■サイト更新 近代:君はともだち
広瀬武夫関連です。
ちょうど1年ほど前に書いた文章になります。ってもうそんなになるの?自分でもびっくりしました。笑。
内容としては君はともだち、ということで、財部彪と竹下勇をピックアップしています。
いや、ピックアップというのも少し違う…
前半後半で、前者が財部、銅像建立と神社建立にかかる件を、後者は竹下で、竹下から見た広瀬、といった文章になります。
追記等していますので、よろしければご覧下さい。
一番最後に、Another Side へのリンクが張ってありますが、それは明日UPしますのでご了承ください。
※
これはまたいずれきちんと書きたいと思っているのですが、竹下勇の関係で去年末辺りに植芝盛平の伝記をいくつか読みました。
植芝盛平は合気道の開祖と言われる人物ですが、結構興味あるんですよ。植芝盛平とか、武田惣角とか。
植芝は大本教の出口王仁三郎(おにさぶろう)なんかと関わりがありまして、モンゴルやパインタラでえらい目にあったり、うん。なんかまあそんな感じ(おい…)で、要するに武道家という他に、大陸関係でややこしい人というイメージがあった。
京都の綾部にいた植芝を東京に引っ張り出してきたのが竹下だったのですが、幾ら優れた武道家だからといって、なんでまたわざわざそんなややこしい人を…。というか、なんで東京にいる竹下が知ってるの?という疑問があったんです。
竹下や財部、広瀬武夫の同期に浅野正恭という人物がいます。最終ランクは中将。
この人の弟が浅野和三郎といって、こちらも一時期海軍さんに奉職していた(海軍機関学校の英語教官)。で、この人が大本教な訳ですよ。色んな経緯の後大本教に入信し、かなり有力かつラディカルな信者となったそうです。
秋山真之に詳しい方なら大本教と浅野和三郎はご存じかと思います。
この弟の引きで浅野兄も大本教に出入りしていたようで(入信していたかはよく分からん)、このラインで竹下まで植芝が引っ張られた。
そもそも大本教の本拠が綾部なんです。植芝は出口に誘われて綾部に住んでいた。
綾部と鎮守府があった舞鶴は近く(電車で30〜40分)、毎日のように海軍の将官や下士官が出口の許に出入りしていたようで、その関係から植芝も海軍関係者に知り合いを作っていたという経緯もあるようです。
もう少し書きたい事もありますが、それはまた後日に譲ります。
中途半端な所でごめんね。ちょっとバタバタしてまして。

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