原敬は前もって遺書を認めており、原が死亡したならすぐに開披するように指示がされていました。
曰く
死後の昇叙の拒否、盛岡での式/埋葬、葬式時の儀仗兵等の拒否。他もろもろ。
原の遺志により遺体は盛岡に送られます。
東京を発ったのが11月7日。
翌8日盛岡に着き、9日に密葬、11日に本葬が行われています。
11日の天気は雨。
それにもかかわらず、原の葬列の行進を見送ろうと多くの市民が詰めかけたと言います。
原の出身地である岩手は南部藩と呼ばれていた所ですが、明治初年に他の東北諸藩と同じく賊軍、朝敵となっている。
「白河以北一山百文」という言葉がありますが、これは戊辰戦争後から言われた東北地方に対する言葉であります。酷い言葉や…
東北出身者であれば誰でも「朝敵」という言葉に、怒りと屈辱感に燃えたと思うのですが、それは原も例外ではなかったようで。
原はその俳号を「一山」というのですが、これは上記「一山百文」からのもじりです。
原は世が世なら南部藩の家老となる良家の出でしたから、"朝敵"とされた故郷や藩閥に対する闘争心もひとしお強かったのではないか。
そんな事が推測できるような俳号でもあります。
※俳号で思い出しました。
正岡子規の門人に原抱琴という俳人がいるのですが、彼は原の甥にあたります。
学業優秀で盛岡から上京し子規の門を叩いた。若いのに俳句の出来が非常によく、子規を驚かせたといいます。夭折。
原が官途に足を掛けた時期は藩閥政治真っ最中ですので、東北人が政治の世界に割りいる余地は正直なところ殆どなかったでしょう。
そこを陸奥宗光、井上馨、伊藤博文といった要人に認められ引き立てられて、じりじりと政治の主要的な位置を占めるようになる。そして大正10年に総理就任。
東北出身、しかも爵位をもたない平民身分で総理大臣になった初めての人間が原でした。
賊とされた故郷の復権にも力を入れていた事もありますし…
そういう点でも岩手県の誇りだったんじゃないでしょうか。
大慈寺
原の菩提寺は大慈寺です。ここで葬られている。

表面に「原敬墓」とのみ彫られている簡素なお墓です。
それ以外は彫るなというのも、原の遺言でした。
文字を書いたのは西園寺公望。
(因みに原は遺書で昇叙を拒否しているのですが、大正天皇の意向という事で勲位が授けられています)
そうだなあ…
最後に何の話を書こうかと考えていたのですが…
原敬内閣の成立は大正7年。
満を持しての登場だったのですが、当然ながら内政も外交も問題が山積み。
原は相当の精力家なのですが、そんな彼でも3年経ったころには「そろそろ辞めたい」という事を山県有朋に漏らす程でした。
そんなこんなという中での政権運営だったのですが、内政関係では皇室絡みで大問題が起こっています。それが宮中某重大事件。お妃問題です。
横道に逸れるので触れません。ごめん。
この問題と前後して問題になったのが皇太子殿下の洋行でした。
この皇太子殿下というのは後の昭和天皇であります。
洋行の話が出てきた理由は、大正天皇の体が弱い(というか大正半ばからかなり深刻な病状でした)という事もあり、早い内に見聞を広げて立派な後継者になられるようにしたいという思惑があったようです。
ただ前例が無いとか、父帝が病気なのにとかの理由で皇后から強く反対されたり、宮中某重大事件との絡みもあり右翼に脅迫されたり。
元老の協力も得て、なんだかんだで洋行が正式決定するまでに2年もかかっている。
出発は大正10年3月。帰国されたのが同年9月というおよそ半年に及ぶ洋行でした。
さんざん骨を折っただけに、海外で皇太子殿下が立派に役目を果たされているという報告を聞くたび原は大喜びしています。本当に。
そして話がちょっと飛ぶんですが。
何年か前になるのですが、昭和天皇がマスコミにインタビューを受け(記者会見され?)た時の映像というのを見たのですよ。勿論戦後です。
どこかの記者が「一番楽しかった思い出は何でしょう」と聞いたのですね。
そうしたら昭和天皇はこの時の洋行を上げられたのです。
楽しかったというより、印象深かったという感じでしたが。
私、これ聞いた時凄くうれしかった。
けーさん、よかったね、報われたね…
不覚にもちょっと泣いた(ら、家族にびびられた)。
という訳で、今年は原敬の87回忌でした。
書き始めると書きたい話がたくさんありますね〜
これからちょこちょこ原さんの話も書こうかな。
■
…秋山兄も同じ11/4が御命日なんですが…
やっぱり私的近代史優先順位では原敬が上になってしまいます…
兄ィの事かいている人はたくさんいそうだしな。どうだろう。
そう言えば岩手繋がりで、同時代人であった斎藤実、私の言う所の「恋ひしき実様」ですが、先月27日がお誕生日でした(忘れてた)。
えっとね生誕150年だったんです、今年。
そういう事もあって、地元の奥州市水沢区では色々とイベントが…
私が6月に訪れた時は11月にシンポジウムするのでどうぞと言って頂いたのですが(流石に…)。
東大の加藤さんが来られます、とおっしゃっていたので、えー…加藤陽子さんかな?
斎藤實記念館でも特別展をされるそうなので、興味のある方はいかがでしょうか。
寒そうだなー岩手…
■
ランキング参加中

拍手ありがとうございます。励みになります!
再来年のタイガーの龍馬先生、福山雅治が演るそうで… orz
曰く
死後の昇叙の拒否、盛岡での式/埋葬、葬式時の儀仗兵等の拒否。他もろもろ。
原の遺志により遺体は盛岡に送られます。
東京を発ったのが11月7日。
翌8日盛岡に着き、9日に密葬、11日に本葬が行われています。
11日の天気は雨。
それにもかかわらず、原の葬列の行進を見送ろうと多くの市民が詰めかけたと言います。
原の出身地である岩手は南部藩と呼ばれていた所ですが、明治初年に他の東北諸藩と同じく賊軍、朝敵となっている。
「白河以北一山百文」という言葉がありますが、これは戊辰戦争後から言われた東北地方に対する言葉であります。酷い言葉や…
東北出身者であれば誰でも「朝敵」という言葉に、怒りと屈辱感に燃えたと思うのですが、それは原も例外ではなかったようで。
原はその俳号を「一山」というのですが、これは上記「一山百文」からのもじりです。
原は世が世なら南部藩の家老となる良家の出でしたから、"朝敵"とされた故郷や藩閥に対する闘争心もひとしお強かったのではないか。
そんな事が推測できるような俳号でもあります。
※俳号で思い出しました。
正岡子規の門人に原抱琴という俳人がいるのですが、彼は原の甥にあたります。
学業優秀で盛岡から上京し子規の門を叩いた。若いのに俳句の出来が非常によく、子規を驚かせたといいます。夭折。
原が官途に足を掛けた時期は藩閥政治真っ最中ですので、東北人が政治の世界に割りいる余地は正直なところ殆どなかったでしょう。
そこを陸奥宗光、井上馨、伊藤博文といった要人に認められ引き立てられて、じりじりと政治の主要的な位置を占めるようになる。そして大正10年に総理就任。
東北出身、しかも爵位をもたない平民身分で総理大臣になった初めての人間が原でした。
賊とされた故郷の復権にも力を入れていた事もありますし…
そういう点でも岩手県の誇りだったんじゃないでしょうか。
大慈寺原の菩提寺は大慈寺です。ここで葬られている。

表面に「原敬墓」とのみ彫られている簡素なお墓です。
それ以外は彫るなというのも、原の遺言でした。
文字を書いたのは西園寺公望。
(因みに原は遺書で昇叙を拒否しているのですが、大正天皇の意向という事で勲位が授けられています)
そうだなあ…
最後に何の話を書こうかと考えていたのですが…
原敬内閣の成立は大正7年。
満を持しての登場だったのですが、当然ながら内政も外交も問題が山積み。
原は相当の精力家なのですが、そんな彼でも3年経ったころには「そろそろ辞めたい」という事を山県有朋に漏らす程でした。
そんなこんなという中での政権運営だったのですが、内政関係では皇室絡みで大問題が起こっています。それが宮中某重大事件。お妃問題です。
横道に逸れるので触れません。ごめん。
この問題と前後して問題になったのが皇太子殿下の洋行でした。
この皇太子殿下というのは後の昭和天皇であります。
洋行の話が出てきた理由は、大正天皇の体が弱い(というか大正半ばからかなり深刻な病状でした)という事もあり、早い内に見聞を広げて立派な後継者になられるようにしたいという思惑があったようです。
ただ前例が無いとか、父帝が病気なのにとかの理由で皇后から強く反対されたり、宮中某重大事件との絡みもあり右翼に脅迫されたり。
元老の協力も得て、なんだかんだで洋行が正式決定するまでに2年もかかっている。
出発は大正10年3月。帰国されたのが同年9月というおよそ半年に及ぶ洋行でした。
さんざん骨を折っただけに、海外で皇太子殿下が立派に役目を果たされているという報告を聞くたび原は大喜びしています。本当に。
そして話がちょっと飛ぶんですが。
何年か前になるのですが、昭和天皇がマスコミにインタビューを受け(記者会見され?)た時の映像というのを見たのですよ。勿論戦後です。
どこかの記者が「一番楽しかった思い出は何でしょう」と聞いたのですね。
そうしたら昭和天皇はこの時の洋行を上げられたのです。
楽しかったというより、印象深かったという感じでしたが。
私、これ聞いた時凄くうれしかった。
けーさん、よかったね、報われたね…
不覚にもちょっと泣いた(ら、家族にびびられた)。
という訳で、今年は原敬の87回忌でした。
書き始めると書きたい話がたくさんありますね〜
これからちょこちょこ原さんの話も書こうかな。
■
…秋山兄も同じ11/4が御命日なんですが…
やっぱり私的近代史優先順位では原敬が上になってしまいます…
兄ィの事かいている人はたくさんいそうだしな。どうだろう。
そう言えば岩手繋がりで、同時代人であった斎藤実、私の言う所の「恋ひしき実様」ですが、先月27日がお誕生日でした(忘れてた)。
えっとね生誕150年だったんです、今年。
そういう事もあって、地元の奥州市水沢区では色々とイベントが…
私が6月に訪れた時は11月にシンポジウムするのでどうぞと言って頂いたのですが(流石に…)。
東大の加藤さんが来られます、とおっしゃっていたので、えー…加藤陽子さんかな?
斎藤實記念館でも特別展をされるそうなので、興味のある方はいかがでしょうか。
寒そうだなー岩手…
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