Forth!

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 もののふの 矢橋の船は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋
 

鈴木貫太郎の遺品盗まれる

2011-09-03 | ヒストリ:近代MTS


鈴木貫太郎 遺品盗まれる 千葉・野田の記念館



 
2日午前4時ごろ、千葉県野田市関宿町の鈴木貫太郎記念館で警報装置が作動、警備会社から110番があった。
同県警野田署員が駆けつけたところ、終戦時に総理大臣だった鈴木貫太郎(1868〜1948年)愛用の硯箱とシガレットケースのほか、遺品のウサギの置物の3点が無くなっていた。同署は窃盗事件として捜査している。

同署によると、玄関や3点を収納した展示ケースなどのガラスが割られていた。
大雨で、周辺の民家に物音も聞こえにくくなっていたという。

海軍出身の鈴木元首相は、同県生まれではないが、父親が関宿藩士で幼少時と晩年を記念館近くで過ごした。
伊藤公夫館長は「市民の貴重な財産なのに」と絶句。
管理人の男性(73)は「今日は千葉県選出では初となる野田新首相の内閣がスタートする日。いったいなぜ」と顔を曇らせていた。
 
(ソース:毎日新聞 2011/9/2)
 
***
 
昨日教えて頂いた悲しいニュース。
酷い事する……そんなことしたらダメだよ…
早く記念館に遺品が戻ってきますように。
 
鈴木は千葉県生まれではないとありますが、伝記を見ていると生れは泉州久世村伏尾、現在の大阪府堺市になる。
大阪生まれだったのか。
関宿藩は千葉県野田市関宿にあった藩で、堺市に1万石の飛び地があり、父親がそこに代官として赴任した際に鈴木が生まれた。
伝記によると生れた日に鳥羽伏見に戦いが始まったと書いてある。
慶応3年12月24日、確かに大変切羽詰まった時期ですが…
……ん?鳥羽伏見の戦いが始まった日…?(鳥羽伏見の戦い:慶応4年1月3日〜)
それに私広瀬と同年(慶応4年)生まれかと思っていた。勘違いしてた?
ついでに言えば鈴貫とリッキー・マーティンと誕生日が同じなんです。私。笑。(←12月24日)
  
藩主が久世氏ということで、そこから久世村なのかなーと思いますが。
代官だと武士身分じゃなくない?と思ったんですが、諸藩であると藩士を遣わしたり、現地の豪農等が任命されていたとのこと。
代官イコール現地の豪農だと思ってた…
でも良く考えたら高橋泥舟の父(高山代官)も武士身分だな。こっちは幕臣だけど。
 
関宿に移ったのが明治5(1873)年、そこから群馬県前橋に移り、明治16年に攻玉社に入社している。
広瀬武夫も同年12月に攻玉社に入って18年に卒社していますが、鈴木は翌17年に卒、海軍兵学校に入っている。
同年の入学者には佐藤鉄太郎、小笠原長生、財部彪等がいた。
彼らは海兵14期、広瀬の1期上になります。
14期には四天王がいまして、それが頭脳の佐藤、剛毅の財部、長者の鈴木、学問の松村(龍雄)。
 

(鈴貫だけ少尉の時の写真)

鈴木は父親も長者の風があり、代官時代は随分人々に慕われていたそうですが、それを受け継いだようですなあ…
ちなみに広瀬の親友・財部彪は15期で卒業していますが、この方病気で1年学年がずれていてそれで15期になります。

鈴木は何度も九死に一生を得てます。
幼い頃は悍馬に蹴られかけたり、泳ぎ方を知らないのに川に落ちたり、
海軍士官となってからは愛知の武豊港で軍艦天城の錨に巻き込まれ海中に沈みかけたり(時計がダメになっただけで無事)。
 
金剛に乗っていた時は、ある夜、船室があまりに暑いので涼を求めて砲座の鉄格子の下でいる内についうとうとっ、と。
ふっと目が覚めて立ち上がった時に、大砲に(多分思いきり)頭を打ちつけてしまった…
何処で寝てたか忘れてたんでしょうね;
ふらふらしたかと思うや、そのまま20尺(6m)下の海面に真っ逆さーまーに落ちてデザry(古い)
 
※フネ動いてます。

きゃあああああっ
泳いで金剛に追いつこうとするんですが、潮の流れが速くて中々追いつけない!
てゆーか軍艦に泳いで追いつけるのか!(笑)
鈴貫!助けを呼べよ!!
と思うんですが、本人曰く、海軍将校が海に落ちて助けを求めるなんて
恥ずかしさが先に立ってできない
ちょ、そこ!?

はい。それでね、追いついたんです(!)。
フターチェーン(フッターチェーン?)という鎖にしがみ付き、鎖と鎖の間に指を引っ掛けて、又は着物の帯を使い、どうにかこうにか後甲板のデッキに這い上がった。すげえ。
そしてブリッジに立っていた信号兵を見て

「なんで俺が落ちたのに気付かないんだ」

人のせいか。
笑。

そして信号兵曰く、
航海長、落ちましたか、先ほど後ろの方でボチャンという音がしたと思いましたが、何か判らぬのでした
助かったから良かったものの呑気すぎる。笑。

鈴木が言うには、遠洋航海等で暑い地域に航海する際、機関・食事関係等、釜の前で仕事をする人達は日没に甲板の砲台で涼を取ったりするものだそうです。
砲台は舷外に突き出ている為、眠ったまま海に落ちて死ぬ事があったと。
類似の事故が結構あった模様。
その時に気付けば助けられるけれども、誰も分からない内にいなくなって行方不明に終わる事もあったそうです。
助かって良かった。

まあ、夜の事だし?黙ってりゃ分からんべ。
そう思って何食わぬ顔で過ごそうとしていたんですが、朝食の際、鈴木の従卒が、

「寝巻きが濡れていますがどうしますか」 (大声)
「「「え、落ちたの?」」」

残念ながら皆に即バレで大笑いされました。笑。
いや、本当にね、助かったから笑ってられるんですよ、もう^^;
というか、寝巻きで寝てたんか。皆そうなの?

鈴木には随分幸運が付いて回っているようで、その後も何度か命拾いしています。
本人もそれは感じていたようです。
また、これはラッキーというだけではなく、何か目に見えない何か大きな力に守られていて、
何度も死ぬような目に遭いながらも、危ない所で助かっているように思うと述べている。
 
今回の盗難はそんな死ぬような目、というのではないですが、ラッキーでもなんでもいいから元の記念館に戻ってきて欲しい。

(※青字は『鈴木貫太郎自伝』より引用)
  
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いつも拍手ありがとうございます!

台風がすごいですが、皆さん大丈夫でしょうか。
私の住んでいる地域はちょっと風がキツイだけで、台風?みたいな感じですが…
一昨日の方が風は凄かった。まあ、今からかなという。
というか葬儀で家族が香川にいるんですよね。昨日帰ってくる予定が当然ながらアウトー。予想通り。
ちゅーか、今日も帰って来れるのか。

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キーワード
鈴木貫太郎 小笠原長生 鈴木貫太郎記念館 海軍兵学校
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4 Comments

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Unknown (ジゴロウ)
2011-09-03 21:21:02
いけませんよね(怒)

盗難もそうですが、参拝とか見学で、被害があると、禁止になったり閉鎖になるから、悲しみが止まらないですよ。

ご家族の無事の帰還を願っております。
>ジゴロウさん (ヒジハラ)
2011-09-03 22:35:07
本当に遺品が戻ってきたらいいんですが…
ちなみに記念館は10日程休館だそうです。

帰還だなんてそんな大袈裟な事ではないので^^ゞ
帰れないだろうなとは思っていましたが、まさか今日も帰って来れないとは思ってませんでした。
怒。怒怒怒怒。 (MV)
2011-09-04 07:55:56
許せませんな。
自分が欲しくて盗った、あるいは転売目的なら将来再び世に出るかもしれませんが、最悪愉快犯だったりすると、と思うと背筋が寒くなります。

鈴貫は確かにラッキーですよね〜。
自分に見せるためだけに優美に仕舞いを舞う真之を、たった一人で堪能してるんですから。ウラヤマシイゾ。
……ってそこかい(笑)。

悪天候でも瀬戸内海を渡れるように本四連絡橋が出来たんだと思ってましたが、台風の勢いが強すぎるんでしょうか。
留守宅をお守りのヒジハラさんが朝と御家族を無事にお迎えになられますように。

本四連絡橋といえば、昨日初めて知ったのですが。
1971年にマルタ政府(独立してたったの7年)から日本政府へ「マルタ本島とゴゾ島をつなぐ橋をかけてくれない?」というラブコール、もとい要請が来て、調査団が派遣されてるのですな。
予備調査団の団長は本四連絡橋公団の方で、本調査団にも同公団からメンバーが出てます。
きっと、海外で先に実績を作りたかったんでしょうね〜。
経済的に見合わないとの結果が出てお流れになってますが。うん、残念。
>MVさん (ヒジハラ)
2011-09-04 23:13:15
とにかく本当に早く返ってきて欲しいですね。
難しいかもしれませんが…
仏像等もそうですが文化財や遺品関連が盗難被害に遭ったと聞くと本当に悲しくなります。
仏様持ち出しとか、本当に仏罰が当たればいいのに。  
  
家族は無事午前中に帰ってきました。
御心配頂きましてありがとうございます。
5時頃にネットで見たら電車も橋も通常通りになってました。
金曜日はダメだろうなーとは思ってましたが、まさか2日も足止めとは。
本当に大きな台風でした。
    
鳴門大橋も明石大橋も強風で結構通行止めになってますよ〜。
風に煽られて本当に怖いんですよね、あれ…
車がちょっとずつ横にずれていくのが分かるのが余計に。
  
日本の吊り橋を架ける技術は世界一だそうで、要請が来たのはそれででしょうね。
確かボスポラス海峡に橋を架けるのにも日本が関係していた気がします。
トルコはこちらのシマだとイギリスから物言いが付き、手を引いたんだったか。
しかしながら上手くいかずどうとかこうとか。
記憶が曖昧すぎて肝心のオチが不確かです。スイマセン^^ゞ
 
吊り橋関係の話は山根一眞さんの『メタルカラーの時代』が面白いです。

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