東京里山農業日誌

東京郊外で仕事のかたわら稲作畑作などをしていましたが、2012年4月に故郷の山口県に拠点を移して同活動をしています。

柳井市 新庄の史跡巡りウォーキングの下見(3/3)

2017年06月16日 | 歴史探訪他ウォーキング

  火伏地蔵尊を見終わると、次に岩政信比古(さねひこ 1790~1856年)邸宅跡に行きました。読売新聞だったでしょうか、先日この邸宅発掘ニュースが掲載されていました。私は行けなかったのですが、現地説明会がありました。柳井市に住んでいた国学者で月性との交流があった人です。ちなみに田布施町の漢学者亘理南山とほぼ同世代です。両者共に幕末直前に亡くなっています。

              国学者岩政信比古の邸宅跡  


 岩政信比古邸宅跡の隅に信比古碑が建っています。比較するわけではありませんが、亘理南山の方が立派な石碑です。亘理南山の石碑には功績や称える文章が刻まれています。しかし、岩政信比古の石碑には名前が刻まれているだけです。また、亘理南山の屋敷は平生町大野に移築されて今に伝えられています。岩政信比古邸宅はどうして残らなかったのでしょうか。継ぐ人がいなかったのでしょうか。

     簡素な岩政信比古の石碑          線路を超えて毘沙門堂に   
 

 続いて、山陽本線を超えて次の史跡である毘沙門堂に行きました。土穂石川沿いにある小さなお堂です。このお堂は地元の方に守られているのでしょう、花が活けられていました。続いて石風呂に行きました。前回は誰もいなかったため、外からしか見学することができませんでした。今回、奥様がおられたため石風呂を見学することができました。石風呂の内部などを見させていただき、ありがとうございました。

          見させていただいた石風呂営業時の絵図
 

 石風呂は、石でできたとても大きなドームです。中に8人位は十分に入ることができます。石風呂の右隣に火を焚くことができる口がありました。この口に木を入れて燃やすのだと思います。なお、石風呂の手前に藻を置いた箱がありました。石風呂に入る時にその藻を使うそうです。

 営業当時の石風呂写真    藻を見せていただく    石風呂入室時の衣服
  

 石風呂で使う藻はアマモと呼ばれる海草です。ワカメや昆布などは胞子で増えますが、アマモは種で増えます。種子植物なのです。そのため、海面上に花が咲いて、花粉はヨットように海面を漂うとても変わった海草です。石風呂の営業開始前にこの海草を刈り取っておくのでしょう。その海草(アマモ)は、土穂石付近では見られませんが、伊保庄の海岸では今でもたくさん生えています。

    石風呂の次に大師堂          Oさんの家に寄らせていただく                
 

 石風呂を見学し終わると、大師堂に行きました。そして、出発した新庄Mavaluに戻りました。新庄Mavaluに到着すると、車(私はバイクで)でOさんの家に向かいました。家に着くと、Oさんが待っていました。玄関隣の一室で楽しく談笑しました。子供の頃の話、小中高校時代の話などで盛り上がりました。飲物などご馳走様でした。
 今月のウォーキングは、蒸し暑い夏でもあり8km程度としました。

    史跡巡りウォーキングの下見をした柳井市新庄方面ルート

『山口県』 ジャンルのランキング
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 久しぶりに呉麓山のひっかり... | トップ | 足踏み脱穀機を使って麦の脱穀 »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

歴史探訪他ウォーキング」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。