行って戦う

3 アウト・ソーシング外部委託(傭兵) プロの兵士を雇う
傭兵は世界中にいて兵士としての基準を満たし戦闘に長けており、相場の報酬を払えば喜んで戦ってくれる。

 さてみんなの意見を聞くことにしよう。

○給与を増やすのがいいと、考える人?
 大多数だね。

○ 徴兵制に賛成の人は?
 賛成する人は、10人ぐらいしかいないね。

○ では、外部委託がいいという人は?
 20・30人というところかなあ。

 南北戦争の間、北軍は兵士を補充するのに徴兵制と市場システムとを組み合わせた方法を採用していた。

 まずは徴兵制によって兵士を採るが、しかし召集されても軍隊に行きたくなければ、自分の代わりに誰かを雇うことが認められていた。多くの人が代わりを雇った。代わりを雇うために何を支払ってもよかった。

 人々は新聞の求人欄に広告を載せ、自分の代わりに南北戦争に、行ってくれれば500ドル。ときには1000ドル払うと申し出た。

 後に鋼鉄王と呼ばれたアンドリュー・カーネギーは、自分の代わりに南北戦争に行ってくれる人間を、彼が葉巻に1年で費やす額よりも少ない金額で雇った。と伝えられている。

 さて、南北戦争のシステムについて意見を聞きたい。基本は徴兵制だが、買収情報つきのハイブリッとシステムとでも呼ぼうか。

○ これが公平だと思う人。南北戦争のシステムに賛成する人は?
  誰もいない、5人。

○ 不公平だと思う人は?
  君たちのほとんどは、南北戦争のシステムが気にいらず不公平だと考えている。

 なぜ気にいらず、どこが悪いのか?

リズ 一回兵役を免除されるのに、300ドル払うということは、人間の命に値段をつけているのと同じです。これまでの講義ではっきりさせた通り、人間の命に値段はつけられないのですから、おかしいと思います。

サンデル教授 ということは、300ドルだろうが、500ドルであろうが、1000ドルだろうが・・

リズ それが君の命の価値だと言っていることになります。

サンデル教授 つまり命に値段をつけていることになる。というわけだね。
リズに反論がある人は、・・・・君は南北戦争のシステムに賛成だったね。

ジェーソン その値段が嫌ならその人には、自分を売らない、雇われないという自由があります。その人しだいなのですから、命に値段をつけることになるとは思いません。自分の意志でその人の代わりに戦争に行くと決めたなら、それは必ずしも間違っていると思いません。

サンデル教授 では500ドル受け取った人は、自分で自分の命に、あるいは、自分の命をかけるリスクに値段をつけていることになるわけだから、自由だというわけだね。

ジェーソン そうです。システムに反対の人の意見を聞こう。

サンデル教授 次は南北戦争のシステムに反対の意見を聞いてみよう。

サム 所得が低い人にとっては、これは一種の強制です。カーネギーは召集を無視できます。300ドルは彼の収入からすればなんでもありません。低所得の人は、召集されたら基本的に戦争に行かなければなりません。代わりを見つけることはできないでしょうから。

サンデル教授 では君は、貧しい労働者が300ドルを貰って、変わりに戦場に行くことを引き受けた場合、経済状況から考えて、実際には強制的にされたのと同じことだ、と言うわけだね。

 一方、カーネギーは金があるから兵役に就かずに済む。

 次に、サムの今の意見に反論する意見が聞きたい。一見自由な交換のように見えるが、実際は強制だ、というサムの意見に反論がある人は?

ラウル 僕もサムに賛成です。個人から正しく判断する能力を奪っているという点では強制だと思います。

サンデル教授 ラウルとサムは一見自由な交換、自由な選択、自発的な行為に見えるけれども実際は強制である、という点では一致している。

ラウル 最悪なタイプの強制です。強制される方が社会の一部に片寄っているからです。

サンデル教授 ラウルとサムの意見には説得力がある。サムとラウルに意見のある人は?

エミリー 私は、強制的な徴兵でも、自分から志願して軍に入るのも、事実上変わらないのではないかと思います。軍に入れば収入が得られるということは、人々を軍に入らせるための強制的な戦略です。軍に志願者は低所得者層やさらにはイラクで戦うために軍に志願するのは正しいことだとう、愛国的な価値観が色濃い地域の出身者に片寄っているのが現実です。

サンデル教授 エミリーは、南北戦争のシステム、つまり貧しい労働者が、500ドルでカーネギーの代わりに戦争に行くのを引き受ける、というようなシステムには、強制的な要素があることを認めている。

 その上で南北戦争のシステムには問題があるのなら、現在の志願制の軍隊にも問題があるだろうという主張だ。ところで君は最初の三つの選択肢のうち志願制の意見を支持したのかな?

ラウル 今の状況は、南北戦争のころとは違うと思います。今は徴兵制ではなく、志願制ですし今の軍隊に志願する人は、南北戦争のころ入隊を強制された人よりも強い愛国心を持って、自分自身の選択で志願していると思います。

サンデル教授 強制の度合いは低い。

ラウル 低いです。       

サンデル教授 アメリカ社会にまだ不平等があり、エミリーが指摘したように、軍に入る人々は特定の層に片寄っているという事実があったとしてもかな。

 一つ実験をしてみよう。自分が兵役についたことがある、あるいは家族が兵役についたことがある人はどのくらいいる? 親の世代ではなく、君達世代で。
(少数)

自分も兄弟も兵役についたことがない人は、どのくらいかな。
(多数)


 いいだろう、君たちの圧倒的多数は全志願制の軍を支持したが、同時に圧倒的多数が南北戦争のシステムは不公平だと思っている。サムとラウルは南北戦争のシステムに反対する意見を明確に述べた。

 その背景には不平等があり、故にに金を貰って戦争に行くことを選択するのは真に自由意志によるものではなく、ある意味では強制なのだ。
 
 エミリーはその議論を発展させて、新たな問いを投げ掛けた。志願制の軍隊を支持した人は、原則として二者のどこが違うのか、説明できるべきだし、説明しなければならない。
 
 志願制の軍は、圧倒的大多数が反対した南北戦争のシステムに、つまり買収条項つきの徴兵制を普遍化しただけのものではないか。

 エミリー君が言いたいのはそういうことだね。OK。

 志願制の軍を支持した人に、エミリーが投げ掛けた問いに答えてもらいたい。答えられる人は?

男子学生B 南北戦争のシステムと志願制の軍の違いは、南北戦争では政府に雇われるのではなく個人に雇われるということです。結果としてそれぞれが異なる人に雇われ、異なる額を受け取ります。志願制の場合は、全員が政府に雇われ同じ額が支払われます。

 同じサービスに対して同じ額が支払われるわけですから、志願制の軍の場合の方が公平だと思います。
 
サンデル教授 エミリー。

エミリー 公平ということについてですが、志願制というシステムにおいては、個人は軍や戦争と全く関係をもたない道を選ぶことができます。

 つまり入隊によってもらえるお金も欲しくない、国を守らねば、という義務の必要性も感じない、その場合志願しないのは個人の自由です。でも強制的なシステムである徴兵制においては全員が、徴兵制について何らかの決断を下さなければならないわけで、こちらの方がより公平だと思います。

 どちらにしろ、カーネギーは兵役につかなかったでしょうが、志願制では、自分は関係ないといえますが、徴兵制ではある程度まで責任を持たなければならないからです。

サンデル教授 エミリー君は、どちらを支持する。

エミリー 難しい質問ですが、徴兵制です。国全体に戦争への責任を感じさせることができるから、少数の人々だけがイデオロギー的な支持する戦争が起きてしまうよりはいいです。

サンデル教授 反論は、

ジャッキー 志願制の軍と南北戦争当時の軍の間には、根本的な違いがあります。志願制では志願したいという気持ちが先にあって、給与は後からついてきます。一方南北戦争のシステムでは、人々は必ずしも戦いたいわけではありません。お金がもらえるから戦争に行くだけなわけです。

サンデル教授 志願制の場合、金を超える志願の動機は、何だと思う?

ジャッキー 国を愛する気持ちとか。

サンデル教授 愛国心。

ジャッキー それと国を守りたいという願いです。お金もある程度まで動機となるでしょうが、志願制の軍の場合は、国を守りたいという気持ちが最初の動機になると思います。

サンデル教授 ジャッキー、君は金ではなく、愛国心から兵役につくほうがいいと思うんだね。

ジャッキー 勿論です。南北戦争のころの軍のように、お金のために仕方なく軍に入り戦場に向かった兵士は、信念を持って戦いに赴いた兵士より兵士としての質は落ちるかと思いますから。

サンデル教授 ジャッキーのいう愛国心について、みんなはどう思う。愛国心は兵役について得られる金よりも、崇高な動機なのだろうか。この問いに答えられる人は?

フィリップ 愛国心は兵士の優秀さとは関係ないと思います。傭兵はアメリカ国旗を振りもしないし、私たちが守るべきだと政府が信じているものを守りたいとも思ってもいないでしょうが、優秀さにおいては、変わらないからです。
 
サンデル教授 君は外部委託派かな?

フィリップ イエッサー

サンデル教授 ではジャッキーの答えを聞こう。愛国心は無関係だそうだが。

ジャッキー 意欲なある人の方がいい仕事をします。命をかけなければならないようなギリギリの状況になったとき、お金を貰うことだけで入隊した人よりも、国を愛している人の方が、進んで危険に飛び込んだり行くんじゃないかと思います。でも傭兵は戦争スキルは高いでしょうが、国のことなんか気にしないと思います。国がどうなろうが、彼らには関係ないわけですから。

サンデル教授 しかし別な側面もある。愛国心の問題だが、ジャッキーの言うように最も重視するべきであって、愛国心で金ではないとしたら、その議論は軍に入ることで給与を得る、今の軍隊のシステムを可とするのか、不可とするのか、志願制の軍隊というが、考えてみれば、それは誤った呼び方だ。

 志願制ではなく、給与制の軍隊と呼ぶべきだ。となると兵役につく主たる動機は、金ではなく愛国心であるべきだ、という意見はどうなるだろう。

 現在の給与制の軍隊を善とするのか、それとも徴兵制を善しとするのだろうか、論点を明確にするために、フィリップの外部委託賛成論を足がかりにすると、志願制の軍、すなわち給与制の軍が最善だということになる。
 
 なぜなら、これぐらいの金をもらえるなら兵役についてもいいという人々の気持ちと意欲に応じて市場が割り振るからだ。この論理によれば徴兵制よりも、南北戦争のころのハイブリットシステムの方が論理に適っているし、さらに言えば、志願制の軍の方が論理に適っている。

 そして市場における選択の自由を拡大する考えに寄れば、傭兵制が、最も論理に適っているのではないか。この論理に対しノーというなら、ジャッキーのように愛国心に意味を見出すのなら、徴兵制に戻るべきではないか。

 愛国心が市民の意見を意味するのならばだ。

 さてその議論からは少し離れ、同意が市場での交換に応用されるケースについて考えてみよう。これについての反対意見は二つあった。

 兵役を課すのに市場での交換を介してはならない。という反対意見が、二つ提出された。
 
 一つは、サムとラウルが主張した、強制についての議論だ。二人は、市場の原理で兵役を割り振るのは不公平であり、自由な選択とはいえない、と主張した。なぜなら、もし社会に深刻な不平等がある場合は、金を貰って軍隊に入る人の中には、入りたいから入るのではなく経済的機会に恵まれないから軍隊に入ると考えるのが最善の選択だ、と考える人がいるかも知れないからだ。

 そうなればそこには強制という要素がある。これが一つ目の反対意見だ。
 
 兵役を割り振るのに市場を介することに対しての、二つめに反対意見は、兵役を給与を得るための単なる仕事と、捉えるべきでないというものだ。

 兵役は愛国心や市民の義務と密接に関わっているからだ。こちらの反対意見は、不公平、不平、強制を反対意見とするのとは違う。市民の義務がかかわることについては、市場によって、自由や権利を割り振るべきではない。そういう意見だ。

 このように大きく分けて二つの反対意見がある。この二つの反対意見をどう考えて行くべきか。強制、不平等、不公平を理由に反対して行く一つ目の意見については、社会の背景における不平等が人々が自分の労働を売買する際、どのように選択の自由を阻んでいるのか、を問う必要がある。 これが一つ目の問いだ。

 二つめの問い。それは市民の義務、愛国心を考えるとき、市民としての義務とは何かを問う必要がある。ということだ。

 兵役は、市民の義務の一つなのか、それとも違うのか。

 私たちに市民としての義務を負わせるものは何か。
 
 政治的な義務の拠りどころとは何か。

 それは同意なのか、それとも社会の中で共同生活をする以上、同意がなくとも課せられる市民の義務があるのだろうか。

 今日南北戦争システムと志願制の軍について議論をした中でこれらの問いに対する答えをこれからの講義で考えていこう。

終了。
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 現在日本では、米軍沖縄普天間基地問題で揺れています。そもそも日米間の軍事関係は、どうなっているのか。

 日米安保条約に基づく協力関係をどのくらいの国民が承知しているのでしょう。

 日教組は昔も今も、反権力・反アメリカ帝国主義の姿勢を崩さず、子ども達には、憲法9条は教えるが、国家間の条約の重みは全く教えませんし、国もそれを避けてきました。

 60年安保から今日まで、反対闘争から学んだことは、暴力革命による変革ではなく、個々の変革であること気がついたはずなのに、変わることはなく、程度がいっそう低くなってしまったようです。

 ハーバード白熱教室では、「徴兵制」「南北戦争時のシステム」「傭兵」が市場における「合意」という問題の中で論議されました。

 戦争反対の論議は、平和運動は、今回話題にもでません。それは暗黙の了解で、平和ボケが如何に危険かを国民の大半が意識しており、子ども達(学生)にも歴史的身体としてあるのかも知れません。

 

ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« こころの時代・「いのちとの出遇... | トップ | 庚申塔に見えてくるもの »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL