Forth!

Walk, Don't Run 
 もののふの 矢橋の船は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋
 

広瀬武夫と森山慶三郎

2011-01-14 | ヒストリ:広瀬武夫

■ サイト更新 近代史跡 広瀬武夫ブロンズ像

…史跡?
これ史跡ですか?いやーもう史跡扱いで!(笑)
去年ブログで御紹介した分ですね。もう少し付け足してUPしました。
写真がね…もう少しあれば良かったんですが、肝心な時にカメラがない…orz
ケータイにしては綺麗に撮れたかと思うので、許容範囲内かな、と。
まあどうせ竹田にはまた行くと思うので、特に悔しさは無かったり(^^ゞ
市のパンフの御陰で広瀬宅なども分かりましたので、次に訪れた時はまた竹田の史跡紹介ができたらいいと思っています。
 
全然新鮮味のない更新になっていますけれども、お時間のある方はどうぞ。
 


あと昨日ですがメールのページにリンクを繋げました。
関係ない人の方が殆どだろうなあと思うのですが…
うん、まあちょっと嫌な事が度重なったとでも思って下さい。





 
確かめたら広瀬武夫と森山慶三郎の話をと書いたのが既に1週間ほど前でした…
お待ちいただいていた方が居られたらお待たせしました。(なんのこっちゃ
…というか、楽しみにしている人いるのか。私くらいですか。そうですか。笑。


森山慶三郎は秋山と同期の17期になります。
佐賀生まれで、攻玉社を経て海兵に入学しています。
ということは、もしかしたら広瀬とはこの頃からの顔見知りだった可能性もありますね。
 
佐賀か〜…佐賀は元々海軍の強い所です。
鍋島藩が培っていた海軍力の関係で、維新当初は相当いいポジションについていた佐賀ですが、明治7年の佐賀の乱で転落します。
そこから名実ともに薩の海軍になる訳です(とはいってもやはり結構な勢力ではある…)
それをどうにかしたいと奮闘したのが古賀喜三郎という人物で、この方、作家江藤淳の曾祖父にあたる。
古賀の娘婿が江頭安太郎で、この方も佐賀出身。同期が束になっても敵わない位、ずば抜けて賢い人だったそうです。
安保清種、村上格一、百武三郎、源吾兄弟も佐賀出身。中牟田倉之助もか。
そういえば陸軍の宇都宮太郎も佐賀だったなあ。
この辺り、同郷且つ期が近いということもありますので、横断的な繋がりありそうですね。
婚姻関係とか調べてみたら面白いかもしれない。

秋山は17期のクラスヘッド(首席卒業)ですが、森山は4番目。
最終のランクは秋山と同じく中将。
残念ながら一般的には知名度はそれほど高くないかと思われますが、これなら思い出す方も多い筈!


真之と同期で、生涯の友人だった森山慶三郎(のち中将)は、当時少佐で、
第二艦隊瓜生戦隊(第四戦隊)の参謀をしており、巡洋艦「浪速」に載っていた。
彼もまたこの夜、旗艦三笠の長官公室にあつまったうちのひとりで、
東郷平八郎から出撃の命令がつたえられたときの模様をつぎのように語っている。 
<略>
ドアが、あいている。
広い部屋に電燈が煌々とかがやき、部屋の中央に大きなテーブルがあり、そのテーブルには海図がひろげられ、ふたりの人物がしきりに協議している。

 (産経新聞の挿絵)

参謀長島村速雄大佐と、少佐秋山真之であった。
森山は秋山真之というこの同期生を生涯神のように尊敬していたから、この情景をのちのちまで語り、それも、
「二人の稀世の名将が心血を注いで作戦を練っているという感動的な光景であった」
と言い、さらに二人の動作を説明している。(『坂の上の雲』 砲火)
 
 
いい場面です。とても好きだ。
ドラマで見るのをちょっぴり楽しみにしていたりした。華麗にスルーされていて泣いた。


 
私が書くとこういう残念な仕上がりになるのですが、持っている印象としては結構シニカルというかアイロニーに満ちているというか。
いい笑顔で毒舌ジャブ!な感じです。
昭和の、あの日露戦争30年記念の座談会の印象が強くて(笑)(余りの毒舌に爆笑する)


森山は広瀬や秋山真之と同じように、海外留学生(のち駐在員)として選出されています。
広瀬はロシア、秋山はアメリカ(のちイギリス)でしたが、森山はフランス。
それが明治32〜35年の間ですから、丁度広瀬がロシアに滞在していた頃と被ります。

広瀬と秋山は明治33年に連れ立って視察ということで、英独仏を旅行しています。
フランスに寄った際は、勿論フランス駐在の海軍さんたちと落ち合い軍港等の軍事関連施設を案内してもらっていて、広瀬の書簡の中にも森山の名前が出て来る箇所がある。

兄勝比古宛の書簡ですが、秋山を始めとして、伊東義五郎大佐(仏国公使館付武官)、築山中佐、森山大尉、岩崎達人大尉、庄司義基中佐、山本英輔、花房太郎中尉といった同行者の人々に寄せ書きをしてもらったもの。




後来ハ皆「アドミラル」ニナル豪傑連ノ自筆ナレバ、大切ニ保存アレ

と広瀬本人が書き添えているのですが、中々面白い書簡(ハガキ)だと思います。
こちらのハガキ、広瀬神社で実物を見せて頂いたことがあるのですが、字が薄くて…(;;


そんなこんなでフランスではお世話になった広瀬ですが、森山がロシアにやって来た時は勿論広瀬がお世話している。笑。
先程アジ歴の史料を見ていたんですが、海軍当局に森山が提出した旅行申請書がありました。
55日間でイタリア、オーストリア、トルコ、ロシア、ドイツ、オランダ、伯(カタカナがバルジツク。バルチックかな)の7ヶ国を回りたいというもの。

広瀬の書簡を見ると、森山がやって来たのは明治35年10月5日ごろの事。


三四日前、「フランス」国滞在ノ海軍大尉森山慶三郎ナルモノ来露。
当時少子ノ寓居ニ止宿致居候。


という一文があります。(継母宛書簡)
広瀬に帰朝の内示が下りた頃ではないかと思われます。
 
 
はいはい。続きまーす。
 
 
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森山慶三郎 アドミラル オーストリア バルチック 公使館付武官 坂の上の雲 ブロンズ像 江頭安太郎 東郷平八郎 伊東義五郎
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