「詩客」今月の自由詩

毎月実行委員が担当し、その月に刊行された詩誌から1篇の自由詩を紹介します。

第2回 ふんこつさいしんの夜の反復が、わたしたちという夫婦・深沢レナ  カニエ・ナハ

2017-05-19 12:28:36 | 日記
 教授の新しいアルバムを毎日聴いています。大学教授ではなく(私は高卒で、大学には一応入ったもののほとんど行かなかったので、大学教授というものにざんねんながら縁がないのです)、坂本龍一さんです。「async」というアルバムタイトルは「非同期」というのだそうです。このところの「美術手帖」も「ミュージック・マガジン」も「BRUTUS」も「SWITCH」も坂本龍一さんの特集で、というsyncぶりなのですけれど、それはさておき、「async」というアルバムで、asyncというテーマで、たとえばどういうことをされようとしているのか、坂本さんの言葉をお借りすると、「12個ぐらいのパートが全部、それぞれの周期で繰り返していて、いつまでも同期しないんですけど、ひとつも共通のテンポっていうのがない音楽というのを作りたくて。」(「ミュージック・マガジン」2017年5月号)。あるいは「詩的」ということについて語っておられて、「詩的であることは、どんな種類の芸術においても、いちばん大事な要素だと思います。言葉をあつかうときですら、言葉で言い表せない部分が大事ですね。(…)詩性(ポエジー)というのは、言葉や何かで理解することではないんですね。突き刺さるようなものが僕にとっての詩性です。刺されちゃうと言葉も出ないんだけど、理解を超えた「痛み」とかに近いですね。音楽を聴いてそういうふうに反応してしまうことはありますよ。」(「美術手帖」2017年5月号)。私がこの原稿を書いている5月17日の、昨日(5月16日)は松尾芭蕉が「おくの細道」の旅に出発した日で、私の家の近くに 、その芭蕉が出発したとされる採茶(さいと)庵跡があり、庵が復元されており、そこにいつでも芭蕉翁が腰かけているのだった。おなじ5月16日にはシンガーソングライターの柴田聡子さんの新しいアルバムがリリースになって、彼女は以前雑誌で芭蕉の「おくの細道」について書かれていて、「芭蕉が景色や見るものに打ちのめされている! 淡々と景色と心情を綴る中で、ついに松島で「絶句」してしまう。生きているということをひしひしと感じる、こんな旅のように生きられたらいいなと思います。」(「東京グラフィティ」2016年4月号)、彼女の新しいアルバム「愛の休日」を再生すると、1曲目「スプライト・フォー・ユー」はこんなふうに歌い出される、「新幹線の窓から富士山が見えた/富士山見るのははじめてだった/新幹線には何度も乗ってたけれど/富士山見るのははじめてだった」これは旅のうたですね、つづけて「あいつなんかもう友達じゃないや/そう思ってるんだろうな/そう思ってるんだろうな」に、どきっとする。柴田さん、ごく最近でたインタビューの中で、この曲を「どうしてもアルバムにしたかった曲」として挙げられて、その理由をインタビュアーに問われると、「これは、ものすっごく個人的な話なので……ちょっと秘密です。」(「BARKS【インタビュー】柴田聡子「音楽って、伝わらないとダメだ!って気づいた」ひとつの金字塔『愛の休日』完成」2017年5月17日 https://www.barks.jp/news/?id=1000142054 )芭蕉「おくのほそ道」に戻ると、私の手もとにある岩波文庫版の〈松島〉のところを読むと、「松島や鶴に身をかれほとゝぎす」と曾良が詠んだあと、「予は口をとぢて眠らんとしていねられず。」ここに註があり、「師のいはく、絶景にむかふ時は、うばはれて不(レ)叶。(中略)師、まつ島の句なし。大切の事也」(三冊子、黒冊子)。」とある。ところで私がいま書いているこの原稿は、最近出た詩誌から一篇の詩をピックアップして紹介する、という趣旨のものなのでした。「プラトンとプランクトン vol.4」(発行日2017年5月7日、発行深沢レナ)に掲載されている、深沢レナさんの作品「ふんこつさいしんの夜の反復が、わたしたちという夫婦」が目にとまりました。一行の丈および文字数のそろった行と、短い、カッコのとじられない、ひらがな四文字の一行とが、交互にでてくる。最近私が短歌を読むことが多いせいか、長い一行のほうは一見短歌のようにもみえる。定型ということで考えるなら、例外はいくらもあるけれど、基本的には、短歌と俳句はsyncで、現代詩はasyncである、とおもう。いずれにせよ、書かれたことよりも、書かれないことのほうが(より正確にいうと、書くことによって書かれないこと、のほうが)「大切の事也」。深沢さんのこの詩は、syncとasyncの間でゆれているように見える音楽で(坂本さんが「async」でやられていることもそういうこととおもう)、語っていない余白や行の裏側に痛み、すなわち詩性がある、ように感じられるのです。

   ※

ふんこつさいしんの夜の反復が、わたしたちという夫婦
深沢レナ



カチャカチャ、と鳴り損なった真鍮製の鈴は、明日、燃えないゴミに出しておくので問題ありません

 (かたむく

 お夕飯は割れているものと、割れていない、もの、と完全に分離されてますのでどちらでも選べます

 (ゆらゆれ

 先月、隣の、隣の、向かいの、義父に修理に出しておいたミキサーは無事、完治して戻ってきました

 (ふるえる

 よって、完全無欠になめらかなサーモン・ピンクです、繋ぎ目がわからないほどに純粋なピンクです

 (ひびいる

 わたしたちは上りゆく真夜中に向けて、リビングに散乱した言葉を回収し、強固な沈黙を開始します

 (くずれる

 お風呂あがりに全身に巻かれる包帯ほど健康にいいものはない、という信念に基づいてわたしたちは

 (おちゆく

 白の隙間から垣間見える、淡い、淡い、黄色い怪物、彼らはいつからこの街に住み着いているのかを

 (ついらく

 知らないというままに赤く黒くなって均等に長さを揃えた腕は腕に足は足に頭は頭にちゃんと合わせ

 (こっぱみじん

 机と椅子を繰り返しながら、わたしたち家具な夫婦は、大きな怪物のあくびを遠くに聴くのでしょう

   ※

という、深沢レナさんの詩「ふんこつさいしんの夜の反復が、わたしたちという夫婦」を写し終えると、坂本龍一さんの「async」も終わっていて、いま夜中の3:38で、詩のあとの、音楽のあとの、沈黙はそれらがはじまる前のそれよりも、たぶん強固な詩で音楽で、朝までにこれからすこしだけでも眠れるだろうか。昨日の明け方には、ひさしぶりに夢を見たのだった。かなしい夢ではなかったけれど、泣きながら目を覚ましたのだった。
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