老いの途中で・・・

人生という“旅”は自分でゴールを設定できない旅。
“老い”を身近に感じつつ、近況や色々な思いを記します。

ボブ・ディランにノーベル文学賞授与

2016年10月15日 20時18分45秒 | その他
 昨日朝の新聞にはビックリしましたね。
何と、私の世代の代表とでもいうあのシンガー・ソングライターで、フォークソングの神様と言われるボブ・ディランにノーベル文学賞が授与されることになりました。
(但し、過去にも文学賞では、過去にはジャン=ポール・サルトルとボリス・レオニードヴィチ・パステルナークのような辞退者もいますので、ボブ・ディラン本人がどのような反応なのかは判りませんが…)

 ノーベル賞には「音楽賞」がないので、まさか歌手がこのような「文学賞」を授与されるとは思ってもいなかったので正直言ってビックリしました。
しかし冷静に考えると、1963年の「風に吹かれて」以後長年のわたり発表されているボブ・ディランの歌の歌詞の表現力・社会性と、音楽をいわゆる専門家の手から解放して、より身近な自己表現の手段としたボブ・ディランの影響力を考えると当然だと思えます。
長年待ち焦がれておられるハルキストには申し訳ありませんが、今回は悪しからず…

 ボブ・ディランは私よりと僅か2日だけ早い1941年5月24日生まれで、正に同世代ということもあり非常に親近観を持っています。
日本で知られるようになったのは私が既に社会人になった後ですが、丁度ベトナム戦争の最中でしたし、アメリカでは公民権運動が非常に盛り上がっている時で、彼の唄う古い価値を否定したメッセージ性豊かな多くの音楽は衝撃的で、反戦ソング或いはプロテスト・ソングなどと言われながらも、「時代の代弁者」として多くの人の心に浸みこんで行きました。
また、世界中の多くのアーチストに多大の影響を与えながら、未だにライブ活動を続けている永続性も大きな魅力でしょう。

 私的には、他の多くの同世代の人と同じく、彼のお陰でフォークソングという新しい音楽に出会えて、例え分野は違っても自分なりの表現の大事さを学びましたが、GAROが歌った「学生街の喫茶店」の中にある歌詞“あの店の片隅で聴いていたボブ・ディラン…”が当時の一般的な日本の若者が持っていたボブ・ディランへの心情を上手く表現しているように思えます。(まさ)
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