-中途失聴者のSilent Life-


聾者とも違う、難聴者とも違う。
ある日突然、音のない世界に生きることになった中途失聴者のたわいない日常です。

日本手話と日本語対応手話

2010-01-28 22:49:22 | 手話の話。
手話学習者がサークルや講座に行くと、最初に必ず聞かされるであろう話です。

日本で用いられている手話には、大きく分けて2種類あります。
古来より、ろう者の間で用いられ、独特の言語として発達してきた日本手話。
それに対して、日本語(音声言語)を表すために用いられる対応手話。

「手話」という言語が持つ歴史については、ここでは触れません。
それは、ろう者の人が語ることであって、
私が、昨日今日伝え聞いた程度の内容で書くことではないからです。


さて、
この2つの手話の違いに付いて考える前に、
まず大前提として確認しておかなければならないことがあります。

まず最初に。
「日本手話」とはひとつの言語であり、音声言語である「日本語」とは異なる言語である
ということです。


日本手話を言語として考えるとき、日本語とはあきらかに異なることがいくつかあります。

日本語は文字と音声を主体とする言語であるのに対し、
手話は音声も文字も持たない言語です。

健聴者は、日本語の文字を読んで頭の中で復唱し、理解します。
しかしろう者にはそもそも「音声」という概念がないため、
「あした」という文字をみても、それを頭の中で「あ・し・た」と読むことはありません。

つまり、これが二つ目の大前提です。
日本手話を母語とする人は、日本語を手話で表しているわけではありません。
私達が、頭の中で日本語で「おなかすいたなー」と考えるのと同じように、
ろう者は、頭の中でも手話もしくは文字で考えているのです。

つまり、ろう者にとっては、会話に用いる手話と、その内容を書くときに使う日本語との文法が異なっているわけです。
日本語を話し、日本語で考え、日本語で書く私達には少し想像しづらい感覚かもしれません。



さて。
この2つの大前提を頭に置いた上で、日本語対応手話について考えてみたいと思います。

ろう者にとって、毎日の会話に欠かせない手話ですが。
手話を用いているのは、ろう者だけではありません。
聞こえが悪くなってきた中途難聴者や中途失聴者の中にも、手話を勉強し、会話している人たちがいます。

では日本手話を覚えればいいではないかという簡単な話に思えますが、
なかなかそうも行かないのが難しいところ。

私達の頭では、どうしても日本語で考えるクセがついています。
これは手話で考えるろう者との決定的な違いです。
頭の中で考えると同時に手を動かすと、どうしてもその語順になってしまうのが人の心理。
日本語対応手話は、独立した言語というよりも、
異なる言語である日本語を、手話を用いて表現する方法、と言っても良いかもしれません。
アメリカ人が話すのが英語とすれば、
日本語の文字を使わずに日本語を伝えるために書くローマ字のようなものかもしれません。


同じアルファベットを用いるからと言って、英語とローマ字が同じであるはずがないように、
日本手話と日本語対応手話は、同じ手話という形を用いていても、性質が異なります。


日本手話と日本語では、語順が違います。
たとえば、日本手話では疑問詞は必ず最後に来ます。
日本語で「誰が一緒に行くの?」という言葉は、「一緒に行く 誰?」となります。
これを対応手話で表せば、「誰 一緒 行く ?」となりますが、
日本手話に慣れた人ならば、最初の「誰」の時点で「いや誰って誰よ?」となるでしょう。


もちろん、それでも用件は伝わります。
しかしそれは、日本語を覚えたばかりのアメリカ人が、英語の語順に日本語の単語をあてはめて話しているようなものかもしれません。
「ですか? あなた 好き ソバ」
なんて調子でずっと話されたら、言いたいことは分かるものの、さすがにちょっと疲れます。
それが正しい日本語だと思われていたら、日本人としては一言言いたくなるかもしれませんね。

実際、多くのろう者にとっては、対応手話を読み取るのは結構気疲れすることのようです。


では、日本語対応手話を用いるのは間違いなのか?

確かに、ろう者の中には、対応手話を「間違ったもの」として否定する人もいます。
ですが、私はそうは思えません。

なぜなら。
音声でのコミュニケーションができないのはろう者だけではないからです。

中途失聴者や難聴者もまた、音声言語を失った人たちです。
第二言語として英語や中国語を話すのとは訳が違い、
必要に迫られて手話を学ぶ人の多くには、「上達するまで待つ」という選択肢はありません。
とりあえず、今のコミュニケーション手段が必要なのです。

もともと日本語を話し、日本語で考える中途失聴者どうしがコミュニケーションのために用いるのなら、対応手話でも十分成立します。
失聴し、急にコミュニケーション手段を奪われた多くの中途失聴者や難聴者にとって、
対応手話はコミュニケーションのために、一役も二役も買ってきたのです。

こうしたことから、日本語対応手話は、言語として発達したというよりも、
コミュニケーションのための手段として用いられてきたものということができるでしょう。


とはいえ、手話を長く学び続け、コミュニケーションの範囲も広がってくるにつれて、
「伝わる」だけの対応手話では物足りなくなったり、限界を感じたりして、日本手話を学び始める人は結構多いようです。
やはり、カタコトで伝わるだけの会話よりも、
込み入った話も情緒豊かに表現できるほうが、話していて楽しいですから。


たかが手話、されど手話。
手話の世界も、奥が深~い世界です。





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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
魅力 (鉄)
2010-01-29 13:16:48
Ayamiさん、こんにちは

日本手話と日本語対応手話の違いを分かりやすく説明されており、脱帽です。

私は身障関連団体等に属してないので、以降は私見になりますが、


>確かに、ろう者の中には、対応手話を「間違ったもの」として否定する人もいます。

否定する人は、ほんのごく一部だと思います。
日本語対応手話の方がかなり普及されており、今まで日本手話をされてたろう者が日本語対応手話表現されたりしております。
(日本手話が苦手な人に、どちらも出来る人が合わしてる。)


>では日本手話を覚えればいいではないかという簡単な話に思えますが、
>なかなかそうも行かないのが難しいところ。

おっしゃる通り、かなりのエネルギーを要します。また、出会いが重要になります。手話をいろんな人とお会いしていくなかで覚えていくように、さらに、その中で日本手話ができる人となれば、Ayamiさんの世代では、デフファミリー一員とかコーダとか活動家ぐらいになってくるのではないかと思います。つまり、日本手話が出来ない人が多い。(点字の出来ない盲の方が増えているように。)

一部のインテグレーション者は、手話表現の数(言葉の数と比較して)の少なさに物足りないと感じる人もいます。Ayamiさんもそんな時がくるかもしれませんが、魅力(特に日本手話には多いですよ。)のある表現を楽しく覚えて続けていってほしく思います。加古川でも魅力のある表現の(読み取り)勉強会を開いているそうですよ。


以前、ブログにもあった「筆談ホステス」の最新ニュースです。
http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2010/01/29/01.html
はじめまして (ルカ)
2010-01-29 20:13:36
「日本手話」で検索していてたどり着きました。
非常に分かりやすい解説をありがとうございます。

最近手話を習い始めたのですが、
ろう者の先生は対応手話はよくないといわれるのですが、
でもサークルの仲間はみな対応手話を使っていて、どっちが本当なんだと思ってました。

鉄さんのコメントに

>否定する人は、ほんのごく一部だと思います。
>日本語対応手話の方がかなり普及されており、今まで日本手話をされてたろう者が日本語対応手
>話表現されたりしております。
>(日本手話が苦手な人に、どちらも出来る人が合わしてる。)

とありますが、
ろう者の先生や、通訳士さんの話では、
対応手話を否定はしないとはいえ、やはり本音では日本手話が正しいのだという考えは強いみたいです。

実は、手話通訳の養成講座にも少し通っていたのですが、
そこでは「日本手話を正しく使いこなすことが重要で、対応手話は邪道」という内容を延々と聞かされ、
それまでサークルでコミュニケーションしていたのはなんだったんだろう、というジレンマに落ち込んでいました。
手話がろう者の大切な言葉なのは分かりますが、そこまで特別扱いというか、神聖視するようなものなのか?見方が偏ってるんじゃないか?
という疑問もわいてきて、悶々としていたところです。

Ayamiさんの、わかりやすく、そして冷静な解説を読んで、やっぱり引き続き手話を勉強して頑張ろうという思いになれました。
ありがとうございました!
鉄さん (Ayami)
2010-01-30 21:45:50
こんばんは。
コメントありがとうございます。

手話の語彙の数が少ないというのはよく言われてるみたいですね。
でも手話には、ひとつの単語でも、いろんな方法で表現することができるという特徴もあり、それが語彙の少なさを補っているんじゃないかという気がします。
たとえば、「山」という単語ひとつでも、手の動かし方で小さい山も大きな山も、険しいがけの山もなだらかな連峰も表現できてしまいますからねぇ。
それは、音声言語にはない手話独自の特徴だなと思います。


言葉って、人によって考え方や捕らえ方が変わるから、
「ろう者」「聴者」「難聴者」というくくりだけで語りきれるほど単純なものじゃないんですよね。
本当に、いろんな考え方の人がいて、いろんな使い方があるんだな~と思います。

私のような中途失聴者にとっては、
手話を使うことで「会話ができる!」というだけで感動的なんですが(笑)

ルカさん (Ayami)
2010-01-30 21:50:45
初めまして♪
ようこそいらっしゃいました♪
「日本手話」で検索したら出てきたって・・・
おととい日記書いたとこなのに早っ!と思ったら、
もしかしたら掲示板のほうがHitしたんでしょうかね。
どちらにしても、ご訪問ありがとうございます。

手話というのも、いろんな考え方があるので、いろんな考え方に触れていろいろ考えるのは良いことだと思います。
特に、もし手話通訳などを目指していらっしゃるのであれば、
ろう者や聴者、難聴者などのいろんな人の見解を聞くことは、決してマイナスにはならないと思いますよ。
もっとも、中には多少過激な発言もあるでしょうから、そのあたりは鵜呑みにせず、自分の中で判断していけばよいと思います。

手話という言語の背景などももちろん大事ですが、
それ以上に大事なのは、
普通の方法ではコミュニケーションできない人たちとも、手話を使うことでコミュニケーションができるということの喜びだと思います。
そういう体験をたくさん積み重ねていけば、ルカさんなりの、手話との関係の保ち方も、おのずと分かってくるのではないでしょうか。

なんか偉そうなこといいましたが、
私も手話勉強してまだ半年たたないんですけどね(笑)

ぜひ、これからも時々遊びに来てくださいね♪
感動しましたっ(≧∀≦ ) (∞みさる∞)
2013-04-30 08:36:16
語彙の数が少ない、というコメントをみて、やっぱりそこが日本手話の残念なところなのかなァとおもったんですけど。
『山」という単語ひとつでも、手の動
かし方で小さい山も大きな山も、険しいがけの山
もなだらかな連峰も表現できてしまいますから
ねぇ。
それは、音声言語にはない手話独自の特徴だなと
思います。』
という返答で、『ああー!そうだよ、そうだった。日本手話は無限大に、あらゆるもの、ことを豊かに表現できるんだった!』
と思い出させてくれました。

私は今中3で、今年は受験が待っているのですが。
進路の選択にとても悩んでいます。
私はろうで、幼稚園のころからろう学校に通っています。このまま高等部に進学するのが“普通”というか、それが多いんですが。
私はその高等部ではなく、美術科や、美術部のある高校へ行きたいという希望があって。
でも、情報保証がない。どうしよう~(..;)汗っていう状態です。

えーと、そのろう学校に進学したくない理由に、先生方が私の日本手話を読みとれない、私の声のない日本語対応手話を読みとれない、先生が手話をできない、というひとが多く、コミュニケーションに時々行き詰まるからというのがあるんです。

中学部から日本語対応手話に囲まれての学校生活だったので、日本手話を忘れてしまっているように感じてならなかったんです。
日本手話をみんなに知ってもらいたい、覚えてもらいたい、だけど私は見本にならない。
母語が日本手話なのに、思う存分に話せないのが悔しいですφ(.. )

半分というか、ほぼ…愚痴ってるみたいですみません。
とにかく、そんな中で日本手話は表現方法が∞無限大∞だってことを思い出させてくれてありがとうございました(〃ω〃)