詩人 自由エッセー

月1回原則として第3土曜日に、隔月で二人の詩人に各6回、全12回の年間連載です。

第5回 連載エッセー(第3回)・メスメリズムの診た患者 駒ヶ嶺 朋乎

2017-08-09 02:11:47 | 日記
 「動物磁気」なる生命力を提唱したフランツ・アントン・メスマーを最初に知ったのは黒沢清監督の映画『Cure』(1997年)だった。文学部の宿題で、日本映画一本について何か書くというお題に際してうっかり観てしまった。1998年の夏だった。自分のペースで読める本というものとは違って映像は向こうのペースなので、普段ほとんど映像を見ない。しかし宿題なので、DVDをたくさん借りてきて、どんどん早送りして観ていたのだが、『Cure』はもう最初から相手のペースに引き込まれてしまった。全編早送りせずに観られたが、正直ものすごく怖くて、観てはいけないものを観た、観なければよかったと、とっても後悔した。メスマーを信奉する私大の医学生(萩原聖人)が、自身も催眠下にありつつ、出会う人に次々と催眠的手技で殺人教唆を行い、実行されていく。殺意の痕跡のない一連の事件を刑事(役所広司)が追うが、刑事自身の心の内にも踏み込まれてしまう、というストーリーだったと思う。刑事の妻がなぜか回し続ける洗濯機や、その妻が通う精神科外来のがらーんとした感じ、顔を剥奪された催眠術師の肖像(誰だろう…少し嫌な予感…)、私的実験室での猿の標本などが記憶に突き刺さっている。メスマーについて知りたいと思いつつ、近寄ってはいけないと思い、距離を置いてきた。
 しかし最近19世紀の医学文献を読むにつけ、メスマー、恐怖で彩られたその懐かしい名前を、よく目にする。どうやらメスメリズム、アニマルマグネティズム(動物磁気療法)、つまり催眠術が、メスマーの存命だった18世紀のみならず、19世紀の社会や医学界を席巻していたようだ。必ずしも医師でなくとも催眠術師らによってあらゆる症状に施術され、文学上ではホフマン、バルザック、ディケンズ、ポー等に影響を与えたという(マリア・M・タタール、鈴木晶訳『魔の眼に魅されて』国書刊行会、1994年)。このような怪しげな催眠術は、19世紀末に神経医学の祖・シャルコーによってオカルト色を脱色され、洗練された。グレージンガーによる「精神病は脳病である」、クレペリンによる精神疾患分類の開始を背景に、シャルコーの弟子・フロイトがその催眠術をかなぐり捨てて初めて、精神分析学が誕生する。前回ブルトンを追うことで、20世紀前半から後半の精神医学が、第二次大戦での特定の疾患を理由にした大量虐殺をも踏まえて、目指そうとした人類としての高い理想、倫理があぶりだされたことが大変勉強になったので、その精神医学誕生前夜の混乱を追ってみたいと思う。
 個人的に、精神疾患に関わらず全疾患はphenotype、つまり形・機能の多様性であり、生物多様性の一環に過ぎないと思っている。社会生活上困っていることに対処できる範囲で対処を提案するのが医療であるが、すべてひっくるめてどんな状況であっても生かす努力をすべきであり、昨年の相模原事件の思考は全面的に誤謬であると糾弾する。全体主義が全体自体を見ていないことは憤りを感じる滑稽さである。今日の地球の状態が明日も保たれるわけでないことを既に人類は知っているのだから、全体を生き延びさせたいならなお生物多様性を保全し淘汰に備えなければならない。集団は均質になってはならない。
 メスマーの著作『動物磁気』『動物磁気の発見に関する覚書』という本は残念ながら入手できなかったのでまずはメスマー関連本にあたってみる。メスマーは催眠術師として興行を行った人物ではなく、ウイーン大学医学部卒の医者としてキャリアを開始したらしい。医学博士号の論文からすでに「身体への惑星の影響力に関する試論」だったというから当時としても初めから何かと奇抜であったと思われる。学位は授与されたがウイーン大学からは終生、動物磁気へのお墨付きは得られなかったようだ。前述のマリア・M・タタール『魔の眼に魅されて』には付録に動物磁気に関するメスメルの27の命題が挙げられている。動物磁気、この小笠原鳥類の造語のような不思議な響きはどのような意味なのだろうか。(ちなみに鳥類さんにメスマーを踏まえたのか18年前に質問した限りでは無関係という回答であった。)「命題1 天体、大地、生物、この三者は相互に影響を及ぼし合っている。2 その影響を伝える媒体は、ある流体である。その流体は宇宙全体に浸透し、寸分の隙間もないほど持続しており、あまりに微細なためにどんなものとも比較することができず、その本質からして、その運動がもたらすあらゆる印象を受容し、伝播し、伝達することができる。」フリーメーソンの聖歌がいまにも流れてきそうな厳かさで、オカルティズム満載の怪しさであるが、なんということか、つながりを大事にする姿勢に溢れている。つまり、他者に対する尊厳に満ちている。「10 生物には、天体の影響や自分を取り巻くほかの生物の影響を受容する特性がある。この特性は磁石のそれと似ているので、私は動物磁気と命名することにした。」全世界・全宇宙がつながっているこの感じ、生物と非生物との境界を取り除き、生死の境界を取り除き、解脱の域にあるこの感じ、ゲーリー・スナイダーもびっくりの禅思想的である。世界曼荼羅。優しい人だったんだなあ、メスマー。その作用は光や音とで操作でき、物質に浸透するがゆえに治療に応用できる。逆作用の属性を持った生物も存在するとされておりこれが疾患を引き起こすということか。またこの動物磁気自体が治癒をもたらすのではなく動物磁気を医師が使うことで、診断が下せる、薬の使い方がよくわかる、治癒へとつながる「分利」(なんのことだか具体的にはわからない、フロイトのあれと語感が似ているからあれのことか)を誘発し、病気の進行を食い止め疾患予防に務められる、とある。18世紀にすでに予防医学を提案している点でも新しい。この27の命題には「直接的に神経の病気を、間接的に他の病気を治す」とあるので動物磁気療法は神経疾患を主な対象としていたようだ。神経疾患には脳の形態・機能が壊れて症状が出ている場合と、いわゆるヒステリーのように壊れていないけれども症状が出ている場合とがあり、後者で必要なのは現在でいうなら認知行動療法や言葉による治療であるので、後者の場合、動物磁気療法はよい適応で、実際よく治療できたことだろう。ちなみにこの27の命題にはポーの『ユリイカ 物質的宇宙ならびに精神的宇宙についての論考』(1848年)を想起した。ポーの『ユリイカ』は、八木敏雄訳の岩波文庫を持っているが頑張って読んでも何が書いてあるのかさっぱりわからない……。むしろ原文を縦に読むべきか、などを迷う奇書である。メスマーの影響で惑星が生体に及ぼす未知の力について考察したのだろうか?一転、メスマーの論は明解でわかりやすい。
 メスマーが実際診た患者、治療を試みた患者たちはどのような患者さんたちだったのだろうか。ジャン・チュイリエ、高橋純・高橋百代訳『眠りの魔術師 メスマー』(工作舎, 1992年)は神経心理学を専門とする医師によって20世紀に書かれた小説であるが、史料を元にメスマーに、痙攣、片麻痺、急性発症の視覚障害を呈した若年男女の患者さんの治療にあたらせている。一例目フランツィスカという若年女性は痙攣、後弓反張を呈して、舌を噛んで身悶えする発作を呈していたが、メスマーの手が腹部をさすっただけで発作が頓挫している。メスマーの一次資料に当たれないのでこれが限界である。(このエッセイを締める前に、ネットにはメスマーのドイツ語原文やフランス語解説が落ちているという論文を見かけたがもう締め切りすぎているのでまた今度!)
 19世紀前半におけるメスメリズムの第一のパトロンとされる医者にJohn Elliotsonがいる(Ridgway ES. John Elliotson (1791-1868): A bitter enemy of legitimate medicine? J Med Biogr, Part I: 1993, Part II: 1994)。メスメリズムに傾倒するあまり、ロンドン大学病院教授の職を追われたようだが、追われるまでにはメスメリズムに関する多くの論文を『Lancet』誌に掲載している。特に1937年にはメスメリズムに関するおびただしい数の論文をLancetに報告しているが、その中の一つ“Cases in which mesmerism was remedially employed.”と銘打たれた一報をみてみる。報告された患者さんは4名。第1例目は12歳女児:喉頭壊死を煩い、治癒後に四肢麻痺と全身痛を呈した症例、2例目は18歳女性:6歳でひどい事故に遭ってからてんかん発作が出現し12歳頃から頻度が増え月経期に重症化するようになった症例、3例目は23歳女性:12歳からの弱視とてんかん発作、不随意運動を呈した症例、4例目は19歳男性:きつい職場で働く事でてんかん様発作を呈するようになり離職後も発作の改善のなかった症例である。それぞれ現代の目でみてみると1例目は感染症に続発した四肢麻痺であるのでギラン・バレー症候群の可能性もある。とくに喉頭壊死なるものが急性喉頭蓋炎だとすると致死率が高く極めて危険な状態だったと思われる。起因菌はヘモフィリス・インフルエンザ菌の場合が多いのでギラン・バレー症候群が続発する素地となる。重症感染症という点で、現在でいうところのICU-aquired weakness が続発してもよいし、重度の疾患治療経過に続発した心因反応(転換性障害など)も鑑別には挙げられる。後者ならメスメリズム、つまり催眠術が奏功するだろうし、前二者は疾患極期を乗り切れば自然に改善していく経過をとることも多いので術を根気よく施しているうちに時間が経過して改善してもよいと思う。2例目は脳挫傷後のてんかんだと思われるのでおそらく催眠術は効かないと思うがこの論文上、最も紙幅を割いて解説しており経過は難渋したが最後には催眠術が効いたというような記載になっている。この症例の選択は明らかに間違いであり、こういう症例報告がむしろ催眠療法の可能性を狭め、Elliotson教授の権威の失墜を招いたと思われる。3例目は視力障害に続いててんかんなど様々な神経脱落症状が続いて寛解していることから多発性硬化症などの脳神経系の炎症疾患だっただろうと思われる。炎症の再燃予防に間接的にでも効果があったかどうかわからないが、後遺症や不安に対しては一部催眠術が有効だっただろう。4例目はいわゆる当時の「男性ヒステリー」だと思われる。パリのサルペトリエール病院から、シャルコーが外傷や多忙などのストレス後に発症したヒステリーの男性例をさかんに報告したとき、「フランス以外には男性のヒステリー(hysteryの語源は子宮)は存在しない」と揶揄されたとシャルコーが講義でぼやいていたが、実際には少なくともイギリスからこのように報告があったことが判明した。4例目はメスメリズムのよい適応だったことは明白である。
 最後に、19世紀にフランスでの催眠術のメインストリームにいたシャルコー先生の見解を見てみたい。聴講生の記録による講義録Professeur Charcot “Leçons du mardi á la Salpêtrière ” をあたってみると、やはりあった。1889年1月29日火曜の臨床講義、その日の第1例目として“Accidents hystériques graves survenus chez une femme á la suite d’hypnotisations pratiquées par un magnétiseur dans une baroque de fête publique”「広場での動物磁気による催眠術後に大ヒステリーを呈した一例」を取り上げていた。38歳女性、元々ヒステリーで加療中であった。動物磁気の興行師の施術を受けてから発作頻度が増えてしまい、後弓反張を伴う強直間体痙攣発作と持続性の失声症を呈している。身振りと筆談は可能で言語理解・コミュニケーションは良好であるがしゃべれないため、本人は入院加療が必要と訴える。症状は脳の障害では説明ができない、すなわち神経脱落症状はなく、むしろコミュニケーションに素早く精緻な筆談用いるなど神経系の多大な努力を要するような性質を持ち、またどんどん変化していくため、ヒステリーと診断されている。安易な動物磁気療法がかえって症状を刺激して治療に難渋させることがあるということを批判している。メスマーの夢見た、不思議な流体の力を拝借した医師による治癒状態への誘導というなんともあいまいな操作は、操作者や被操作者の特質によって、諸刃の剣となると考えなければならないだろう。
 対象を綿密に器質性疾患のない症状、すなわちいわゆる「こじれちゃって辛い」一群に絞るべきだということは言えるが、その場合にも、永久的な治癒状態が得られる場合と、一時的な効果だけが得られる場合と、一時的でさえ効果が得られない場合とがある。これらの差は何なのだろうか。現代においてもまだ答えはない。催眠と同様に、実体は空白なのに実効力を持つものにプラセボ効果がある。催眠は治療者の操作が大きな力を発揮するが、プラセボは患者の期待が大きな力を発揮する。パーキンソン病ではプラセボが効きやすいという報告がある。ということは脳のなにかしらの機能に関与するはずで、それは脳のどこで、どんな作用なのか。言葉、つまり、詩の力が、どこに響くのか。私たちは言葉でもってどこまで到達し得るのか。いつも問題提起はここ、言葉の問題に立ち戻る……。
ジャンル:
ウェブログ
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« 第4回 ほそいひかりの三々五... | トップ | 第6回 ほそいひかりの三々五... »
最近の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 30日以上前の記事に対するトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。