藤原清衡の御命日です。
今日か明日が。
何故御命日が分かるかというと、清衡の妻平氏が清衡の死後21日目に追善の回向をしたという記録が高野山にある中尊寺経に残っている。
それが8月6日で、そこから逆算して計算すると7月17日が御命日という事になる。
…んですが、佐々木邦世『平泉中尊寺』や高橋富雄『平泉の世紀-藤原清衡』では16日になっている。
佐々木さんは中尊寺仏教文化研究所主任で、この肩書を見たら何か他に特別な数え方があるのかと思ってしまう。
どっちを採るべきなのか、よく分かりません。
えさし藤原の郷だと17日ですね。ここは毎年供養祭をしてるから。
というかカレンダーを見ながらそのまま日数を数えたら17日なので、それを採っているのだと思うんですが。
中尊寺だとどうなのかと思ったのですが、公式HPには何も記載がなかった。特に何もしてないのかな?
ついでにウィキペディアを見たら7月13日になっていた。
あー…これは京都の公家の聞いた伝聞です(中右記)。
これだからウィキの情報をそのまま丸呑みするのは怖いんだよな…
以前は広瀬武夫の項目でも間違った事が書かれていましたし、桐野利秋の項目でも、書かれた方が多分勘違いして違う資料名を出していると思われる個所がありましたし。今どうなってるのか知りませんが。
高橋景保の所でも高橋の語学スキルが小説から引っ張られていて、思わずひきました…
ウィキは本当に便利ですし、全体の流れを掴むのに短時間で済みますが、それが全部正しいかという事になると疑問がつきます。
自分が知っている分野なら間違っている事にも気付きますが、知らない分野だったら訂正しようがないよね。
別にウィキが悪いと言っているのではなく(だって本当に凄いし便利)、自分があれをどう使うか考えないと大間違いするというリスクがあるっちゅう話。
あれ?清衡命日?
…スイマセン。眠くてもう限界ですorz

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その佐々木邦世さんの『中尊寺千二百年の真実』(祥伝社黄金文庫書きおろし、平成17年)(まだ出だししか読んでません)には、
「中尊寺では、古くから藤原三代それぞれの祥月命日に御月忌法要を修してきた。清衡が七月十七日、基衡が三月十九日、秀衡ほ十月二十はと日である。」
とあります。同じ人が別のこと書いてますねぇ。それとも寺の慣習はそれとして、自分の研究では十六日なのかしらん。
案外、どっちかが誤植だったりして(笑)。
でも、版元のホームページには、どちらも訂正文は載ってないのでした。
どうなんでしょうね?
× 秀衡ほ十月二十はと日である。
○ 秀衡は十月二十八日である。
スミマセン。
さ、ささきさーん!(笑)
本日頂いたメールと併せてみると、なんだか誤植っぽいですか…
私何年もどっちなのかと気にしてたのに!(笑)
でも中尊寺での法要が17日だというのならそうなんだと思います。
カレンダーで何度数えても17日だし…
というか私本当に何年も…orz
あう…