詩人 自由エッセー

月1回原則として第3土曜日に、隔月で二人の詩人に各6回、全12回の年間連載です。

第3回 ブローニュの森、迷訪(第2回) アンドレ・ブルトン医師を査定する—症例は『ナジャ』 駒ヶ嶺 朋乎

2017-06-08 00:54:33 | 日記
 ダダイズムで揺籃され20世紀に登場したアンドレ・ブルトンの『シュルレアリスム宣言』こそは、いまに続く“知的で不可思議な現代詩”を提案し、起動させ続けている発想の泉だと言える。どのような現代詩もこの系譜を避けて解釈され得ない。そんなオピニオンリーダーの巨星であるブルトンさん、若い頃医者だったようだ。シュルレアリスムの自動書記や神託の神秘、21世紀でも色あせない奇抜さに気を取られてこれまでピンときていなかった。先だっての「現代詩手帖」2017年3月号のダダ・シュルレアリスムの特集でもこの視点での言及は皆無であった。
 そんなブルトン先生に遅れることおおよそ100年、現役ど真ん中の神経内科医をしている私は先日、岩田誠先生から、ブルトン青年がババンスキー博士の下で研修医をしていたことを伺うと、突然、現代医学とブルトンがびっくりするほどリアルにつながってしまった。だってあのババンスキー(フランス読みせずバビンスキーとの誤用が一般的)。神経内科という診療科を確立させたジャン・マルタン・シャルコーの直弟子にして、シャルコーが晩年没頭したヒステリー研究と袂を分かつ方法論からBabinski徴候を発見したババンスキーを知らない医者はいないから。神経内科医は、脳卒中をみるにしても、Babinski徴候を診察しない日などないわけで。

 ブルトンは一時期医者になろうとして勉強した。そして1917年、21歳の時に、ピティエ病院の研修医としてジョゼフ・ババンスキーに師事したのである。その名を冠されることとなった足指現象(今日われわれの言う「ババンスキー反射」あるいは「ババンスキー徴候」)を発見してからすでに20年以上を経過し、臨床神経学の巨人として世界中の神経内科医たちの尊敬を集めていたババンスキーは、たぶん相当風変わりであったろうこの青年の能力を買い、その将来に大いに期待して、彼を指導しようとしたらしい。(中略)このたぐいまれなる神経内科医との出会いは、ブルトンのその後の芸術活動に大きな影響を与えた。1962年、彼が『ナジャ』の改訂版を出版した時、ブルトンは註の中で、かつての師匠ババンスキーにつきこう述べている。「私は彼が私に示してくれた好意を今でも誇りに思う—たとえそれが私の医者としての大いなる未来を予言するほど、的外れなものであったにしても……」
(岩田誠『神経内科医の文学診断』白水社、2008、14−15頁)


 才能だけが才能を知る。文学史上の巨星同士の出会いの話にはいつも打ち震える。ブルトンとババンスキーが会話していただなんて、それ以上だなんてもう、動けないくらいの感動である。そして、フロイトを“わざわざ持ち出して”(いま思うとそんなことはない)無意識の意義付けを押しつけていたような『シュルレアリスム宣言』の意味も、『ナジャ』の最後半に突如大壇構えで展開される精神医療現場への大演説も、(皆様にとってはいまさらだろうが)何もかもが手に取るように理解された。
 フロイトもまたシャルコーの直弟子であるが、ババンスキーとは異なり、シャルコーから引き継いだヒステリー研究をむしろ発端として、精神分析学を創設した。シャルコーは今でこそ晩年のヒステリー研究や催眠術の研究で有名だが、筋萎縮性側索硬化症(アイスバケツチャレンジで名の知れたALS)や多発性硬化症の発見のみならず、パーキンソンの著作の中からパーキンソン病を再発見して名付けたり、その医学的業績は枚挙に暇がない。シャルコーからフロイトの側に精神医学が、ババンスキー側に神経内科学が開花した。精神と脳機能とがもたらす言語の新しい可能性としてシュルレアリスムは医学から直接生み出されたのだったか。(そんなことも知らずに、生まれた川を遡るように、詩人になった後に神経学に回帰してしまった自分は狐につままれたような気持ちでいる。)
 1928-1962年当時にブルトン先生が『ナジャ』とその改訂版に演説した、精神疾患患者を取り巻く社会状況への反駁は、20世紀後半まで根強く残った精神衛生法(1986年精神保健法に改正)、優生保護法(1996年母体保護法に改正)の歴史を鑑みると、その先見の明に驚かされるばかりである。そしてその先見性や正義感が医者村の住人を続けず、パリの芸術界で活動した理由だろうなと察しがつく。いまに残るシュルレアリスムの価値は、当時の“常識(全体主義)に対抗する”という意味合いが次第に抜け落ちていって、夢見がちなアンドレ青年が強調した不可思議さだけが穏やかに高められていると思う。常識に対抗することは当時命がけの倫理的戦いだったのだということもまた忘れていたことに気づかされた。
 そんな、飛び抜けて優秀で、(意外にも)正義感あふれるブルトン先生がもし、ババンスキーの励ましに応えて医者を続けていたらどうなっていただろうか。……シュルレアリスム運動がもっと小規模なものだったら、それこそ世界中の芸術がいまとは少しずつ違う形で存在しているんだろう。(たぶんね、前回言及した竹宮恵子の世界も少し違っちゃっていると思うよ。)
 上級医のババンスキー博士も絶賛しているし、下級医(仮に私)からみても精神医学の理想像をこんなにも提示できている点で良き指導医みたいなブルトン先生だから、とんでもなく優秀であることは火を見るより明らかだ。と思うと、神経科医としての技能を、実際のカルテ記載から推し量ってみたいというのは尊大だろうか。実際のところ、本当のカルテはないのだが『ナジャ』(巌谷國士訳、1963年「著者による全面改訂版」翻訳、岩波文庫)から抽出してみたい。訳註によると文学研究においては諸説あるとは思われるが、『ナジャ』の記載にフロイトの精神分析学の影響は明らかである。『ナジャ』では、フロイトの『ヒステリー研究』の「アンナ・O」のように、現象や経験をそのまま記載することが徹底されている。これらの記述は非凡なカルテそのものである。(凡庸なカルテは現象そのままの記載がしばしば欠けて、病名と処置や処方がメモ書きされているのみである。これでは時代を越えて検証、追認、新発見をしようがない。)もちろんブルトンにとって、ナジャは症例などではない。

 私は最初の日から最後の日まで、ナジャをひとりの自由な精霊としてとらえていた。つまりある種の魔術の行使によって一時的につなぎとめることはできても、服従させることなどとても考えられないような、あの空気の精のひとりに似た何かとして。(中略)フォンテーヌブローの森へ出かけ、一晩中さまよいあるいたことがあると私に断言する彼女がそうなのか、つまり、いつも霊感をうけ霊感を与えながら、街路という自分にとってただひとつ価値のある体験の場にいることだけを好み、なにか大きな妄想に身を投じているすべての人間の問いかけに応じることのできた、あの女がそうなのか?
(アンドレ・ブルトン 巌谷國士訳『ナジャ』1963年「著者による全面改訂版」翻訳、岩波文庫、129頁、134頁)


 ナジャはブルトンにとって発想の源、ミューズである。ブルトンに出会っていくらかして「ホテルの廊下で常軌を逸したふるまいにおよんだらしく」ヴォークリューズの精神病院に収容され、のちの生涯14年をそこで過ごすことになったという。(前述『神経内科医の文学診断』より)この収容を契機に、精神医学界に激しく批判をしたブルトンである。ナジャがいかに精神病院収容適応がないものか、それとも案外収容にて救われたのか、21世紀のいまの眼から検証してみたい。
 症例は「ナジャ(仮名)」。「若い女」、たぶん20歳代、女性。出身地はリール。生活歴は、本人の話をまるっきり信じるならたまに麻薬の運び屋、それから街娼のようなことで身銭を稼いでみたりしている。家族歴は娘が一人。既往歴は、運び屋をしたときに自分用を確保したとのことで違法薬物使用歴がある。
 少し長くなるが根拠の提示が重要なので、大筋をしばらく列挙する。括弧内に私見を述べた。読み飛ばし可能である。
 ★
 最初に出会ったナジャは、アイシャドーを下瞼だけに施し、みすぼらしい服でありながら異彩を放ち、声をかけると街娼のように意味ありげな微笑を返した。化粧や服装にそぐわない美しい立ち居振る舞い、そのほかにブルトンを惹き付けたのは、初対面でありながら込み入った身の上事情を打ち明ける、対人距離感の不可思議な近さ(発達障害、DSM-5の神経発達障害群かなあ)や、そもそもその内容が嘘だか本当だかわからない奇妙な詳細さ(統合失調症、統合失調型パーソナリティー障害等々、いや虚言症かな)だったのかなと思われる。初対面の日に妻帯者だときちんと告げてナジャをがっかりさせる。シュルレアリスム運動の、ポール・エリュアールの妻がダリの妻になる、みたいな世界と少しイメージが違う。でも、読者にはすでに“恋”が始まっているのは見て取れる。あるいは“陽性転移”なのかもしれない。十月四日に出会って、翌日また会う。今度は身なりを整えていたナジャだったが、初めは却って話が弾まない。ブルトンが持参した2冊の本からその背景知性から不釣り合いなほど見事に詩を読解し(愚鈍さと才能との同居。アスペルガー、いまでいう自閉症スペクトラムかなあ)唐突に2冊の表紙の色の関係に驚いてみせ、そんな偶然のなんの作為もないものに作為を読み取ってしまう(関係念慮。統合失調症かなあ)ナジャの姿勢に魅了される。その翌日六日も出会って、でも「彼女はきめてあった待ち合わせ場所には来ないつもりでいたと打ちあける。」(89頁)(境界性パーソナリティー障害かなあ。)ナジャは広場で群衆の死人の幻視を見て不安を感じる、混乱する(恐怖を伴う幻視だから入眠時幻覚をきたす疾患という点だけならてんかん、ナルコレプシー。しかしほかの点がそれぞれの診断を全然満たさない。純粋な幻視なら別に睡眠不足や疲労でもありうる。幻聴より幻視が優位のようだから統合失調症が第一鑑別ではない。せん妄かもしれない)。窓の明かりがつく前にそれを予言してみせる。当てるとブルトンが恐怖し、その恐怖がナジャにうつる。(二人組精神病、いや、むしろ単に思いを通わせる恋人同士。)「おまえは死ぬぞ」という声を聞く。(脅迫的幻聴。これだけなら統合失調症でもよいけど。)数世紀前の記憶があることやマリー・アントワネットの側近だったことを確信していて、なおかつその詳細をむしろ知りたがる。(統合失調症スペクトラム障害のどれか)接吻に「何か不吉な前兆」を感じて不安になる(またも関係念慮)。ナジャが知り得ないような書物のイメージをナジャはこともなげにブルトンに披露する。(思いを通じ合っている恋人だっていうことだけだ。)独語、それからまとまりのない発語、ちょっとしたものだけど訂正不能な妄想がある。
 お金に困って麻薬の運び屋をやった時、自分用を確保したという。(薬物後遺症、つまりDSM-5でいうところの物質・医薬品誘発性精神病性障害でも幻覚・妄想は説明がつく。薬物に手を出した背景に境界性パーソナリティー障害があるだろう。)そしてお金をせびる。(むしろこの一点で、これまでの鑑別疾患列挙がばかばかしくなる。すべてがブルトンを騙すための詐病だったかなとも思う。しかし気を取り直すと、ひょっとすると二人の間に築かれかけた信頼を壊すための一つの手法かもしれない。だとすると、パーソナリティー障害、中でもやはり境界性。)十月九日に500フランがナジャに手渡される。(疾病利得がある。これが目的なら詐病だし、目的外の利得だとしたら転換性障害ならこの出来事は予後不良因子であり、ブルトンが増悪させたと世間は言うと本人は憤慨していたけれど、すべきことではなかった。)品のない裁判長だとか、カフェの給仕だとか、ナジャに魅了されてしまう行きずりの男達がいる(尋常ならざる魅力があるのは境界性パーソナリティー的ではある)。出会って1週間の十月十一日にはもう情熱が失せてきたように見えて、十二日以降、その情熱をつなぎ止めるみたいにナジャの素敵な落書きや幻覚が披露される。それでも具体的な身の持ち崩し話(金銭的理由というより自傷行為としてコマーシャルセクシャルワーカーをしていることは多い。やはり境界性パーソナリティー障害に診断は傾く)を打ち明けられた十月十三日に、恋はあっけなく終焉を迎えたように思われた。そして唐突に、この日がやってくる、つまり精神病院に収容されたことが語られる。ナジャとの別れ。冒頭で、つきあっている人、つきまとっている人こそが「わたしは誰か」の問いの答えだ、と語ったブルトンは、「誰かいるのか?私ひとりなのか?」(171頁)とナジャの喪失を嘆く。恋だなあ。

 まとめると、ナジャの鑑別として、統合失調症、統合失調型パーソナリティー障害、自閉症スペクトラム障害、境界性パーソナリティー障害、てんかん、せん妄、虚言症、詐病、物質・医薬品誘発性精神病性障害と、まずは多岐に挙げてみた。ナジャが呈した社会との齟齬は、自傷行為としての娼婦の真似事、薬物乱用の既往、どうやら娘の育児放棄をしていること、男性遍歴、精神病様の幻覚・関係念慮である。ブルトンを魅了し、今なお私ら読者を魅了し続ける尋常ならざる魅力的な人物であることも決め手の一つになるかもしれない。これらナジャの困った部分は、境界性パーソナリティー障害で最も全体像に矛盾がない、というのが持論である。障害の状態として、本人・周囲とも苦痛は容認できる程度であり、現在の任意入院(本人の意向)、医療保護入院(家族等の希望)、措置入院(重篤な自傷・他害のおそれあり)のいずれにも該当しない。長期入院などもってのほかである。ブルトン先生の診断、入院適応がないのに収容した、に一票。パーソナリティー障害なんていう軸のない時代に、毅然とした意見を提示して当時の共通認識の甘さや常識の残酷さを告発したという点でこの書物は、いまなお医学的事件記録であると、捉え直せる。当時どのような女性が不当に収容されたのか。もちろん本書が、シュルレアリスムの実践書であることには変わりがない。こんな疑似診断でミューズに曇りがもたらされることがないように。境界性パーソナリティー障害には魅力的な方が多い。才能と社会生活上の障壁とが表裏一体である場合があるのは、よく語られるロマンである。
 この機に丁寧に読んでみて気づいたのは、ブルトンのまるでカルテのような詳細な記載は、逡巡する考察の点でもすぐれていた。特に思考のプロセスをみせる点で、ババンスキーとフロイトとの師匠であるシャルコー博士の『火曜講義』を彷彿とさせた。あえて後進に検証可能性を残すために、シャルコー先生の臨床講義では、答えに至るプロセスも提示したという(クリストファー・ゲッツ、加我牧子・鈴木文晴監訳『シャルコー神経学講義』白揚社、1999年)。シャルコーからババンスキーを経てブルトンが誕生し、そしてシュルレアリスム運動から現代詩へという、注目しなければ見えて来ない、それでいて確かな19世紀から21世紀への思考の潮流に触れることができて、感無量である。
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