思考の部屋

日々、思考の世界を追求して思うところを綴る小部屋

Eテレ「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか」を観て思うこと(1)

2014年07月15日 | 思考探究

 Eテレで放送されている「戦後史証言プロジェクト 日本人は何をめざしてきたのか」という番組、7月に入り「知の巨人たち」という8回シリーズ「2014年7月(4本)・2015年1月(4本)」が始まりました。 既に、

第1回 湯川秀樹と武谷三男

第2回 鶴見俊輔と「思想の科学」

が終了し、7月19日(土)に、

第3回 丸山眞男と政治学者たち

が予定されています。

番組サイトによると、

「民主主義、エネルギー問題、平和など今日の課題に思想家・言論人はどのように取り組んできたのか。思想家の言葉と証言でたどる戦後史。(戦後編)」

ということで、個人的に学ぶべきところが数多くある番組で、還暦の私にとっての学びのの場になっています。

 番組紹介のサイト内容をそのまま引用しますが、

第1回 湯川秀樹と武谷三男
 ノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹とその共同研究者、武谷三男。戦時中、原爆開発に関わった二人は、戦後「科学者の社会的責任」を唱え、原子力の平和利用のあり方を模索する。
 武谷は、広島を訪ね、原子力が二度と軍事利用されない研究の枠組みが必要だと考え、原子力研究の「自主」「民主」「公開」の三原則を主張した。1956年原子力委員会の委員となった湯川は、海外からの原発の早期導入を進める方針に対し、自主的な基礎研究を重視するよう主張し、辞任。晩年まで、核兵器の廃絶、核なき世界を訴えた。
 湯川たち物理学者は「原子力」とどう向き合い、その未来をどう見つめたのか。

第2回 鶴見俊輔と「思想の科学」
 終戦の翌年、創刊された『思想の科学』。鶴見俊輔や武田清子ら同人たちは、「敗戦からより多くを学ぶこと」を目的に掲げ、「公園の片隅の砂場」のような雑誌をめざした。それから、半世紀、どんな立場の人でも“来るもの”は拒まず、多元的な意見を闘わせてきた。
 番組では、創刊メンバーの鶴見俊輔さん、武田清子さんから最後の編集者・黒川創さんまで、半世紀にわたって『思想の科学』に集った人々を全国に訪ね歩く。戦争に協力した過去を見つめる知識人、平和を願った人々、自立した生き方を求める女性たちなど、戦後日本の市民たちの姿が浮かび上がる。

<以上>

政治、思想には素人である私には知らないことが多く、ありがたいの一語に尽きます。

<第1回 湯川秀樹と武谷三男>

「第1回 湯川秀樹と武谷三男」は、核エネルギーの平和利用、核兵器完全撤廃など、これまでブログで評論家の唐木順三先生の、『「科学者の社会的責任」についての覚え書き』(筑摩書房・ちくま学芸文庫)からの学びを書いてきましたが、哲学者で評論家でもある唐木先生が書かれた時代の背景がよく解りました。

 平和利用、核兵器完全撤廃

そもそも「核エネルギーは人類に扱えるものなのか?」、平和利用や核兵器廃絶以前に「核廃絶」という問題があることが現代社会に生きるものとして問われているように感じるのですが、廃墟の中からの復興という課題に科学技術の果たした役割は大なのですが、考えさせられます。

「制御できるという確信」

はどこから来るのか?

 私のような素人は「信じる」か「眼中におかない」に徹するしかありません。

<第2回 鶴見俊輔と「思想の科学」>

 『思想の科学』という雑誌の背景がよく解りました。「ベ平連」「転向」・・・時代に目覚めているとはどういうことなのか。

 時代に迎合していた人々と目覚めていた人々

このような単純なる区分けにあるのだろうか。

「転向」という言葉について過去ブログで、長野県出身者の竹内好先生の『近代とは何か』の中から次の文章をアップしました。

※ウィキペディアから: 竹内 好(たけうち よしみ、男性、1910年(明治43年)10月2日~1977年(昭和52年)3月3日)は、日本の中国文学者。文芸評論家。魯迅の研究・翻訳や、日中関係論、日本文化などの問題をめぐり言論界で、多くの評論発言を行った。

<『近代とは何か』から>

 転向は、低抗のないところにおこる現象である。つまり、自己自身であろうとする欲求の欠如からおこる。自己を固執(こしつ)するものは、方向を変えることができない。わが道を歩くしかない。しかし、歩くことは自己が変わることである。自己を固執することで自己は変わる。(カ割らないものは自己ではない。)私は私であって私ではない。もし私がたんなる私であるなら、それは私であることですらないだろう。私が私であるためには、私は私以外のものにならなければならぬ時機というものは、かならずあるだろう。それは古いものが新しくなる時機でもあるし、反キリスト者がキリスト者になる時機でもあるだろう。それが個人にあらわれれば回心であり、歴史にあらわれれば革命である。

 回心は、見かけは転向に似ているが、方向は逆である。転向が外へ向う動きなら、回心は内へ向う動きである。回心は自己を保持することによってあらわれ、転向は自己を放棄することからおこる。回心は低抗に媒介され、転向は無媒介である。回心がおこる場所には転向はおこらず、転向がおこる場所には回心はおこらない。転向の法則が支配する文化と、回心の法則が支配する文化とは、構造的にちがうものだ。
 
 私は、日本文化は型としては転向文化であり、中国文化は回心文化であるように思う。日本文化は、革命という歴史の断絶を経過しなかった。過去を断ち切ることによって新しくうまれ出る、古いものが甦る、という動きがなかった。つまり歴史が書きかえられなかった。だから新しい人間がいない。

<以上>

 「中国文化は回心文化」はさておき、「転向は自己を放棄することからおこる。」という部分に「自己」という不明確な言葉が、まさにそのようなものがあると限定されて言及しているものの「日本文化は型としては転向文化」という言葉はいまも生きているように思います。

 「八紘一宇」「鬼畜米英」

 漢字文化、ある意味合理的な意味掴みの文化です。これが平仮名文化で、古代に漢字輸入がなかったならば、時代に酔うことはなかったのだろうか。

 漢字文化は激易い。

そんなことも考えてしまいました。