引っ越します!

 長らくお世話になったgooブログ。

 実は、少し前から、引越しの計画を立てておりました。

 引っ越すにあたり、ネックになっていたのは、写真のサイズダウンの仕方。
 それがわからなくて、カメラのほうで、撮影時に、小さいサイズにして撮っていたのですが、それにも限界がありました。

 が、職場のカメラの師に、あっけなくサイズを変更する方法を教わり、問題も解決。 
 
 引っ越すことにいたしました。
 引越し先はこちら。

 姉妹堂姉舗


 遊びに来てくださった皆様、もしよろしければ、新しいブログの方へもお越しください。
 お待ちしております。

 リンクをしてくださっている皆様、ご迷惑をおかけして申し訳ありません。もし、お手数でなければ、新住所に変更していただけると幸いです。

                        2007/4/28 姉妹堂

 
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愛の証?

 これは、ほうれん草の根っこ。
 だけど。

 ささやかな、愛の証。


          

 
 小さい頃、わたしは体が弱く、貧血だったため、よくこのほうれん草の根っこの部分ばかりを食べさせられていた。

 ほうれん草の栄養が、この部分に集中しているらしい。

 でも、根っこの辺りには、砂などがたまっている。
 これを丁寧に洗い落とすのは、正直けっこう面倒くさい。
 丈夫になって欲しいという思いで、母はこれをせっせと洗ってくれていたのだろう。
 おかげさまで、ただいま健康街道まっしぐらに爆走中だ。

 結婚してから、ほうれん草を調理するとき、わたしも母に習い、根っこの部分も一緒に入れている。
 四ツ割りにして、ひとつひとつ丁寧に洗う。

 自分ひとりの食事なら、こんなこと、頼まれてもやらない。
 ザクッと一発、包丁で切り落として、うっちゃっておきゃいいのだ。

 面倒くさいけれど、根っこもきれいに洗って食べようと思うのは、夫がいるからに他ならない。

 甘い愛の言葉を囁くことは、性格上、おそらく死んでもないだろうけれど、ほうれん草の根っこが出てきたら、夫よ、あなたは間違いなく、妻に愛されているのだよ。

 だから。
 ほうれん草の根っこは、愛の証。


          

 食後は、甘い(?)ひととき。
 本日は、伯母からのいただきものの「ふくみ天平」
 滋賀県のたねやさんのもの。

 最中の皮と餡が別々になっていて、自分ではさんで食べる作り。

 口が渇いていると、最中の皮が張り付くことがある、という注意書きがあった。
 おもしろいから、夫には黙っていた。

「あー、最中が!」

 なるほど、やはり、張り付くらしい。
 おもしろい。

「これ、口に最中がくっつくよ。すぐ、お茶飲んだほうがいいよ」
 夫が忠告してくれた。
 
 知ってますとも。

 あなたはけっこう優しいが、わたしはけっこう意地悪なのだ。
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宝物。

 少し前の話。

 とんぼをもらう。
 白いオニヤンマ。


          

 
 こちらは、裏側。



 これ、一枚の紙でできているらしい。
 つまり、いくつかのパーツをくっつけて、形になっているのではなく、ひとつづきになっているようなのだ。

 ひだひだした胴の感じとか、繊細な足先とか、頭の立体感とか、小さな触覚とか。

 とにかく、ちょっと黙ってしまうくらいに、全部がすごいのだけれど、一番すごいのは、これを作ろうと思った製作者だろう。


 かなり、イカレているけど、イカシてもいる。


 こういうものをくれる人は、なかなかいない。  

 わたしが、もう少し若くて、独身であれば、惚れていたかもしれないが、あいにく、若くもなく、既婚であった。

 トキメキは、今や、人でなく、モノにしか向けられていない。
 いつから、そんな寂しい女になったのかは知らないけれど、おかげさまで、家庭は平和。まあ、それも、高額商品に恋したりすると、雲行きは怪しくなってくるかもしれないけれど。 
  
          

 
 さて、新入りの宝物に、翅の絵を描いてみた。

 皆、気持ち悪がるのは、リアルに描いてあるからなのか、無数の点で描かれた模様に狂気を感じるからなのか?

 なんか、気味悪さがアップして、ますます、素敵になったと思っているのは、わたしだけ?



 この模様を見て、夫は言った。

「暇やなあ!」

 ま、否定はできますまい。
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泳げない。

 シーズン中の海は、あまり好きじゃない。
 
 泳げないからだ。

 裸足で砂の上を歩くのがいやで、海に入るときも、ビーチサンダルを履きっぱなし。
 それじゃ、うまく泳げないのは当たり前。

 小学6年の夏、臨海学校で、ビーチサンダルを脱いで海に入るように言われたわたしは、もう、硬直して、踵だけで、その場に立ち尽くしていた記憶がある。
 つま先をつけて、足の指の間に、砂が入り込むのを避けたかったのだ。
 けっこう神経質な子供だったらしい。
 
 そういうわけで(?)、海水浴目的で行く海に、良い思い出がない。


 でも、オフシーズンの海なら、けっこう好きだ。
 靴をはいたままなら、砂浜を歩くのも苦にならないし、ボーっと波の音を聞くのは心地いい。
 
 写真は、ときどき遊びに行っていた海岸。
 泳ぐのが目的でなく、ラクダを見るのが目的。
 なぜか、いたのだ、本物のラクダが。


 さて、冒頭に、泳げない、と書いたけれど、実は、わたし、少しは泳げる。

 25メートル!

 背泳ぎで・・・。


 一念発起して、何年か前に、スイミングスクールに通ったのだけれど、入ったのはコースの途中で、ちょうど、みなさん、背泳ぎの練習中だったのだ。

 おかげさまで、背泳ぎはマスターした。
 が、その後、仕事の都合で、スクールに通うことが難しくなり、クロールと平泳ぎを会得する計画は、幻と化した。
 

 夫よ、もしも、あなたが溺れたら、妻は背泳ぎで助けに行くぜ!
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迷子。

 ときどき、無性に、どこかに帰りたくなることがある。
 子供の頃から、そうだ。

 生まれ育った街、自分の部屋にいるときでさえ、どうしようもなく、どこかに帰りたい気持ちになる。
 帰りたい場所の映像は、うすぼんやりと頭の中にあるのだけれど、それが、どこなのか、実在するのかどうかもわからない。

 ただ、帰りたい。

 そこに帰りたいという、強い気持ちに囚われて、息苦しくなる。

               

 廃線の続きを歩いた。

 今回は電車に乗り、とある駅で降りて、そこからの小さい旅。
 廃線の場所を、はっきりと知っているわけでもなく、あてもなく、辺りをうろつく。

 そして、見つけた。
 線路はなかったけれど、確かに廃線の跡だ。

           

 これは、おそらく、遮断機の基礎。
 こうして、廃線跡をしばらく辿り、目的のものを見つける。





               



 廃駅だ。
 駅舎はなく、ホームだけが残されている。



               

 帰りたい。
 帰りたい、帰りたい。

 風が新緑の木立を揺らす。
 気持ちまでも、一緒に揺さぶられた。


 帰りたくて帰りたくて。
 どうしようもなく、どこかに帰りたくて。

 ふいに、自分は一人ぼっちだということに気づく。 





 そこに帰り着くための電車は、ここで待っていたら、迎えに来るだろうか。



               


 ホームに座り込み、彼の地を思い、どうしようもなくて途方に暮れた。

 迷子だ。
 ずっと、子供の頃から、一人ぼっち、迷子のままだ。

 圧倒的な孤独に、声を殺して泣く。


 わたしは、いったいどこに帰りたいのだろう。



 さて、迷子を、現実に引き戻したのは、空腹。
 夢中で歩いたので、すっかりお昼ごはんを食べるのを忘れていたのだ。

 ひもじい女が乗るのは、現実の電車。
 おなかがグーグー鳴って、周囲の人の視線を浴びたのは、言うまでもない・・・。 
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あってよかった。

 以前住んでいたアパートの、上の階のご家族が遊びに来てくれた。

 ふいに電話があり、とんとん拍子に来てもらうことが決まったのだ。

 急な来客に、うろたえる主婦。
 到着まで、1時間しかない!
 その間に、お昼ごはんも済ませなければ!

 緊急事態だ。

 とりあえず、読みかけの本など定位置に戻し、スーパーに持っていこうと出してあった、ペットボトルやアルミ缶などを、車に積み込む。
 夫と二人、簡単にお昼ごはんを済ませ、ケーキを買いに走る。

 あってよかった。

 すぐ近くにケーキ屋さん。

 そして、あってよかった、お花。

          


 淡いオレンジが美しい薔薇(名前は覚えてない・・・)。
                 

 白とグリーンの、小花のアルストロメリア(これまた、名前は不明)。

          

 ツブツブの小さな花が愛らしいライスフラワー。

 数日前に買ったもの。
 豪華じゃなくても、お客様をお迎えするお花があって、とりあえず、ホッとする。

 しかし、まあ、実際のところ、3歳のちびっ子が走り回り、ご夫婦の視界にお花が入っていたかは、不明・・・。
 無論、ちびっ子は、花より団子。
 そして、おもちゃ!

「おもちゃ箱はないの?」

 ごめんね、さすがに、おもちゃ箱はないの。
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臆病者。

 何かを得ると、それを失うのが怖くなる。
 人は欲張りだ。

 だから、『欲しいもの』は、『欲しいもの』のままにしておく。
 そんな風にローギアで生きるようになったのは、いつの頃からだっただろう。
 臆病なのだ。

 手をのばせば、そこにある。
 でも、手はのばさない。
 掴んだ瞬間から、手放すのが怖くなるから。

 けれど、本当に欲しいものなら、泥だらけになっても、持っているすべてのものを失くしてでも、掴み取れ、とけしかける悪魔の囁き。

 一方で、冷静な自分が、危険は冒すなと警告する。


 
          


 まあ、所詮は臆病者なので。
 こんな風になっても、凛と立っていられるかはワカリマセン。

 そこに在るとわかってさえいれば、自分の手の中に収めなくてもかまわないけれど、たぶん、それは強がりの言い訳。

 今欲しいものは、あれ。

 どれ?

 
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有頭。

 有頭エビのパスタ(手をつけてから、写真を撮り忘れたことに気づいて、あわてて撮った!)。


 とある筋(?)から、エビのパスタが美味しい、との情報を得る。

 有頭エビを使うのがミソらしい。

 近くのスーパーに歩いて買いに行くも、売り切れ・・・。
 あきらめようかとも思ったが、思い立ったときに作らねば、レシピは頭の隅の方に追いやられて、いつの間にやら忘却のかなたに、てな具合になりかねない。

 執念深く、別のスーパーにも行く。
 しつこい女は嫌われる。
 しかし、徒歩圏内にスーパーがふたつあるのは、大変好ましい。

 わき目も振らずに、お魚コーナーへと突き進み、発見!
 解凍の特売有頭エビ、580円也。
 
 しかし、エビのパックだけを買う女って、どうなのだろう?

 さて、殻付きのまま使うように指示を受けたけれど、夫が、「殻が面倒くさい」と言うであろうことは、容易に予測できる結婚6年目の妻。

 夫が楽に食べられるということは、つまり、妻がその面倒を引き受けるということだ。

 なんだか、納得いかないと思いつつ、せっかくの料理に水を差されるのもいやなので、せっせと殻を剥く。
 殻を香ばしく炒めたところへ、白ワインを少しばかり投入して、がしがしとつぶし、エキスを抽出。

 これをソースに加えることで、よしとする。
 聞いた作り方と違うが、おそらくこれでもよかろう、と勝手に判断した。ついでに、アスパラも勝手に加える。タカのつめも切らしていて、一味で代用。

 かくして、エビのパスタの完成。

 レシピに忠実ではなかったけれど、かなり美味しいと、自画自賛の出来だった!
 
 毎日ごはんを作っていると、どうしても、同じものの繰り返しになる。
 うちの食卓に、新しい風。

 春は、新しいことにチャレンジする季節?
  
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ダマサレナイゾ。

 服屋さんの鏡は怪しい。

 試着してみると、「こりゃ、スタイル良く見えそうだなあ、ムフフ」てな具合のカッコイイ(かどうかは、見る人にもよるだろうが)自分が、鏡に映っている。
 無論、店員さんも、褒め称えてくれる。
 商売ですもの。

「これ、ください」
 ウカレた女は、スキップで帰途に着く。

 さて、おうちに帰って、早速ファッションショーを繰り広げてみると、何か違うのだ。
 困ったことに、「カッコイイわたし」ではなくなっている。

 ナンカ、・・・ナンカチガウ。

 愕然とするが、たぶん、おうちの鏡は、ウソツカナイ。
 切ない現実を映し出している、正直な鏡。

 ところが。

 どうも、おかしいおかしいと思っていたのだけれど、どうやら、うちの玄関につけてもらった鏡は、主をだましているようなのだ。

 出かける前の身だしなみチェック。
「あれ、なんか、足が細くなったような・・・、ウエストも細くなったような・・・」
 もしかして、毎日のスクワットが効いているのか?
 腹筋もか?!

 いいえ、たぶん、うちの玄関の鏡は、魔法の鏡。
 気分よく主を送り出すために、毎日、ちょっぴりウソをついてくれているのだ。
 
 まあ、おうちの鏡には、正直、現実の姿を映し出してもらったほうが、ありがたいのだけれど・・・。


 そういえば、小さい頃、写真にも鏡にも、自分はずっとだまされているのじゃないかという疑いを持っていたことを、思い出した。
 録音された自分の声に違和感を覚えるように、映し出された自分の姿も、きっとほんとはこんな風じゃないのではないか、という不安があった。

 実際、自分の顔を、直接見ることはできない。

 どうしよう、本当は、アフロヘアの阿藤快だったりしたら!?

 ・・・けっこう、楽しいかも。
 
 
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錠前。

 最近気づいたけれど、どうやら錠が好きらしい。
 
 錠を見かけると、なぜか、写真を撮っている。

          

 この扉の向こう、白く写っているのは桜で、美しいのだけれど入ってはいけない。

          

 こちらは、とある古いお宅の錠。
 どこに使う錠なのかわからないけれど、お役目を休んでいるときの指定席が、ちゃんとあるところを見ると、きっと、とても頼りになる奴なのだ、こいつは。
 
 錠の何が気になるのかは、まだよくわかっていない。
 わかる時が来るのかも、よくわかっていない。

 好きなことに、理由を見つけるのは難しい。
 たいていは、気がついたら、好きになっているのだ。


 それにしても、あまり錠の写真ばかりを撮っていると、盗みの下見などと、勘違いされてはどうしよう!?
 そう思ったら、にわかに挙動不審になり、ますます怪しさ倍増。

 怪しい者ではありません。
 ありませんたら。

 怪しさとは、否定すればするほど、増すもの・・・。
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