8月21日に松本市内の新村地籍にある“楽蔵ぴあの”という時々コンサートや講演会が開催される小さなお店があり、そこで安曇野市豊科郷土史博物館百瀬長による安曇野市の明科地区で発掘された7世紀後半から8世紀前半に存在した寺(通称明科廃寺)を中心に「発掘調査などから見えてきた古代明科の姿」と題した講演会が開催され聴講しました。
明科地籍は8月初めのブログに書いた「豊科郷土史博物館の縄文人骨を見て」に書いたように「人骨(死者)の顔を覆った土器」の縄文人骨が出土したところでもあります。
この地域は、遺跡発掘によって縄文、弥生、古墳の時代の人々の痕跡が明らかになり、現代にいたるまで人々が生活し続けている場所です。だからといって縄文人がそのまま現代人になっているということではないことは確かで、時々の時代のうねりの中で人々の交わりが、移動ががあり今日に至っているわけです。
出土する品々と全国各地の遺物(黒曜石・ヒスイ・土器等)との対比によって、同類の特徴が見いだされ文化交流があったことは明白で意思の疎通の中に共有した精神性があったように思われます。
明科廃寺の存在は、仏教伝来が山深いこの信濃の奥地にも浸透してきたわけで、人々の精神性に大きな影響を与えたものと思います。古代の人々はどのような精神性を持っていたのか、個人的にその分野に興味を持ちます。
当然考古学のこのような講演会ではそういう精神性は語られませんが、遺物出土の事実からそこは個人的に何かを見つけ出したいと考えています。
宗教無き汎神論的な日本人
若者から老人まで多くの人々がそうであろうし、特定宗教の信者であっても排他的な多宗教批判に生きる人々は特異的な存在のように思われます。多くの日本人は宗教においては強烈な攻勢を発揮する宗教団体は例外として、信仰に対する寛容さがあるように見えます。
野仏の石仏が打ち壊されずにあること。小さな祠が各地に見られること。明治の廃仏毀釈は別にして、今も寺があり、お堂があり、神社があるのが日本です。
神無月には列島の神々は出雲に集合する。
このようなことが理解できる、それが日本人。人のつながりから、自然現象をつかさどる神がおり、貧乏神の存在まで理解できる。
Eテレに「趣味どっき!」という番組があります。以前この番組「国宝に会いに行く」第6回で「縄文のビーナスと仮面の女神」が放送されました。長野県茅野市のから出土した土偶、隣接した山梨県から出土した土器などが紹介され、その際、仮面をつけた土偶とともに「土器を顔に被せられた人骨」(明科出土)が紹介されました。
人骨(死者)の顔を覆っている土器は、
です。どうしてこの時代の縄文人は、このようなことをしたのか。その時代の慣習であり、伝統でもあったのでしょう。それは共同体での「善(よし)」の形式であったことは確かです。
が、個人的に興味深いものがあります。
「縄文のビーナスと仮面の女神」については過去のブログに書いたことがありますが、茅野市から出土した二体の土偶です。
「縄文のビーナス」は、「仮面の女神」よりも古い土偶です。
ふくよかな女性を表現した造形物
仮面を被った造形物
このような出土物に接したとき、縄文の人々が何を表現しているのだろうか、という疑問とともに、現象世界をどのように見ていたのか、という認識感覚の世界を考究したくなります。
極端な肉体の表現にするのか?
仮面を被るのか?
ここには主客の分離があって、見せる側と見る側の存在があるように思われます。注目されるのは、見る側の存在で、これは他の集団で無いということです。
死者の埋葬は、死者のために、埋葬の仕方は何者かのために・・・が顕現しているように思われる。
ここにおける「何者かのために」にの「何者」とは営みの背景にある働きを司る者で、その意向に沿うことにより日々の営みの保証は得られると考えられていたのではないだろうか。
大いなる力を有するも者
それは後の世に語られる「神」ではないだろうか。
食物の確保における豊穣の願い。死者の再生への願い。子の誕生への願い。
そこには再生力の安定した働きの力を願います。
自然界の崩壊の如く荒っぽい力を望まない、破壊的な力の荒れを抑えて欲しいという願いを想います。
縄文の遺物である火炎土器、炎が揺らぎ立ような形状の造形物、芸術家の岡本太郎さんは、その著『伝統との対決』(ちくま学芸文庫)の中で、後の世の「わびさび」の世界との対比において次のように語っています。
通常考えられる和かで優美な日本の伝統とは全く反対物である。したがって伝統愛好者や趣味人達には到底すなおに受け入られないらしい。確かに、そこには美の観念の断絶ががある。いったいこれが我々の祖先によって作られたものなのだろうか、という疑問が起って来るのも一応頷けないことではない。弥生式土器や埴輪などには我々に連なる所謂(いわゆる)日本的感性を素直に看取ることが出来る。しかし縄文式はまるで異質が如くであり、直ちに伝統と結びつけ手は考えられないというのが一般的な観方のようである。(同書p16から)
有名な岡本先生の「芸術は爆発だ!」という言葉はここに原点があります。この文章の最初に「和かで優美な」とあります。「和か」は、
和か(なごやか)、和か(にこやか)
と読め、多分「なごやか」と読むのでしょう。古語の
なご・し【和し】
①おだやかである。
②ものやわらかな感じである。
(岩波古語辞典から)
で、現代語に引き継がれている言葉です。この場の意味からも推測できますが、反対語は、
あら・し【あらし】
①堅い。ごつごつしている。
②乱暴である。
③(波・風などが)烈しい。
④たけだけしい。
(同上)
となります。岡本さんは縄文の造形物に「荒らし」を観たのでしょう。
このように岡本さんの芸術論には、「和」と「荒」が現れているように思われます。個人的にこの言葉から後の世の『延喜式』に登場する伊勢神宮の荒祭宮を思い出します。
過去ブログにも書きましたが日本の神の神性には和魂(にぎみたま)、荒魂(あらみたま)があります。日本書紀には、「天照大神の荒魂」が書かれ、新羅遠征の段には「和魂は王身(みついで)に服(したが)ひて寿命(みいのち)を守らむ。」などと書かれています。
個人的にこれまで古代人の精神史の中でこの「和」「荒」の感覚的現れを語ってきました。岡本さんが「和」無き縄文美と解するところに大いに感動しました。岡本さんが語るから大いに意味があるのです。岡本さんの造形の表出がまさに「荒れ」の顕現だからです。
日本人の認識においては、正しいとか正しくないとか、善であるとか悪であるとか、よりも「和」「荒」が先立つように思うのです。
極端な話、善き人間になろうなどが先立つのではなく「荒れの心を起こさない」が先立つように思うのです。
おだやかに、にこやかに、なごやかに
荒れ、猛(たける)のヤマトタケルの神性の顕現とは異なるものとして。
しかしおもしろいのです。ヤマトタケルは樹の再生の神でもあり、筏の安全の神でもあるのです。
それは司る、という概念において日本人の持つ独特な感覚です。
縄文人骨の話から和魂、荒魂の話になりましたが、ある意味「善悪」や「正義」なる言葉は後に植え付けられた歴史的認識感覚のように思われます。しかし日本人の根源的深層にはこの「和」「荒」がいまだに残り続けているようにも思われます。
それがカント流の多数への従属にもなってしまうところに問題があると思うのです。
日本流の倫理・道徳の根源は「和して荒れない」人格つくりにあるように思うのですが・・・。