「詩客」俳句時評

隔週で俳句の時評を掲載します。

俳句評 ミニトマトの中の肺の月 カニエ・ナハ

2017年01月08日 | 日記
 北大路翼さんの『天使の涎』を読んでいて、作風は違うけれども、俳優の渥美清さんやおなじく俳優の成田三樹夫さんの俳句のことを思いだして、私は以前この詩客の俳句時評に渥美さんと成田さんの俳句について書いたのですが、それを読み返してみると、俳人と俳優がおなじ「俳」の字であるのにはなにかワケがありそうだ、みたいなことが書かれていて、そのときはそれ以上つっこんでみていなかったのだけど、いまあらためて、「俳」という漢字を、私のしごと机に常備されている白川静漢字辞典でしらべてみると、まず、「非に排(おす)・徘(さまよう)の音がある。」とあり、「排」の「(おす)」は「押す」か「圧す」かな、でも『天使の涎』のあとがきをいまさっき読んだ私には「押忍」と変換されて、徘(さまよう)は、新宿歌舞伎町界隈を夜ごと徘徊されているらしい北大路さんにふさわしい、ああそうか、俳諧は徘徊なんですね、白川静漢字辞典のつづきを読んでいくと、「(…)それで二人並んで戯れ演じることを俳といい、「たわむれる、たわむれ、おどけ」の意味に用いる。滑稽な動作をして舞い歌うわざおぎ(役者)を俳優という。滑稽を主とする俳諧連歌の第一句(発句)が独立し、五・七・五の十七音節からなる短詩が俳句である。」とあり、さいごのところで俳句が短詩であることにもいまさらながらあらためてそうか、とかおもってしまったのだけど、そうか、もともとの「俳」の字の語源をたどっていくと、笑わせることができてこその俳優で、言葉とたわむれ、おどけるひとが俳人なのかもしれません、そう思うと、北大路さんのこの句集は一見異端のように見せてじつはとても句集らしい句集、ど真ん中の句集なのかもしれなくて、この文章の冒頭で私は渥美清さんや成田三樹夫さんの俳句を思い出したと書きましたけれど、映画「男はつらいよ」とか「仁義なき戦い」シリーズって、私のもっとも好きな日本映画ですけれど、アウトロー、Wikipediaを見ると、北大路さんが俳句をはじめたきっかけが山頭火と書いてありますけれど、渥美さんは山頭火や放哉に憧れて俳句をされていた、山頭火を演じる話もあったらしい、山頭火や放哉もまさにアウトローですよね、寅さんも仁義なき戦いのやくざたちも、そんなアウトローたちのための詩型としての俳句、という言葉ないし系譜が浮かび上がりました、なぜ短歌じゃなくて俳句なのか、ひとつには俳優は後姿で語るとかいいますけれど、短歌だと背中でなくて言葉で語りすぎてしまうのかもしれません、また俳優は短命じゃこまる、映画にしろ舞台にしろロングランしてもらわないと、にしても、北大路さんの句集の、一頁のうちにぎっしりと句のつまったレイアウトは、いまの句集の常識にけんかを売るみたいのもあるとおもうけれど、この情報量の多さ、深作欣二監督「仁義なき戦い」シリーズの、画面いっぱいに顔顔顔がひしめき、せりふとせりふとせりふが飛び交い、それらがめくるめく速度で流れていく、あの圧倒的な情報量の多さを思い出しました、この量・密度でなければ出すことのできないグルーヴがありますよね、この句集を読む人それぞれが好きな句なり刺さった句なりを十句なり三十句なり挙げていったとして、それらはなかなかかぶらないのではないか、おなじひとが選んでも、その日の気分とか体調で、ずいぶん変わってきそう、そういった意味でも、「男はつらいよ」や「仁義なき戦い」シリーズがそうであるように、これは何回もリピートをうながすタイプの句集、くりかえし読んでやっとその真価が見えてきそうな句集で、句集のなかのもうひとつの歌舞伎町のようなマチを夜ごとめくるめく徘徊すればいい、とりあえず、今回私が読んで気に入った句を、本のまんなかへんから(付箋を貼ることを途中からはじめた、というのもあって)、てきとうにピックアップしてみます、「失神をするとき白い曼珠沙華」これは性交のときのことをいってるのかな、そうおもってよむとマンジュシャゲにしろヒガンバナにしろ、妙にエロティックな花に見えて(聞こえて)きます、「満月は丸ではないと告げ眠る」そのあとどんな夢をみるのか、「日本の最後の景色として芒」この国がやがて亡びて芒だけがのこっているというこのリアリティ、「ストローのとんがつてゐる方が冬」つららみたいなストローですね、「枯れ芝に人敷き詰めて待つ来世」やっぱり亡んでしまったんだ日本、「シチュー煮る雪を還つてゆく人に」このひとは来世へと還るのか、「正月は人がクラゲに近づく日」水母なのか海月なのか、ちなみに私の祖父母の家は海の近くにありました、「瞬間を重ねて時間雪しんしん」雪は砂時計の砂のように時間そのもののように降り注ぐようにみえますね、「春の日を背中に受けてカプチーノ」春の日がカプチーノそのものみたいに見えますね、「悩むよりサボらう風が気持ちいい」これ座右の銘にしたいです、「死んだひとと一緒に暮らす金魚鉢」崖の上のポニョって映画、ひと言でいうとこういう話だった気がします、「かたちあるものかも知れず噴水は」このさだまりそうでさだまらない感じがまさに噴水のかたちをいいあててるとおもいます、「ミニトマトの小さくあらうとする力」そうか、だからミニトマトって大きいトマトよりもエネルギーが充満しているように見えて、北大路さんの句集も、ちいさな本のなかに2000句もの俳句をぎゅっと凝縮した、外側からおしこめる力(おす=排)と内側からおしだす力がぶつかりあって、ものすごいエネルギーをたたえているのだと思いました、はい、押忍。
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