「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌評 たんかの 依光 陽子 

2015-12-28 15:03:36 | 短歌時評
 ようやく五七五七七での眼の息継ぎがうまく出来るようになってきたので、なればとびきり活きのいい短歌に触れたいと狙っていた文学フリマも、明け方の雨にあっさり断念。しかし結局のところ何が「新」かなどわかるはずもなく、要するに自分にとって目新しければ、いいものを読ませていただいた、と有難く頭を下げることにして短歌評の任務を終えたい。

気づかないうちにせかいはくれてゆく歯医者の目立つ駅前通り   杜崎アオ
帰れると思ってしまうしんしんと折りかさなってさびる自転車  

 単色で気づかぬまま移ろう世界が好きだ。普段気にとめることのない歯科医院の閑けさ。この歯医者が映画冒頭の何気ないワンカットのように何か不気味な暗示と思えるのは「せかい」という平仮名ゆえだろう。流れの中の杭のように、周りだけが動いていて自分は立ち竦んでいるような、この無機質な感覚が好きだ。たとえ帰る場所などなくて錆びていく自転車だとしても。

雨音ももう届かない川底にいまも開いてゐる傘がある   飯田彩乃
ずがいこつおもたいひるに内耳に窓にゆきふるさらさらと鳴る   野口あや子
水仙と盗聴、わたしが傾くとわたしを巡るわずかなる水   服部真里子

 飯田の歌は、本来ならば音を立てるはずの傘が、開いても音を得られぬ川底の無音世界を見せる道化。野口の歌は、ずがいこつが重たいと感じる昼、可笑しな形の内耳がふと意識される。「内耳に」「窓に」雪が「ふる」「さらさらと鳴る」のだ。まず「内耳」に雪は降り、次に「窓に」さらさらと鳴り、そして「内耳」が「さらさら」という音を摑む。雪のつめたさは、アンドロイドの膚のつめたさだ。服部の歌は拡声器に似た水仙の形状と、耳をそばだてなければ声をキャッチできない盗聴という行為の並列。水仙の声なき声を私は聴き取れるだろうか。水仙の傾きに己を合わせれば水仙に似て、体内をわずかに水が巡る。

ついに来ぬひとを待ちつつ待つ場所を少しずつ右にずらせてゆく   光栄堯夫

 結局来ない(とわかっている)人を待ち続ける自分に待つことは無駄だともう一人の自分が呟き、他人の眼に映るであろう“待たされている自分”を愚かしいと感じたペルソナが「待つ場所」から身体を少しづつ右にずらしてゆく。右へ右への移動はすなわち時計の針を意識下で動かすことだ。

少年はきりぎりすにて十三になるなりやがて跳ぶなり天地   川野里子

 少年はきりぎりすであるという作者の作り上げた寓意への入り口に立つ。その少年が「十三に」なり「やがて跳ぶ」のかと普通に意味を追っていくと、最後の「天地」という言葉で着地した私の前に急に視界が開ける。俳句で言えば「なり」の切字が二つ入っていることで構造上は「やがて跳ぶなり」の後にも切れが生じて一旦意味が切れる。二つの「なり」でホップ・ステップしてジャンプした先に、ここまでつらつらと引き連れられてきた言葉たちは「天地」という圧倒的なスケールを持つ言葉の前で拡散してしまう。<野遊びの児等の一人が飛翔せり 永田耕衣>に通じる突き抜けた飛躍感。

ひともとの短歌を海に投げこんでこれが最後のばら園のばら   佐藤弓生
雲が……。ねえ縁側に来ておすわりよ、落ちてゆくのはいつでもできる 
耳ひらく花々はありことばなくしずかに湿る塀に沿いつつ  
ぼくたちはカラスみたいに好きだった 無人の塹壕に光るもの    

 私が短歌に求めるのは、俳句とは違う、短歌でしか在りえない「ひともと」の言葉の棒だ。そしてそれは、春夏花を絶やす事ないばら園のひともとの「ばら」であろう。栽培の難しい薔薇を咲かせるための日々の管理と、新種の薔薇を咲かせるための飽くなき試み。佐藤はその二つを持ち合わせた短歌作者と思った。短歌という長さを最大限に使ったコトバがどのような着地を見せてくれるのか、固唾をのんで言葉を追うこともまた読みの楽しみだとこの人の歌は思わせてくれた。

   ****

 さて、ずいぶんたくさんの短歌に触れることで、短歌に対する苦手意識はかなり払拭されたようだ。もう鉄棒に人が並んでぶら下がってるいるようには見えなくなったし、心揺さぶられる短歌にもたくさん出会えた。そして短歌側から俳句を見直すことができるようになったことが何よりの収穫だと思っている。単に言葉の長さの問題ではなく、そこに盛る意味でもなく、短歌でなければならない作品、俳句でなければならない作品があるということに気付けたことだ。

 そしてそれを早々と見切っていた人に寺山修司がいる。

 2015年は寺山生誕80周年で様々なところで寺山に再び光が当てられたわけだが、短歌におけるそれは相も変わらず模倣、剽窃の側面であった。同じジャンルに属する者とそうでない者、あるいは実作者と読者とは心情も見解も違うと思う。実作者としては模倣されればいい気持はしないし、同じ素材、同じ切り取り方で先に完成度を上げて発表されてしまうこともあるだろう。読み手としては類似作品があれば二つを天秤にかけて重い方をよしとするだろうし、前書きで提示されなければ出典を知らぬままという事もある。この問題についてここで書くスペースはない。しかし一つ言えることは、言葉や発想においてまったくのオリジナルが存在する事は疑わしい、ということだ。例えば次の例などどうだろう。

おとうとに髪ひっぱられ姉ちゃんは六十年後のはつなつの顔     佐藤弓生
少年や六十年後の春の如し   永田耕衣

空を出て死にたる鳥かわれもまた夢を狩りつつ空に撃たれむ   山中智恵子
空を出て死にたる鳥や薄氷   永田耕衣

 これらの句は俳人ならば誰もが知っている耕衣の代表句である。佐藤と山中がこれらの句に触発されたかどうかは知らない。しかし私は上のどちらも剽窃でも模倣でもないと思う。パクリでもパロディでも引用でも型を変えた模写でもオマージュでもないだろう。特に下の「空を出て死にたる鳥」のモチーフは、耕衣句が道元の『正法眼蔵』「現状公案」の中の<鳥もしそらをいづればたちまちに死す、魚もし水をいづればたちまちに死す>から来ているのは明らかだ。耕衣はあらゆるものを吸収し、愛し、リスペクトし、咀嚼し、自らの作品として立たせた。全て耕衣の全存在を通って迸り出た言葉が耕衣の俳句だった。

 寺山に話を戻す。そういった意味で寺山修司の遺した作品は、どのジャンルにおいても寺山修司そのものだったと思う。(寺山の俳句眼の確かさは『火と水の対話――塚本邦雄・寺山修司対談集』の中の第五章「百苦惨々――俳句について」Ⅰ、Ⅱを一読すれば納得いただけると思う)

ある日われ蝙蝠傘を翼としビルより飛ばむわが内脱けて   寺山修司
面売りの面のなかより買い来たる笑いながらに燃やされにけり
剥製の鷹抱きこもる沈黙は飛ばざるものの羽音きくため
王国を閉じたるあとの図書館に鳥落ちてくる羽音ならずや
地平線描きわすれたる絵画にて鳥はどこまで堕ちゆかんかな
暗室に閉じ込められしままついに現像されることのなき蝶
夜光虫に耳のうしろを照らされて手を一つ拍つ欺きのため
満月に墓石はこぶ男来て肩の肉より消えてゆくなり
とぶ鳥はすべてことばの影となれわれは目つむる萱草に寝て


 新宿ゴールデン街脇の細径を花園神社裏へ抜けて通った地下の貸スタジオにはKORGの古いオルガンがあった。寺山修司には間に合わなかったけれど、私の周りにはいつもアングラな風が吹いていた。寺山の歌を読むとふとその頃の街騒が湧き起こり私の共感力は最も活性化する。これらの歌は寺山の歌でありながら、まるで私の原風景のごとく私を震えさせるのだ。上に挙げた短歌の一首目以外は没後の未発表歌集『月蝕書簡』より引いた。先行する何かがあるか否かは知らない。しかしこれらの歌はひともとの言葉の棒として慄然と立っていて、その世界感に強く打たれる。これが寺山修司だ。

 寺山晩年の『寺山修司&谷川俊太郎ビデオレター』の1983年1月15日の寺山→谷川の中で、寺山は自分探しをする。初めは原稿用紙に書かれた名前。次に写真。声。証明書類。いくつかの定義。そして最後に呟く。「どれが一番正しいのか、決めかねているのが僕自身というわけか

 1975年、劇場という枠を取り払い、30時間市街劇『ノック』で阿佐ヶ谷一帯の市井を劇場と見立てた同時多発的演劇を行うなど常に実験的であった寺山が、なぜ晩年まで定型としての短歌を捨て去らなかったのか。寺山が手離さなかった短歌の本当の魅力、私はそこにこそ興味がある。


「私」性文学の短歌にとっては無私に近づくほど多くの読者の自発性になりうるからである
『寺山修司短歌論集』より)


よくわかるとは実は自分を失くすることなんじゃないだろうか
(『寺山修司からの手紙』山田太一著より)



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