「詩客」短歌時評

隔週で「詩客」短歌時評を掲載します。

短歌評 野の花摘んで〜角川「短歌」2015年9月号〜 月野ぽぽな

2015-09-26 02:49:47 | 短歌時評
 季節は秋。空は澄み渡り良い気持ち。菊の花、吾亦紅が美しい表紙を開いて、 花野ひとつから花ひとつ。歌の花を摘みながら歩いてみよう。
*
●秋葉四郎「東京往反」
心の奥に舞曲ボレロを意識して蛇崩坂〈じゃくずれざか〉を下りて上る

 歌人、佐藤佐太郎が歩いたであろう東京都目黒区の坂を行く。心にはボレロ。蛇のようにうねるエキゾチックな2つの旋律が交互に現れる度に楽器の色合いを変えては音量を増し続け最高潮に達するやいなや崩れ落ちるように終焉を迎える楽曲。なんと<蛇崩>の名と響き合うことか。

●水原紫苑「ドグラ•マグラ」
われは笛、われはくちなは、われは空 死ののち水の夢とならむか

 わたしは笛、わたしは蛇、わたしは空、死後には水の夢になろうか。分別の限りを尽くし、その過程で得る喜び苦しみを全て知り尽くした上でこそ到達できる自由無碍の境地が、文語の調べの美しさと溶け合ってここにある。われらはかつて、 根源が見た夢であり、今生の戯れの後、またそこへ還ってゆくのだろう。

●梅内美華子「船形石」
濡れながら羊歯は手招くもつと深いところを知らないあなたよ、おいで

 青々と生い茂る羊歯、奥底に闇を抱きつつ風に揺れる羊歯の群れには性に至る生のエネルギーが満ちている。その声。

●大河原惇行「今に向かふもの」
存在に意味を置く文字変へたりき始皇帝のこと又思ふなり

 今という一点が渦中にあって見えぬ時、歴史を振り返ってみると、その一点がどんな流れにあるのかが俯瞰できることもあるだろう。過去の一点にみる、共通のニュアンス、匂いのようなもの。

●桑原正紀「ロマネスクの人」
ありつたけの赤いバラもて飾り付け遺影に問へば「これでいいわよ♪」

 生きて姿はそこになくても、魂は今も親しい人と共にあって、いつでも会話できますね♪

●河野美砂子「手について」
雨やめば緑いきほふ夏草に呑まるるやうに父がおとろふ

のまるるやるに>、<おとろふ>が眼目。自然の溢れる生命力を前に衰弱した父のあり様が強いコントラストを生む。感情をひとつも語らず読み手にその空間を与える技。

●紀野恵「竹の里(うち)にも」
復号の健〈キィ〉を押す我が(はたりはたり)ひとのかたちに戻るゆふぐれ

 何かに没頭しているときのその存在は、一個の人間の中から溢れ出し、ある大きな領域に旅立っている。そしてまた一個に戻る。 わたしたちはこれを繰り返しているようだ、生あるうちは。

●立花開「遠鳴り」
呼び合うようにあなたの骨も光ってね龍角散飲み下す夜に

 <><龍角散>が効いている。そしてこの一首自体も。共通語へ、たとえば 「早く良くなってね」などと翻訳してしまったら効きは激減。原語、立花開語のままで。

●波汐國芳「福島を裂く」
烈風にのうぜんかずら揺り出でて誰へ移さんその炎の笑みを

 <烈風><揺り出でて>が移りよく<炎の笑み>を誘う。筆者在住のアメリカの花は日本のものよりも首の部分が長く<炎の笑み>もまた独特。

●松村あや「福錦のシコナのごとき」
楓の葉のくれない深き一枚が目の前に落つ護符のごとくに

 天啓は絶え間なく訪れているという。要はそれに気づくかどうか。その色づいた楓の造形のなんと精巧で神秘的で静かな力に満ちていることか。

●金田義直「盆棚」
佞武多絵の廻り灯篭武者を追ふ女眦涼やかにして

 女性は本能で自分の子孫が残る可能性の高い男性を選ぶのだとか。佞武多絵の逞しい武者達の姿を見る目の奥にその遺伝子が潜むのかどうかは別にして、その女性は、武者に劣らず魅力的。

●四元仰「白き木槿」
アカシアの梢をゆふべ雲のゆき一日はすでに追憶に似る

「今」という時は「今」と言った時点でもう「今」ではなく、絶え間なく過去になってゆく。確かにあったはずのこの一日も、すでに幻のようだ。物憂げなアカシアの花を置き去りにしてゆく夕べの雲がその感慨をいっそう深くする。

●井川京子「青空」
鯉たちが背びれをたたみやってくる語らいをする用意は出来た

 自然の有り様に歌中のその人の心持ちを投影させている。<鯉たちが背びれをたたみ>から静かで且つ強い決意が見えた。

●矢澤靖江「蒔絵のやうな雨」
山の雨に打たるるゆりの花の波羅韋僧にいま近くわれゐる

 <波羅韋僧>は「はらいそ」。ポルトガル語でパラダイス、天国の意。<われ>は山あいに無数の百合の花が雨に打たれて揺れている様に、この世のものとは思えぬ美しさを見た。その恍惚感。

●大橋智恵子「ささがき」
軒下にきのこの並ぶ父の家が生えてきたらなさいはひなのに

 かつてはそこに建っていた父の家。その軒にはきのこが生えてきて、とても馴染みのあった家。ああ、きのこのように、父の家もここに生えてきたらいいのに。この無垢な願いが愛くるしくて哀しい。

●安江茂「聞きなし」
「オチンチンマックロケ」などと鳴いてゐた分教場の裏山の鳩

 山あいの小学校の分校か。子供達はその就学中に第二次性徴期という、大きな体の変化とそれに伴う心の変化を迎える。人は心の中にあることを音に聞き、形に見るという。一首は愛嬌たっぷりにその普遍に触れている。

●小塩卓哉「空と雲」
雲にいつか乗った記憶があるなんて言えるか終日〈ひねもす〉起案を見ていて

 <なんて言えるか>(言えるはずがない)と言いながら、そう言えるためには、それを知らなければ言えない。現実に足をつけながらも、しっかりと携える豊かな想像力という翼の、その逞しさが魅力。

●永守恭子「水音」
風ふけば姫女苑・蚊帳吊草ゆれて野草図鑑を空き地はひらく

 空き地に生えている秋の千草の様子を<野草図鑑>だと捉えた素朴な感性がキラリ。

●勝井かな子「叔父」
行けたら行くと応えはしたが広島の叔父の法要行けぬと思う

 体は一つ、心は多数、というのは共感できるところであろう。さらに<広島の>という言葉は、<叔父>の人生に過去の悲しい出来事を呼び込み、歌中のその人の心の様相はさらに複雑さを増す。

●森淑子「秋」
待つに馴れ帰らぬ人と思はれず木犀の香りの漂ふま昼

 その人は死んでしまったと知ったあとも、信じられずに以前と同じように待っている、と気づく歌中のその人。その瞬間は、今ではないどこか。ま昼にはある非日常感がただようが、木蓮の香がなおその感覚を濃くしている。

●原田清「日光黄菅」
静かに心沈めて書を読まむ響く言の葉あれとし願う

 書との出会いも一期一会。その書を手にしたその時点で、もう何かに導かれているのかもしれない。その何かに向かって自分の内なる触覚を頼りに読み進む心の風景。

●黒松武藏「流木乗り」
仰向けにながされてをり空のみの視野にあふるるばかりの光

 歌中のその人が、流木そのものになって光を浴びている陶酔感。読み手もしばしそこに浸る。

●入谷稔「虫のうた」
傘寿とは神の恵みと玉の緒の玉虫色をたのしみ暮らす

 <玉の緒の玉虫色>が素敵な80歳の心境。自分とすこし距離をおいて自分をながめる余裕がほどよい滑稽を生んでいて心地よい。

●青木春枝「虹の残像」
神社への砂利を踏む音心地よく茂吉の虹の歌語りゆく

 「最上川の上空にして残れるはいまだうつくしき虹の断片  斎藤茂吉」この歌を愛し、語り継ぐ、歌中のその人を始めとする多くの人々の営みこそが、虹の断片。

●中村達「文明の負」
威嚇するごとき靴音近づきて若き女性がはや前をゆく

 規則正しくヒールがアスファルトを叩く音。それは時限爆弾のように、歌中のその人に近づき、その前に来るところで緊張はクライマックスに至る。ヒールの主はといえば、ただ通り過ぎてゆくのだが。安堵感そして僅かな失望感。心の中のひとつの事件。

●五十嵐順子「おれの杭」
はけの崩れは防災ネットが覆うともわが歳月のこぼれてやまず

 天災の後に張られた防災ネット。その崖のあり様と歌中のその人にとっての月日が重なり合う。崖の映像が目に浮かびその人の遣る瀬ない思いが滲み出てくるようだ。

●本渡真木子「恐竜の歯」
初夏の肥前の国の男盛りの山はあからむ合歓を抱きをり

肥前の国の男盛りの山>の男性性<あからむ合歓>の女性性が醸し出す健康的なエロスと、一首を貫く大きな詠いぶりが、肥前の自然の息吹の力強さを伝えていて快感。

●三原由起子「パープルセージ」
「ふくしま」と聞こえるほうに耳は向く仮寓の居間の団欒のとき

仮寓>とは仮の住まい。震災により多くの人々が利用する仮設住宅での場面か。あるいは震災とは限らずこの世の巷の住居なのかもしれない。どちらにしても<ふくしま>が今、多様な意味合いと感情とを伴う、特別な音として鋭く響くことに違いはない。
*
ハドソン河に陽が落ちた。もうそろそろ帰ろうか、色とりどりの花を心に響かせながら。

※引用歌中、山括弧はルビ。

■月野ぽぽな つきの・ぽぽな

俳人。長野県生まれ。ニューヨーク市在住。金子兜太主宰「海程」同人。現代俳句協会会員。 第28回現代俳句新人賞受賞詩客・俳句作品 自由 月野ぽぽな
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