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詩客、相沢正一郎エッセーです。

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ことば、ことば、ことば。第32回 水1 相沢正一郎 

2015-10-28 09:55:45 | 日記
 だあれもいない
 馬が
 水の匂いを
 かいでいる


 この馬のいる場所は一体どこだろう。山村暮鳥の「馬」(全文)は、いまわたしのいる場所――真夜中の台所にとてもよくあう。水面に鼻づらをそっと近づける馬は、ゴーギャンの絵画に登場しそうな青い透明感を感じる。馬が好きだった暮鳥、伝道師だったというから、なにか信仰と関係があって、ここはもしかしたら馬小屋(キリストが誕生したところ)なのかな、とも思うけれど、しずかな雰囲気は真夜中の台所にとてもよくあう。
 「水」は、いつどこでだれが、という以前。今回は、暮鳥の澄明な水の世界から。

 水のおとが きこえる
 水の音のあたりに胸をひたしてゆくと
 ながされてゆくと
 うつくしい世界がうっとりとあかるんでくる
      
(「秋のこころ」全文)


 水の音に胸をひたす――重吉が当時、結核にかかっていたことを考えると、この澄み切った明るさはなんだろう。信仰とか祈りとかも感じる。また、水の音に「時間」を重ねてしまうのは、つぎに挙げる詩のうっとりと果実をみのらせる時間とひびきあっているから。
 
 秋になると
 果物はなにもかも忘れてしまって
 うっとりと実のってゆくらしい

(「果物」全文)

 
 水はながれる。わたしのてのひらの水だって、時間のようにながれる。

 たっぷりと
 春の河は
 ながれているのか
 いないのか
 ういている
 藁くずのうごくので

(「春の河」全文)


 そんな作品に現れる河の、たっぷりとした水の豊かでゆったりとながれる時間と、キリスト教の伝道者として生きながらも教会主義に対立した山村暮鳥の生涯とは大違い。
 作品を追ってみても、暮鳥三十二歳のとき、第二詩集『聖三稜玻璃』の前衛(《竊盗金魚/強盗喇叭/恐喝胡弓/賭博ねこ/詐欺更紗/瀆職天鵞絨/姦淫林檎/傷害雲雀/殺人ちゆりつぷ/堕胎陰影/騒擾ゆき/放火まるめろ/誘拐かすてえら。》(「囈語」全文))から、第三詩集『風は草木にささやいた』以降のシンプルで平明な作風に一変。
 それでも、暮鳥の第三詩集以下の澄明な詩の世界は、心身の濃い濁りが濾過された水。そんなふうに思ったのは、悲喜こもごもの地上から空(天上)をながれる雲(水が成分)に呼びかけた詩を読んでから。

 おうい雲よ
 ゆうゆうと
 馬鹿にのんきそうじゃないか
 どこまでゆくんだ
 ずっと磐城平の方までゆくんか

(「雲」全文)


「磐城平」(福島県平)には、暮鳥の恋人が……という。作品の底の生臭い澱。

 さて、この文章のはじめの方で真夜中の台所と暮鳥の「水」とはよくあう、といったけれど、いろんな詩を読み返してみて、『聖三稜玻璃』に収録された「風景」も、この場所にとても響いてきた。《いちめんのなのはな》の九文字が、八行(プラス異なった文字の一行)並び三連。一連の終りから二行目にそれぞれ《かすかなるむぎぶえ》、《ひばりのおしやべり》、《やめるはひるのつき》が挟み込まれる。この「風景」には「純銀もざいく」の傍題があるが、黄色い花の明るい装飾というより、どこか「病んだ」先にひろがる月の光に臨死体験のような感じ。だからだろう、たぶん真夜中の台所に似ているのは……。
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