Forth!

Walk, Don't Run 
 もののふの 矢橋の船は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋
 

広瀬武夫と愛知人脈

2011-09-13 | ヒストリ:広瀬武夫

■サイト更新 近代 【 広瀬武夫と愛知人脈 】
 
本当は下関の史跡の筈でした。
アップする前に『防長回天史』確かめたかったなーもしかして図書館にあるんじゃね?と思って調べたらあったよ…oh…
はははh…はぁ…こちらはとりあえず延期です。回天史を確かめてから下関史跡は更新します。
高杉晋作関係の史跡案内を終わらせて、やっと幕末から離れられると思ったのに。笑。
と言う訳で、急遽差し替えで広瀬武夫の話を持ってきました。
広瀬武夫メインなのに差し替えで広瀬持って来るってどういうこと。ちょっとどういうことなの。

『広瀬武夫と愛知人脈』ということで、原題は『広瀬武夫と東海人脈』でした。
考えたら愛知県出身者しか名前が出ていないと思い、愛知に変えた。
正直な所人脈と言うほどの人数はいないのですが、どういい変えたらいいのか、適当な言葉が見つかりません^^ゞ
 
今回出て来る人物は
財界人から政治家へと転身し、外相や首相といった重要ポストに就いた加藤高明と、
大正期に海相を務めシーメンス事件の処理をした八代六郎になります。
メインは加藤。
加藤と八代は竹馬の友。
そして広瀬との関係を言えば、加藤は親戚(嫂の従兄)で八代は仲のいい大先輩でした。
 
広瀬と八代の関係については、ここで述べるような事は特にないです。
皆さん良くご存じだと思うので。
加藤とはどういった交流があったのかと言う点ですが、これは残念ながらよく分からない。
 
今確認している限りでは広瀬の書簡に名前が4回出て来ます。
残念ながら、「イギリスより帰朝されました」とか、そういった感じのもので内容があるものではない。
実際に会った事はあったのか、その辺りは広瀬の書簡からは判然としませんが、広瀬が東京や横須賀で勤務していた際はそういう事もあったかもしれません。

加藤は明治33(1900)年、第4次伊藤博文内閣の外務大臣に就任します。
同年12月5日の書簡(父宛)では 
 加藤外務トナリ、小村ノ支那公使トハ、当時ノ外交家中ニハ、尤モ適任ナラン
そんな事が書かれている。小村は小村寿太郎の事です。
遠縁とはいえ親戚が外務大臣ってすごいな。
そしてこの書簡以降、加藤の名前は出てきません。

広瀬は明治37(1904)年3月27日に旅順港で戦死しますが、4月に入ってその葬儀が東京で行われている。
そこに加藤も出席していた事までは分かっているのですが、その間を埋める出来事が今の処は何もないんですよねえ。
調べているうちに何か見つからないかといつも思うのですが、加藤が為した事跡を見ていると日本史的ビッグイベントがあまりに多く、広瀬との関係なんてその前では芥子粒のように小さな事なので、殆どというか…全然出て来ない。
加藤サイドから広瀬の存在に触れられる事さえまずもって無い!
死後特進で中佐クラスじゃ仕方ない!(笑)
 
あと広瀬と大変仲の良かった1歳年下の兄嫁、春江さんとその家族の話もちょこっと。
加藤を見出し、上京に反対する加藤の実父を説得して東京に引っ張り出して勉強させたのが春江の父・安井譲になります。
そういう意味では、加藤は安井に足を向けて寝られなかったでしょうね。
 
広瀬は妻帯しませんでしたが、普通に考えたらそれは妻の役目だろうという事を、殆ど春江に頼んでいる。
クラス会の会費振込とか、どこの誰それに写真焼き増しして送ってとか、そういうの。
趣味は合うし、気は合うし、年頃も一緒だし、旦那も海軍士官だし、仲が良かったからいいものの、普通だったら嫌がられると思うんだけどな…
そういう意味でも広瀬にとっては非常にありがたい存在であったかと思います。
  
しかしこういう繋がりを見ていると、人の縁は面白いと思う。
 
日曜に神戸で先日書いた鈴木要三郎の調べ物をしていたんです。
川上俊彦(としつね)と東京外国語学校で同窓生だったと書きましたが、その関係もあって生涯に渡って仲が良かった。
川上俊彦とだけ言われても、恐らく大抵の方は「誰それ?」だと思いますが、

 

この方です。はい。これならきっと分かる方も多い筈。
♪旅順開場約なりて〜 水師営の会見で乃木希典の通訳をしていた。
またハルピンで伊藤博文が暗殺された時に側にいたりと、歴史的事件の目撃者でもあります。

この川上の妻が常盤という女性。
春江さんと同じく中々の才女で、偶々知人宅に出入りしていた時に彼女を見つけた鈴木要三郎が、
「ぜひとも川上の嫁に!」
おー。鈴木要三郎が切欠で川上は常盤さんと結婚したのね。

鈴木は外語学校卒業後、幾らかの経緯を経て海軍に入りますが、川上は外務省に入っている。
広瀬武夫がロシアに駐在していた頃はロシアに滞在したり、帰国したり、またロシアに滞在したり。
広瀬が明治35年にシベリアを横断して帰国する際、ウラジオストクに立寄っています。
丁度その頃、川上は領事としてウラジオに赴任していまして、広瀬は川上家に10日程宿泊している。
とはいえ川上は忙しく、接待したのは夫と一緒に赴任地に来ていた常盤夫人。



楽しかったらしい。
広瀬の帰国時にはこの人は自分の守護天使じゃないかと思うほどだったらしい。羨ましい。変わって常盤ちゃん。
てゆーかあんた旦那いるだろこら。笑。
私も広瀬に抱えられて荒馬から庇われたりしたい。ちょっとそれなんてハーレクイン。マジ羨ましい。笑。
常盤にとっても、広瀬が滞在した10日間はいい思い出であったようです。

鈴木要三郎は先日も名前を出しました。全集では2度名前が出て来る。
ひとつは鈴木宛の書簡(露語を教えて欲しい)、もうひとつはロシアに来た訪問者のひとりとして。
それだけでは具体的な事が判然としないのですが、戦前に出た書簡集を見ていると、
ふたりは指揮刀と備前長船を交換していまして、それなりに付き合いがあったような感じです。

広瀬と川上、広瀬と鈴木、それぞれの繋がりがあるのは分かっていましたが、
川上と鈴木のラインが繋がっているなんて思いもしなかったので、これは初めて知った時は驚いた。
いつも思う事ですが、世間狭すぎです。笑。
 

にほんブログ村 歴史ブログへ 
2つのブログランキングに歴史ジャンルで参加しています。押して頂ければ更新の励みになります。
いつも拍手ありがとうございます!

>感謝です。 さん
あ、いえいえ。お気になさらず。どうか謝らないでください。それよりも筆記までして頂いて、その御心がすごく嬉しかったんです。本当にありがとうございました。
国会図書館、相変わらずなんですね…^^ゞ 本を借り出してコピーに辿りつく迄余裕で1時間。あそこで見たい本は1冊や2冊じゃないのに、あまりの不便さに初めて行った時は泣きそうになりました。コピー代高いし…笑。でもやっぱり一番ネックになるのは交通費ですorzどうにもならない。笑。
いいですよねえ書簡…新しいのを見ると叫び出したくなります*^^*
先日初めて『憂国の至情』に載っていた口絵の桐野書簡を見ました。しかし近世名流〜に載っている別府と辺見の字、綺麗ですね。
特に辺見の字が意外と丁寧でびっくりです(どんなイメージだ)

ジャンル:
ウェブログ
キーワード
ウラジオストク ハーレクイン 国会図書館 外国語学校 小村寿太郎 シーメンス事件 伊藤博文内閣 防長回天史
Comment (0) |  Trackback (0) |  この記事についてブログを書く
Messenger この記事をはてなブックマークに追加 mixiチェック シェア
« ご連絡 | TOP | 書簡 »

Comment

コメントはありません。

post a comment


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
※文字化け等の原因になりますので、顔文字の利用はお控えください。
下記数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。この数字を読み取っていただくことで自動化されたプログラムによる投稿でないことを確認させていただいております。
数字4桁

Trackback

Trackback  Ping-URL
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。

Related Topics