きょねブログ

申絹愛(しん・きょね)■司会■バイリンガル司会■通訳■ラジオパーソナリティーetc.
気ままに、徒然なるままに…

崔承喜生誕100周年に寄せて〜受け継がれる民族の舞〜【2】

2011年12月21日 | 徒然NOTE
【1】はコチラ
…(前回より続く)
  
日本の敗戦後、朝鮮半島は南北に分断され、2つの政府が成立。崔承喜は、夫について北側へ渡った。
その後、平壌に崔承喜舞踊研究所が設立され、多くの舞踊劇や作品の創作活動に取り組んだほか、後進の育成や舞踊の更なる発展に力を注いだ。1958年には「朝鮮民族舞踊基本」を発刊。崔承喜は解放前(1945年以前まで)、朝鮮全土を訪ねながら宮中舞踊、芸能集団が踊っていた舞踊、ムーダンの踊りなど当時の朝鮮の踊りや動作を収集していた。それらの中から民族的な色彩の濃い踊りの動作を選び、体系化してまとめたものがこの図書なのである。これは、舞踊界の歴史に残る貴重な宝である。
このように崔承喜は、類まれなる踊り手であっただけではなく、優秀な舞踊振付師、演出家であり、舞踊理論家、熱心な教育者であったのである。
1969年8月朝鮮民主主義人民共和国の北部、咸鏡道で亡くなったと言われている崔承喜。しかし、実際には1990年代後半になるまで、その偉業が北でも南でも大きく取り上げられることはなかった。理由は、それまで韓国では、越北芸術家に関する議論はそれ自体タブーとされていた他、日本軍の慰問公演を行ったことが韓国国内で「親日派」と批判されたことも関係する。又、朝鮮民主主義人民共和国においても、彼女が晩年、政治的な理由から地位を追われていた事と関連している。しかし、1990年代以降から南北双方で名誉回復や再評価の動きが見られるようになり、現在に至っている。(北側では2000年以降正式に名誉回復している)
今も残る全盛期の彼女の写真を見ると、長身のスタイルを活かしたダイナミックさ、モダンにしろ舞踊にしろ、そのスタイルは現代の私たちが見てもどこか洗練されている。きっと当時の女性から見ても憧れの女性像だったに違いない。

モダンダンスやバレエなどの欧州の舞から、日本、中国など東アジアの舞まで身につけた彼女であったが、結果的に自身の民族の舞踊に全力を注いだのは、民族の文化、舞踊をこよなく愛し、それらを受け継ぎ発展させようとする強い意志に他ならなかったのではなだろうか。
異国に生まれ育った私たちの心を離さないのは、踊りのひとつひとつの動きから感じられる悠久な我が民族の息吹かもしれない。
彼女が遺した民族のチュムカラク(踊りの動作)・民族の心は、こうして新しい世代の踊り手達に受け継がれている。

■崔承喜生誕100周年記念行事(2011)
・舞踊家崔承喜生誕100周年〜崔承喜を共有する〜 5/21ソウル
・崔承喜生誕100周年記念「伝説の舞姫・崔承喜展」10/18-10/29 東京(韓国文化院)
・崔承喜誕生100周年記念行事11/24〜26ピョンヤン
・朝鮮半島と日本の心をつなぐ-崔承喜生誕100年記念公演-朝鮮舞踊祭典-12/4広島
・崔承喜生誕100周年記念 任秋子民族舞踊団特別講演12/05東京
・崔承喜讃フェスティバル12/21東京 …など
ジャンル:
ウェブログ
キーワード
人民共和国 ピョンヤン 1945年 日本の敗戦
コメント (0) |  トラックバック (0) |  この記事についてブログを書く
Messenger この記事をはてなブックマークに追加 mixiチェック シェア
« 崔承喜生誕100周... | トップ | くりすまぁーす »

コメント

コメントはありません。

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。
※文字化け等の原因になりますので、顔文字の利用はお控えください。
下記数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。この数字を読み取っていただくことで自動化されたプログラムによる投稿でないことを確認させていただいております。
数字4桁

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
ブログ作成者から承認されるまでトラックバックは反映されません。

あわせて読む