思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

神は実に私自身よりももっと私に近い

2014年08月14日 | 宗教

 今朝はキリスト教聖書のイエスの言葉から始めたいと思います。ルカ伝21章に近々エルサレムが軍隊に囲まれる。ユダヤの民は山に逃げ、街に居る人々は外に出て、その地以外に居るものはエルサレムに入るなという話が出ています。

 聖書物語の映画だと霧のような毒ガスとともにエルサレムの人々は悉く人の刃によって倒れ、捕虜にとなってあらゆる国に連れ行かれる、ノアの箱舟にも似たエルサレムに残りし民への鉄槌です。

 その後イエスキリストの来臨となり、御国は近いという話になっていきます。

 「神の国の近きを知れ」

 「人間は苦悩する存在である」とV・E・フランクルは語りますが、この世の災厄、苦悩の極地ほど「神の国は近い」と語られます。

 「苦労は買ってまでしなさい。」と経験者は未経験の若者に語って聞かせますが、そのような事態になった時こそ人間は試され、人は人になって行く、人間が人間になって行くという二度生まれの啓示にのようです。

 キリスト信仰はイエスの誕生に神を見ることになります。イエスの第一生まれです。W.ジェイムズの「第一生まれ」の人々は御国に生きる人々のようでしたが、生まれながら神ながらの道にある人と呼ばれるものでした。私はこのように要約してしまいますが、実際は翻訳本ですが次のように書かれています。

<『宗教的経験の諸相(上)』桝田啓三郎訳・岩波新書から>

 「彼らは、神を、厳格な審判者とは見ない、崇高な主権者とは見ない。むしろ、美しい調和ある世界に生命を与える霊、慈悲ぶかく親切な、清純であるとともに恵みぶかいお方として見るのである。こういう性格の者は、一般に形而上学的傾向をもたない。つまり、彼らは自己自身を省みることがない。それだから、彼らは彼ら自身の不完全さに思い悩むことがない。けれども、彼らを独善的と呼ぶのは、不条理であろう。というのは、彼らは自分自身のことなど少しも考えないのだからである。彼らの天性にある、こういう子供っぽい性質のために、宗教に入ることは、彼らにとってたいへん幸福なことになる。なぜなら、皇帝の前に出ると、親は慄(ふる)えるけれども、子供はひるまないが、そういう子供以上に、彼らは神を恐れてたじろぐことがないからである。事実、彼らは、神の厳しい専厳を成しているようないかなる性質についても、いきいきとした観念をもってはいない。
 彼らにとっては、神は慈愛と美との権化である。彼らは混沌たる人間界ではなく、ロマンティックで調和のある自然界のうちに、神の性格を読むのである。おそらく彼らは彼ら自身の心のなかに人間の罪があるなどとはほとんど知らないし、また、世界に人間の罪があることについても大して知っていない。人間の苦難もただ彼らの心に感動を呼び起すすだけのことである。かくて、彼らが神に近づく時にも、内心の動揺は起こらない。そして、まだ霊的な存在となっているわけではないから、彼らは、彼らの単純な崇拝のうちに、ある安らかな満足感と、おそらくはロマンティックな興奮を感じるのである。」

<上記書p124-p125から>

御国と言うと彼岸(ひがん)に見ますが、第一生まれは上記の如くに此岸(しがん)の話しです。W・ジェイムズは、フランシス・W・ニューマンの言葉を引用して語っているのですが、じつにわかりやすいはなしです。

 此岸とは以前にブログに書いたことですが、足下でもあります。今は、大地に立つ人間存在そのものの内を示していると私は解釈しています。

 13世紀の神秘主義のキリスト教者と呼ばれる、マイスター・エックハルト(以下M・エックハルトと記載)は西田哲学の中では多く語られる聖者ですが、大いなる迫害を教会側から受けた方です。

 『神の慰めの書』(相原信作訳・講談社学術文庫)の訳者序には次のように相原先生は書いています。

<『神の慰めの書』「訳者序」から>

 恩師西田幾多郎先生の「エックハルトやペーメのごとき深き思想家は、近代の哲学者のなかに見出し得ないところがある」という言葉は耳底にあってさらなかったが、カントに始まりフィヒテ、ヘーゲルを経、マルクスやニイチェのごときアンチ・クリストの洗礼に思想的彷徨の不安を深くした私は、長くこれらの真実の古典に近づくことをしなかった。科学と宗教、国家や社会と神、クリスト対アンチ・クリストなど現代共通の困難な問題は私をも、精神の分裂に追い込み、惨めな狂おしい状態に陥らしめた。元来のイデアリストであり、カント哲学によって哲学の基礎をきずかれた私には、所詮マルクスやニイチェは理解できなかったのかもしれない。・・・中略・・・「我が苦悩こそ神なれ、神こそ我が苦悩なれ」と好んで語るこの思想家は、その異常な勤勉さ、その非常な努力にもかかわらず、ややもすれば政治に拙に、現実世界における角逐に敗れて塗炭の苦しみに陥るドイツ国民の不可思議な性格を表現するもっともドイツ的な魂なのではないか・・・中略・・・この不完全なる訳業が、エックハルトの片鱗を日本の読者に伝え、近代精神の濾過を経たキリスト教の真理がいかなるものであるかを彷彿するよすがともなり、にほんの精神的目覚めに少しでも寄与することができるならば幸いである。

<上記書pp3-p9>。

 この相原先生の序は、1948年9月10日に書かれたものです。戦後のドイツ、戦後の日本がそこにあります。

 「現実世界における角逐に敗れて塗炭の苦しみに陥るドイツ国民の不可思議な性格を表現するもっともドイツ的な魂なのではないか」という言葉に、ユダヤ人ではあるがハンナ(ドイツ生まれ)・アーレント、V・E・フランクル(ウィーン生まれ)に同じ魂を見るような気がします。こう書くと反論を受けそうですが、何処か日本人にも似たところがあります。

 ルカ伝の話からM・エックハルトを語りかけているのですが、西田哲学でもよく使われるM・エックハルトの言葉ですが、『神の慰めの書』の第二部説教「六マタイ伝第21章第32節についての説教」の中の次の言葉があります。には確かに神信仰の根底が語られていることに感動しました。

<『神の慰めの書』から>

 ・・・神は実に私自身よりももっと私に近いというべきである。私自身の存在ということも、神が私に近く現存し給うことそのことにかかっている。私自身のみならず、一個の石、ひと切れの木片にとっても神は近く在し給う。ただこれらのものはそれを知らないだけである。・・・

<上記書p294から>

 西田哲学の西谷啓治先生の宗教哲学に語られるところですが、何せ素人の私、哲学者の森哲郎先生の講義の中でこの話を聴き、「神は実に私自身よりももっと私に近い」という言葉に感動し、それがM・エックハルトのことばであることに驚きました。

 ブログでもこれまでM・エックハルトの言葉をその著(訳本)の中から引用し「何事か」を語ってきましたが、軽薄そのものでその言葉に気づきませんでした。

 森哲郎先生は講義「西谷啓治の世界~意識を越えて~」の中で次のように語っていました。

<『信濃教育』第1526(平成26年1月号)から>

 ・・・これは前期の「絶対無」の三つの特徴(超越性・無我性・自由性)にも対応するが、前期・中期に一貫する興味深い視座は、この「神の根底(即自己の根柢)」が「自己の内に於て自己自身よりも一層自己に近い」という根本直観である。これこそが、まさに若き西谷啓治の「自己への勇気」(己事究明)を促した洞察として、「根源への要求」、自己の《もと》への究明であり、自己の対象化し得ないことの不思議な脱自的な絶対性であり、「絶対の此岸」としての「空」の立場を示唆することになる。・・・・

<上記書p102>

 森先生の講義は非常に難解で理解に苦しむところがほとんどですが、上記の「自己の内に於て自己自身よりも一層自己に近い」という言葉は、は先ほどのM・エックハルトの「神は実に私自身よりももっと私に近い」から由来するのですが、実に目がさめる思いがします。

 森先生の講義CDにして何十回聴きたのですが、時々の感動の中にこの言葉には、大いなる問いかけを受けています。

 M・エックハルトの上記の言葉の中の「一個の石、ひと切れの木片にとっても神は近く在し給う。」には道元さんの正法眼蔵の言葉を想起する人もおられると思いますが、個人的には、国史学者の西田直二郎(1886年12月23日 - 1964年12月26日)先生が『日本文化史序説』(昭和7年2月)の第四講「古代文化の概観其の一 神人融合 四八」に次のように書かれている部分が重なります。

<西田直二郎著『日本文化史序説』から>

 「草木咸能言語」。また「天地割判(わかる)の代、草木言語(ものかたり)せし時」ありとしたのは、古代の日本人が、わが住む世界について考えたこころである。われらの祖先は、その四周の山川草木のことごとくから、よく生ける声を聞いたのである。このこころのうちには自然の事象と人間の生命との区分が、なおあきらかについていない。而してこれはまた神と人との境が、いまだ大きく分けられていない状態であった。
 ここで示されている、「草木咸能言語(くさきことごとくよくものいう)」は、日本書紀巻二神代下、「天地割判(わかる)の代、草木言語(ものかたり)せし時」は、同じく日本書紀巻十九欽明天皇十八年に書かれている。

<上記書p207>以上>

 M・エックハルトの『神の慰めの書』の言葉、

 神は実に私自身よりももっと私に近いというべきである。

という言葉、現代においては悉く神無き時代における裸の実存です。西谷啓治先生の哲学からは、この「神」に「何ものを置くか」を学びます。