きょねブログ

申絹愛(しん・きょね)■司会■バイリンガル司会■通訳■ラジオパーソナリティーetc.
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崔承喜生誕100周年に寄せて〜受け継がれる民族の舞〜【1】

2011年12月21日 | 徒然NOTE
シアリ公演パンフレットに掲載した内容をご紹介します。
限られたページ数に、彼女の人生をまとめるのはとても大変な作業でした。
それでも、彼女の足跡を追い、調べる過程はとても充実した時間でした…


崔承喜生誕100周年に寄せて〜受け継がれる民族の舞〜

今年は、伝説の舞踊家 崔承喜の生誕100周年を迎え、南北朝鮮半島(朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国)や日本で、記念行事が積極的に行われた。
彼女は、朝鮮民族の舞踊を舞台芸術として発展させることに多大なる貢献をした人物である。
朝鮮学校には部活動の一つに民族舞踊部がある。全国の卒業生達の中にはシアリの様に社会人サークルとして(又はプロとして)舞踊を続けている人が少なくない。
朝鮮半島のみならず、異国で生まれ育った在日コリアンの心を掴んで離さない民族舞踊。私たち民族の文化である舞踊を語る上で欠かすことのできない「崔承喜先生」についてここに紹介したい。
 
崔承喜/チェ・スンヒ/さい・しょうき(1911年-1969年)
彼女が活躍した時代は、朝鮮半島の暗黒の時代-日本の植民地時代である。
それにも関わらず、当時の朝鮮、日本のみならず、アメリカやヨーロッパ、南米、中国など世界各地で公演を行い、多くの人々を魅了した。あの時代に、植民地下の民族の女性が、しかも本名で、「コリアンダンサー」として活躍したこと。
それがいかに凄いことであるか、現代の私たちが想像するのはそう難しくないであろう。
両班の家に生まれ育ち、幼い頃から頭が良く小学校で飛び級し4年で卒業。その後淑明女学校に進み、在学中の内の4年間奨学金を受けていたほど優秀であった。
そんな彼女は、1926年日本人舞踊家-石井獏のソウル公演をきっかけに彼に師事し、来日。モダンバレエ、現代舞踊を学ぶようになる。
彼女はすぐに頭角を現し、17歳の頃「セレナーデ」(ソロ)でデビュー。次々と公演の舞台に立ち当時の国内(朝鮮)・日本で活躍を始めた。

又、京城(現在のソウル)に崔承喜舞踊研究所を設立し、研究生として弟子達を育てた。一方で、崔承喜は、伝統舞踊家に民族の伝統舞踊を学んだことをきっかけにその魅力に感化され、自身の現代舞踊と伝統舞踊を融合させ新たな境地を見出す。
本国や日本での公演を成功させた後、1938年、アメリカサンフランシスコ公演を皮切りに、ヨーロッパ、南米、中国でも公演を行い、「東洋の真珠」「半島の舞姫(朝鮮の舞姫)」と呼ばれ国際的に活躍をした彼女は、世界中に「コリアンダンサー崔承喜」の名を馳せた。
 
彼女の舞は、山田耕筰、川端康成など日本の文化人・知識人のみならず、ピカソやジャン・コクトー、ロマン・ロランなど世界の著名人をも魅了した。
そして何より、日本の植民地化にあった当時の朝鮮民族の人々の、希望であり誇りであったことは言うまでもない。
日本で映画や広告のモデルにも登場するほど人気を博した彼女だが、時代は軍国主義が暗い影を落とす時代。上からの圧力もあり、公演内容に日本的なプログラムを盛り込むよう指導されたり、軍の慰問公演を行わなければならなかった。(このことが後に、「親日派」と批判される原因の一つとなる)

…【2】に続く

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ヨーロッパ 1938年 サンフランシスコ ロマン・ロラン モダンバレエ 1926年 在日コリアン 1911年 人民共和国
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