四輪クドウの独り言

見えたまま、聴こえたまま、感じたまま…

加計問題は逃げる。共謀罪は強行採決。政治の劣化は国から地方へ・・・禅の言葉「本来無一物」を肝に

2017-06-16 18:15:38 | 日記

●今朝の新聞の一面は、加計学園問題で、元文科省事務次官の前川氏が証言した「文書の存在」を認めました。素直に認めればいいのに…。今日の国会でも、怪文書でなく、正式な公文書ということになりました。しかし、総理や官房長官、大臣の答弁は責任逃れの答弁で、役人のせいにするせこさです。トップを守るのはいいが、それは公務員として国民・市民の立場にたってのことだと思います。秘守義務という天下の鎧を盾にしているうちは、公の隠蔽体質は改善されないでしょう。

 

●議会は昨日から一般質問です。市長のいつもの迷答弁がでるのか。早速昨日、大島議員が「新庁舎の定礎石から前市長の名前を削ったものを、請願の可決を受け元に戻すか」と質問。「戻しません」と元気に一言。おっ強気だな!と思っていましたが、何回か追及を受けると、答弁が迷走し始め、とうとう「今議会では新庁舎建設の問題で100条委員会を設置して調べている。そういうこともあります」と。おっ「何?100条委員会はそういうことするためにやっているの」。違うでしょう。こういう理由を述べるようだと、相当に追い込まれつつあるということか。20日に諏訪議員も通告していることから、期待しますと大島議員は終わりました。関係者に誤解を与える答弁です。

2015.10.14に現在のブログの下書きを始めました。今日現在、文字数253,582文字です。400字詰め原稿用紙なら633枚です。新書版なら300ページの大作ができます。この時の出だしは、「臨済宗相国寺大本山管長の有馬頼底の「日々の禅語」の3日目は、『名利共休』(名利(みょうり)(とも)(きゅう))です。解説:名誉欲と利益への欲を共に休む。心の自由こそ、最も大切なこと。千利休の名もここからつけられた。と解説しています。」というものです。

●禅の言葉に勇気をもらっています。最近では、「本来無一物(ほんらいむいつもつ)」です。「失うものは何もない」という意味です。人間生まれた時や社会人になった時などは、生きるのに必要な知識や技術、経験も能力もほとんどなきに等しい。誰もが「本来無一物」であったと。何もないということは、そこに無限の可能があるということ。自分は「本来無一物だ」と思えば、失敗することや結果が出ないことなど恐れるに足らずだ。失敗したら「裸一貫」でやり直せばいいと。そうです。自分も2年前に政治の信用とこれまでの経験を全部失い、政治的に失うものは何もなくなりました。それだけに今は「強い」?と。

●自分は、生涯学習の考えに惚れて50年間取り組んできた。生涯学習の理念は、どこの大学で学んでいた(学歴)かでなく、自分に必要な知識や技術を学び続ける(学習)ことにあります。当時、高校卒業の自分が、生涯教育について論じ、実践した。あるシンポジウムで、著名な社会教育学者と「生涯学習」について激論した。その学者が最後に私に「工藤先生はどこの大学で教育学、生涯教育を学んなんですか」聴いたので、私は「社会大学」ですと答えました。先生は「社会福祉大学ですか」といったので、「いいえ社会大学です」と。聴いたことがないがどこにあるのですか。日本全国いや地球上のどこにでもあります。

●師は、両親から始まり小中学校の先生、地域の大人、新聞や本の読書、そして会社での仕事、地域活動で学びました。これからも学び続けますので「社会大学在学中です」と言ったら、その先生「ごめんなさい。私の質問がうかつでした」と言ってくれました。この話は、古くからの社会教育での友人から聴いたことを、ある時まねただけですが…。でもその先生立派でした。大勢の前できちっと謝り、生涯学習とは「まさに誰もが自分を豊かにするために学び、学びを通して仕事に、趣味に生かすことです。」と言ってくれました。それ以来、自分は高校卒業を気にしなくなりました。

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