思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

老いはピエロ

2017年07月16日 | ことば
 休日になると昼間からカラオケ喫茶に出かける。昼間からお酒を飲むわけでもなく午後1時から午後5時まで1000円歌い放題で好きな歌を歌うのである。集う人は若者ではなく殆どが60歳以上の老人で、各地でこのようなカラオケスナックがあり、時々日曜日に大きなホールで発表会が行われている。
 古い曲から新しい曲が披露されるが、新しいと言っても若い人の曲ではなく、最近発売された有名無名の演歌歌手の曲で、このようなカラオケ喫茶には無名の演歌歌手が訪れ、早々にこのご老人たちはこの曲を覚え自分のものとして行く。
 音楽教室なるものもあり、ご老人たちは先生から指導を受けそれはそれは歌唱力は半端ではない。
 今月の最終の日曜日には穂高の図書館の多目的ホールで有志90名ほどのカラオケ発表会がある。女性群はドレスや着物、男性群は青色や白色の背広、まるで演歌歌手のような衣装で登場する。
 3年ほど前に図書館に行った際、多目的ホールに人がたくさん集まっていたことからこのような会、このようなカラオケ喫茶があることを知り、老人の生きがいの構築の姿を発見した思いがした。
 個人的な話になるが、私もカラオケが好な方で時々このカラオケスナックへ歌いに出かける。その際に歌う曲に昭和33年ころのフランク永井さんの『公園の手品師』という一曲があります。わたしは29年生まれですが父母が歌好きでいつもラジオの歌番組を聞いていたこともあり、いつの間にかこの曲を覚えてしまいました。この曲をカラオケで歌うこともなかったのですが、カラオケの曲の中にこの歌を発見し歌うことにしました。そして歌って驚いたことがあります。
 私が幼き頃に覚えた歌詞が誤った記憶であったことを発見したのです。原文の歌詞は、
公 園 の 手 品 師
作詩 宮川哲夫  作曲 吉田 正
1 鳩がとび立つ 公園の
  銀杏(いちょう)は手品師 老いたピエロ
  うすれ陽に ほほえみながら
  季節の歌を ラララン
  ラララン ラララン うたっているよ
  貸してあげよか アコーディオン
  銀杏は手品師 老いたピエロ

2 雲が流れる 公園の
  銀杏は手品師 老いたピエロ
  口上は 言わないけれど
  なれた手つきで ラララン
  ラララン ラララン カードをまくよ
  秋がゆくんだ 冬が来る
  銀杏は手品師 老いたピエロ

3 風が冷たい 公園の
  銀杏は手品師 老いたピエロ
  何も彼も 聞いていながら
  知らん顔して ラララン
  ラララン ラララン すましているよ
  呼んでおくれよ 幸せを
  銀杏は手品師 老いたピエロ


です。誤っていた言葉は「老いたピエロ」で、私は「俺はピエロ」と誤って覚えていたのです。
 今の年齢でこの曲の全体像を知り非常に感動します。この曲の場合は「銀杏」と書いて「イチョウ」ですが「ぎんなん」とも読みます。個人的に銀杏には興味があり、過去のブログにも書いたことがあります。

銀杏は雄株と雌株があり実が成る過程に人間と同じ「精子」なるものが存在することに驚く。植物と動物の進化の真中(まなか)にあるような存在で不思議な物(もの)です。

 物(ぶつ)ではなく物(もの)的な存在。植物ですから生命ある存在ですが他の植物以上に人間に近しい存在に思えます。イチョウのエキスは脳の活性化に効きく話を知り、最近は「イチョウ葉&DHA・EPA」なる文字の入った健康食品を愛用している。

 効果如何、それは自分にはわかりません。物覚えというよりも思い出せないことが多くなったことは事実で、覚えてもすぐに忘れてしまう。

 別視点からこのことを考えると、黄ばんできた記憶を思う。白紙や白ワイシャツ、年を経るごとに黄ばんでくる。戦中の酸性紙の本が時代とともに黄ばみを増し、いつの間にか紙はボロボロになります。

 記憶が褪せるとは、薄れる意味ですが、色が薄れる現象から記憶が褪せるという表現になり、薄れるは結局黄ばみへと移行し、染められた衣類も色が褪せ同じようにボロボロになります。

 『公園の手品師』に話にもどりますが、ピエロは道化師、道化師には滑稽をイメージしますがそれとともに悲しみの表情もあり、ピエロの涙といってピエロの眼の下には涙が描かれています。

 紅葉期にはイチョウの葉の黄色は一番目立ちますし、絨毯のように道を引き積めます。

 なれた手つきでトランプのカードをまくように。

 カードは配ると書くところですが、「まく」という言葉が使われています。イチョウ並木の歩道をランダムに引きつめてゆくその情景を思い描きます。

「老いはピエロ」

 黄ばみが増し樹を離れる。一年周期の生命の循環の青色(実際は緑色)から黄色への変化、青年期から老年期への戻らない時の流れ。人間の喜怒哀楽の時の流れに肌のくすみ、皺の数は皮膚完走とともにますます増える。

 滑稽でもあり、心淋しい感覚も現れる。

フランク永井さんの人生を知るものにとって、イチョウの木の下ではないが、この曲のジャケットは印象的である。



ウィキペディアに次の記事が書かれていた。

 最晩年は幼児レベルの知能状態だったとも伝えられている。やがて周囲も復帰は絶望的と見切りをつけるが、恩師の吉田正だけは最期まで諦めず、よく永井を見舞い、周囲にも「フランクに歌わせたい曲がいっぱいあるんだ」と語っていた。第三者との会話が殆ど成り立たない状態にあったとされる永井だが、吉田と話すときには常人と変わらない状態で話すことができたと関係者が明かしている。

『公園の道化師』の作曲は上記のように吉田正先生でした。