Forth!

Walk, Don't Run 
 もののふの 矢橋の船は速けれど 急がば回れ 瀬田の長橋
 

残心、平泉へ11

2011-06-26 | ヒストリ:平安の風

平泉、世界文化遺産に登録決定とのこと。
自分が好きで度々通っている場所が、世界から見ても価値があると認められるのは素直に嬉しいです。
以前訪れた時は世界遺産登録を意識してかちょっと整備しすぎていたような所があったので、それがこれから加速しなければいいな、と若干の懸念もありますが。
少々ひなびた雰囲気が「つわものどもが夢のあと」という歌にあっていて、初めてあのまちを訪れた時の情景が今でも忘れられません。
ここにみんないたんだ、と思いながら当時日高見川と呼ばれた北上川を眺めると胸が熱くなった。
 
柳の御所は5月初めに世界遺産登録関係の記事を書いた数日後に、申請から外すというニュースが流れていました。
そうだろうな、という感じはしましたが、ここはやはり残念ですね。
登録されたから価値があるとか、上がるとか、そういう風には思わないんですが、注目が集まる事で登録された所だけではなく、トータルで平泉や歴史を考える切欠になればいいと思います。
平泉の意義や作り上げた先人たちの思いを引き継いでいけるように…
 
**
 
前回書いた通り、金沢柵は難攻不落の要害でしたが、果敢に源義家、藤原清衡(当時清原姓)は攻撃を開始します。
まあ…ぶっちゃけ清衡は殆ど出てきません。笑。
何と言いますか、この辺りは本当に八幡太郎の物語なんですよね。
前回の弟・義光の参陣と言い、源氏の物語と言ってもいいほどエピソードに溢れているのですが、清衡は不在なんである…
  

 
この柵攻めの際、義家は剛臆の座を設け、士気の鼓舞に務めました。
これはそのまま、剛の者の座、臆病者の座で、各々該当する位置に座る事になる。
剛の座には常連がいまして藤原季方という人物。また常に臆の座に末割四郎惟弘という人物が座る。
前者はともかく、後者は、これは武士にとっては恥辱でしか無かったでしょう。
末割は剛の座に座るべく奮闘するも、敵に喉元を射られ死亡。そこから米粒が出てきたことから嘲笑の対象になってしまった。
義家はこれを見て剛の者たる心得を諸将に説いたと言われます。

鎌倉権五郎景正は名前を聞いた事がある方もおられるかと思います。
鎌倉に所領があったから鎌倉氏を名乗っていて、それだけにその近辺には伝承が多い。
結構伝説も残っていますし、恐らく後三年の役に出て来る人物の中では有名な部類に入るかと。
鎌倉には景正を祭神とした御霊神社がありますし、歌舞伎を好きな方は恐らくご存じだと思います。
『暫』の主人公 です。
 
彼はこの戦の時、16歳。恐らく初陣でしょう。
彼はこの時に敵に右目を射られています。
夏侯惇か。夏侯惇は左目か。
惇兄はその際自分で矢を引っこ抜き、一緒に取れてしまった目玉を食べたとされますが、景正はそのまま敵陣に向かい、返ってきた後に仰向けに倒れ込んでしまった。
それを見た三浦為次がこの矢を抜こうとして、草鞋履きの足で景正の顔を踏みつけた。
三浦はそこそこ動転していたかと思われます…^^ゞ
これに怒ったのが当の景正で、刀を抜いて三浦を刺し殺そうとします。
弓矢に当たって死ぬのは本望だが、生きながら顔面を足蹴にされるなど耐えられない。あまりに無礼過ぎる、ということで。
 

  
三浦はこれに甚く感じ入り、膝をかがめて膝で顔を抑え、矢を引き抜いた。
…という場面が上図。東京国立博物館が所蔵している『後三年合戦絵詞』。
勿論権五郎はこれ以降隻眼の武将になる訳で…夏侯惇か(しつこい)。 
景正その傷を金沢柵側を流れている厨川の水で洗ったと言い、それ以降ここで取れるカジカは片目が潰れているものが多く、「片目カジカ」と呼ばれるようになる。
厨川と聞いてあれ?と思われるかもしれませんが、誤記ではないです。笑。
厨川柵(盛岡)の厨川とは別物で、金沢柵付近に流れていた川。
  
このカジカはありがちな昔話とか伝承ではありません。
片目カジカというのは実際にいまして、金沢では確か標本が飾ってあったし、20〜10匹に1匹捕れたとか聞きます。
結構な割合ですよね。今はどうなのかな…
実際にはこの戦以前より存在していたのだろうとは思いますが、権五郎にちなんで有名になった。
明治期でしたか、天皇の上覧を賜ってます。確か。
  
画像があるかとグーグル(画像)先生に聞いてみたらありました。 →片目カジカ(ホルマリン漬け)
別にエグイ画像ではないですが、嫌いな方もいるかもしれないので自己判断でどうぞ。
見た感じは懐かしのウーパールーパーです。
 
去年、岩手の読者様と遣り取りをしていまして、西和賀でも片目カジカの伝承があると伺って驚きました。
西和賀というのは岩手県なのですが、横手からは結構距離がある。
戦勝して横手から岩手に帰るにしても、西和賀を通ると相当遠回りになるので、景正が通ったようには思えないですが…
何かあったのかな。 しかし岩手は本当に伝承、伝説の宝庫ですな。

またこの戦で、また八幡太郎で一番有名なエピソードと言えば、恐らく『雁行の乱れ』になります。
義家が軍を進めていた際、西沼付近を通りかかった時、急に空を飛んでいた雁たちが列を乱して飛び始めた。
そこでふっとある事を思い出し、部下に命じて雁の列が乱れた下を射掛けろと。
そうしたら30騎ばかりの敵兵が潜んでいたんですね。


 
その場面がこちら。
これは『後三年合戦絵詞』でも、屈指の名場面です。
教科書や図録、本の表紙などにも利用されることの多いシーンですので、ご存じの方も多いと思います。

義家は前九年の役で勝利を収め都に帰った際、主君藤原頼道(道長息子。平等院を作った人物)にその戦の話をしに行きます。
この話を後でか、側でか聞いて
「器量はよき武士の、合戦の道をしらぬよ」(『奥州後三年記』)、腕はいいけどまだまだだ、
と批判した人物がいた。
これが大江匡房(まさふさ)になります。文章博士、赤染衛門の旦那さんとして有名です。
で、この大江の言葉を義家の郎党が聞いており、それを主にチクった。笑。

普通なら気を悪くしたり、捨て置け、という感じになると思うのですが、義家は流石に人物でして
「さる事もあるらん」、まあそういうこともあるやろなあ
そう言って、彼に請うて兵学を教わる事になります。
その時に雁列が空を行くのが突然乱れたら、その下には伏兵がいる、という事を習っていた。
それで西沼での様子をみてピンと来たんですね。
 
 西沼

この際、義家は「武の道ばかりに進んで、文の道に暗かったら、この伏兵の事も分からずに敗北していただろう」と周囲に零しています。
上の写真はその西沼で、左端に3連の太鼓橋が見えますが、この雁行の乱れを記念して雁橋(かりがねばし)と呼ばれています。
 
源氏の武士たちの様々なエピソードに溢れていますが、それでも金沢柵は攻めるに難く、力攻めで陥とす事はできなかった。
そこで力攻めから兵糧攻めへと攻略法を転換する事になります。
ちなみに、この金沢柵攻めは、日本史上で初めてとなる兵糧攻めになった。
 
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後三年合戦 ウーパールーパー 奥州後三年記 前九年の役 国立博物館 鎌倉権五郎 後三年の役 世界文化遺産
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2 Comments

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Unknown (ジゴロウ)
2011-06-27 01:20:08
さっき何気に読んだ本でみましたが、現地時間の6月25日って、藤原泰衡追討の院宣を頼朝が要求した日なんですね…

まあ、偶然にしては出来すぎですが。


八幡太郎の弟が新羅三郎義光って知りましたけど、戦国時代での強い大名(確か、武田家が末裔と言ってた)は、まず先祖がすごいなぁ…と。

次男さんは、加茂二郎だったと思いますが、やはりすごい人なんですか?


そして、三國志(嬉)
たまりませんね。
>ジゴロウさん (ヒジハラ)
2011-06-28 21:33:38
あ、そうなんですか…
今頃なんですね。
泰衡の首桶に蓮の花が入れられていた事を思うと、確かに平泉が陥ちたのは旧暦の6月頃かも。

先日書きましたが義光系源氏の子孫には武田や佐竹といった有名な武将が多いです。
地盤のあった中越以北に子孫が多い印象でしょうか。
 
そういった意味で割合プラスの印象を持つ人もいるようですが、義家がまとめ上げた源氏を内部分裂させ、保元平治の乱の辺りで平氏に後れを取った原因を作ったのはこの人物です。

賀茂二郎義綱もそれなりの勢力を持っていました。
堂上が義家にあてようとしたくらいですから…
それに兄義家と一戦交えるかという所まで緊張が高まったこともあります。実際にはならなかったけど。
兄と弟との間に挟まれ歴史上の人物としての影は薄いですね。
弟義光に冤罪に落とされ一族は滅亡していますし、後に続く話がないからかもしれません。
  
源氏の血は冷たいと俗に言われますが、義光を見ていると本当にそんな感じがします。

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